J・オースティンの邦訳書 私的リスト

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/Jane_Austen/list1.html
の転載です。今後はそちらで加筆修正していきます。



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長編小説

最古の日本語訳がいまも売られているが、わたしでもわりと読めた。

「これだけがオススメ!」という一品はなく、併読している。

翻訳“書”の「些細な事柄」(『愛と友情』より)を述べたい。数字は読んだ順。


『分別と多感』(知性と感性)
 伊吹知勢『エリナとメアリアン 分別と多感』:文泉堂出版『ジェイン・オースティン著作集』の1冊。1948年出版の『英米名著叢書』新月社、あるいは1952年『世界文学全集』河出書房の再録のようだ。
 訳も気に入って、出版社に電話したところ、分売不可とのこと。息を呑んだ。全5巻で6万円を超えるのだ。諦めた。

 真野明裕『いつか晴れた日に 分別と多感』1996年6月、キネマ旬報社
 映画化によって出版されたようだが、変にくだけていない訳だと思う。結局、流通しているこの本を買って読んでいる。
 些細なことだが、表紙があまり好きではない。メインタイトルも… 映画自体はけっこう好印象だったのに。

高慢と偏見』『自負と偏見
 富田彬 訳、岩波文庫(もとは1950年出版?)
 水村美苗さんの文章(朝日新聞連載。『手紙、栞を添えて』)に惹かれて読んだ、初めてのオースティン作品(水村さんの文章では「河出文庫ほか」)。しかし、わたしには文章が硬くて、とっつきにくく、頭に入らなかった。『説きふせられて』の訳は気に入っているから、今読んだら感想が変わるかも。

 中野好夫 訳、新潮文庫、1963年(1960年の筑摩書房『世界文学大系』28巻の再録か)
 この本に出会って、この作品がおもしろくなった。
 訳者によれば「いつかは邦訳したいと思って、実は戦争中に暇にまかせて三分の一ばかり脱稿していたのを、こんど訳しついだものだ」そうだ。
 文庫だから小さくて、お値段もお手ごろ。ただ、カバーの絵(たぶんエリザベスの横顔)が好きになれない。

 阿部知二 訳、『説きふせられて』も収録した河出書房『カラー版世界文学全集』
 中野訳を気に入っていたが、ふつうに読めた。
 ただ、函入りだし、大きくて重い本なので、対照する時しか開かない。

 野上豊一郎訳、國民文庫刊行會(国民文庫刊行会)昭和2年再版(「非売品」とある)
 大正15年発行の<ゼーン・オースチン>『かうまんとへんけん』の存在をインターネットで知り、わたしの中では奇書・貴書になった。のち、たまたま上巻のみ入手できた。
 上方(上側)は金箔押し。後ろは原文が収録されている。そこにイラストあり。ミセス・ベネットらしい。似ている(へんな言い方だけど)。
 「きがしは」(端書き)は、ほかの訳者と同じく、オースティンを尊敬し、熱のこもったものだと思う。
 訳例 「リジ」「シャロット」「ダーシ」「ビングリ」「ミスター・コリンス」「レディ・カサリン
 『知性と感性』『ノーサンジャー寺院(じゐん)』『マンスフィールド荘園』『エンマ』『納得』
 納得・・・・・・ 訳のおもしろさに着目することも、この本の紹介者から教えられたことである。

なお、タイトルに注目すると、『自尊と偏見』という邦訳もあるそうだ(オーステン作、海老池俊治訳、弘文堂書房、世界文庫、1940年)

マンスフィールド・パーク』
 臼田昭 訳、前述の『著作集』(『集英社版 世界文学全集』17巻(1978年10月)の再録‥‥こういう形を国会図書館では『複製』と呼ぶようだ)
 「メァリ」なる表記。本邦初訳らしい。わたしはわりと普通に読めた。
 訳者の、手放しに絶賛しているのではない、ある意味シビアな解説つき。
 集英社版の本体はクリーム地で、背表紙の「ジェーン・オースティン」は緑に金文字。

 大島一彦 訳、1998年10月、キネマ旬報社
 ほんの少し読んだところ、よさそうに見えた。表記に疑問をもっている方もいるらしい。
 おなじ出版社の『ノーサンガー・アベイ』と同じく、カバーは、ヒロインの横顔・胸元絵。こちらは水彩。わたしにはインパクトがなく、陳腐に見える。
 数十年前の文学系大手出版社の世界全集にとってかわったように、キネマ旬報社がオースティンの新訳を続々と刊行してくれた。そのなかで、文学史的有名度を知らない、わたしのような一般人が手に取るのは、前にはけなしたけれど、やはり映画の女優の正面顔写真を配した『いつか晴れた日に』かもしれない。

『エマ』
 ハーディング祥子 訳、1997年2月、青山出版社
 わたしが読んだ2冊目のオースティン作品。
 人物描写がコミカルで、この小説、おもしろい! 最高の喜劇だ! と魅了された。オースティン小説のおもしろさ・軽やかさを述べた、訳者の短いあとがきもよかった。

