遠きみやこに

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/nature/new.htmlからの転載です。今後はそちらで加筆訂正していきます。


 だんだん、このページは田舎暮らしの日記みたいになってきた。最初は自然観察のノートのつもりだったのに。

 わたしはいわば山村に暮らしているけれど、ふだんの生活はふつうだと思う。家で新聞を読んだり、テレビをみたり、インターネットをする。地域の外に行く。地域は食べて寝る、ごろごろして憩うベッドタウン。

 ここに住むことに安心感を与えているのはネットだ。たとえば、本にまつわる外の世界とつながっていられる、という安心感。

 東京に行くと、本がいっぱいあるので驚く。駅の近くに、いくつも大型書店があったりして。こちらでは考えられない。

 美術館も、展覧会も、いろいろな分野のものがある。目を広げてくれる。

 本やアートに限らない。東京では歩くことが多いけど、街中、ビルの中、駅、そこらじゅうで新しいものの宣伝が目に入る。

 こちらでは、車で移動する。自家用車を運転して。そして大きな乗用車に運転者一人しか乗っていなかったりする。目に映るのは郊外の大型店。移動中は、一人で車のなかで音楽を聞いていたりする。

 東京ではたくさんの人を見る。ほんとうに人の海だ。でも、すぐ近くを通り過ぎる人と、接することもない。誰とも知り合いにならないで、家に帰る。

 東京はわたしにとって、商品と情報があふれている場所。出版物も展覧会も映画も、ただのものとか、芸術というより、商品で情報みたい。東京にもしいたら、そういう熱気にあてられて、いろいろなものに出会えて、一段上の見方を獲得できるようになるんじゃないか。

 普通電車に乗って、数駅いくだけで、そんな都会があったらいいのに。

 むかしの人は、草深く自然の恵み豊かな田舎に住んで、江戸に遊びに行けたのではないか。あるいは一昔前の鎌倉。そういう環境がうらやましい。

 あと、荒ぶる海とそれに面した岩壁と、静かな湖が近くにあればいいな。

 ・・・・・・わたしは全然、自足していない。「快楽こそ善」 エピキュリアンだけど、アタラクシアーは遠い。