 阿部知二 訳、中公文庫、1974年1月
 1965年初版『世界の文学』第6巻を「本文庫に収めるに当って技術上、二、三箇所削除したほかは、ほとんどそのまま収めることにした。(阿部澄子)」
 全1冊なのでかなり分厚い。およそ3㎝。
 しかも活字は古風でやや小さく、ちょっと目に負担がかかる。
 しかし、カバーの絵(ピンク色の服と日傘のエマに、キューピッドが矢をつがえている)も、何枚も挿入されているペン画も、気に入っている。所持していてうれしい本だ。
 翻訳も好きだ。正しいかは別として、解説の一節が印象に残っている。
「どこからかメニュエットの楽音がきこえてくる古い館の室内に、みやびやかではあるが、少し奇妙な風姿の男女たちが、高速度カメラでうつし出されたかのように、ゆるやかに動いている。耳をかたむけてみれば、彼らの会話ぶりもまた、何やら浮世ばなれしているようである。
 訳者としての私は、その十九世紀はじめのイギリスの風俗習慣も言葉づかいも、今とはかなりちがっていたことを思いながら、「何々さま」とか「何々嬢」とか「いとしい嬢や」とかと、たがいに呼びかけさせたりした。耳慣れぬという感じをいだく読者もあるだろうが、この小説のもつ雰囲気を少しでも出そうと思ってしたことであった。
 (略)この世界は(略)時代は十九世紀のはじめである。(しかも、多くの批評家や研究者が、このジェイン・オースティンJane Austenの「時」は、実質的にはむしろ十八世紀であったとすらいうのである。)」

 工藤政司 訳、岩波文庫、2000年10月
 上下巻に分かれているので軽いし、訳は現代の言葉である。たぶん正しい訳なのだろう。これも持っているのだが、なぜか阿部訳で読むことが多い。
 訳者の解説には「六篇の小説のうち、最高の傑作とされる『エマ』」とある。
 装幀はいかにもこの文庫らしいもので可愛いげがない。もちろん私的にはだ。

『ノーサンガー・アベイ』
 富田彬訳『ジェイン・オースティン著作集 第4巻』1996年9月。
 前にも書いたように、この著作集は古い翻訳書の再録で、当作品の翻訳年は不明。昭和17年の富田訳『説きふせられて』とおなじく本邦初訳。1949年刊行の角川文庫(『ケァサリンの結婚』?)があるらしい。
 初めて読んだとき、「おもしろい小説だ」と思ったので、良い訳だったのだろう。
 タイトルは『ノーザンガー寺院』だった。

 中尾真理 訳、1997年10月、キネマ旬報社
 新しい訳なので読みやすい。
 ただ、ほんとに些細な事柄だが、カバー絵の高く結い上げた黒髪の、正装のキャサリンの横顔。作品の記述にもとづいて描いたものだろうが、好みではない。

『説きふせられて』『説き伏せられて』『説得』
(遺族がつけたタイトルらしい。映画の邦題は『待ち焦がれて』らしい)

 阿部知二『カラー版世界文学全集第9巻』1968年5月、河出書房
 長い間この本でくりかえし読んでいた。作品自体が好きだからでもある。
 訳以外にも、まず挿絵(フィリップ・ゴフ、1948年)。雰囲気はともかく、カラーだし、服装などが参考になる。おもしろい。
 それから全集ならではの量の解説。カラー写真もある。
 結びにはこんな一節。「読者はこの訳文中の「何々さま」「何々嬢」などという古めかしい呼び方、その他について、多少異様なものを感じられるかもしれないが、おゆるしを得たい。ジェイン・オースティンの文体も現代の英語からすればかなり古雅なものである。」

 富田彬訳、岩波文庫。最初の出版は昭和17(1942)年らしい。
 阿部訳が頭に入っていたので、最初は反発しながら読んだ。しかし手軽な文庫なため、今はこちらを愛用している。

 大島一彦『説得』2001年5月、キネマ旬報社
 少し目を通しただけだが、新しいためか読みやすそうだった。
 緑濃い公園の表紙の絵は、作品誕生時のものではないけれど(クロード・モネ)、合っていていいカバーだ。


文泉堂の『著作集』も各文庫も、初訳年を記載してくれたらいいのに、と思っている。

番外編 中国版
 上海に行ったら、地下鉄の駅に書店があった。それは、ビルにいろいろな書店が入って、値引きしてくれる蘇州のとはちがっていた。日本にもある普通の書店だった。何気なくガラス張りの中に入ってみると、奥の外国文学のコーナーに、オースティンの本があった。
 表記は「簡・奥斯丁」
 作品のタイトルは『理智与情感』『愛瑪』『傲慢与偏見』
 表紙は映画『いつか晴れた日に『エマ』、テレビドラマ『高慢と偏見』のヒロインの写真が配されていた。中国でも映像作品は出版に影響するくらい評判だったのか? ただ、小さな顔写真だったように記憶している。
 なかみは英文と中国語訳が1ページの左右にならんでいた。ダイジェスト版(異様に薄い)や、中国語のみもあった気がする。
 中国では『勧導』という翻訳も出版されている(邦訳の『説得』だろう)。おわり。
 ・・・こんな報告しかできない理由は、中国語訳に興味がなかったからだ。その後、いくつもの宝箱を通り過ぎていたことに気づかされた。愛するエリザベスがどんなふうに中国語で話していたか、わからないのだ。
 レジに運んでおれば、今ごろ中国語の奥深い世界に遊んで、それこそ"翻訳書あれこれ"を綴れたかもしれない。最初はとくとくとしていた見聞も、今では自分に似つかわしい滑稽な思い出だ。青山二郎の言葉「人の眼に触れたら、蛙になれ」や、古来の箴言「豚に真珠」が響く。

 なお、外国文学のコーナーにはお客が数人いただけだった。しかし、英語の勉強本コーナーには多くの客が入れ替わり立ち替わりやって来た。
 外国文学の棚で目立っていたのは、夏䖝蒂・勃朗特の『簡・愛』(なんでしょう?  A.シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』)。対して、艾米莉の『呼嘯山庄』(なんでしょう?  A.『嵐が丘』)は最終ページが破損した1冊しか無かった。ジェスチャーで聞いてみると、在庫もないようだった。わたしははこの作品の結びが好きなので残念だった。 Jane Austen(ジェーン・オースチン