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『嵐が丘』。春観。人間でよかった。

http://www.geocities.jp/utataneni/nature/new.htmlで加筆訂正します



 このころ、こんなイメージをもった。わたしは地面にしゃがみ込んで、蝋石(ロウセキ)で静かになにか字を書いている。そうして、人を待っている。
 どういうことだろう?
 自分を清らかで楚々とした気持ちにおいておきたいのではないか。
 ともあれ、こんなイメージのために、出所かなと思う『嵐が丘』(エミリー・ブロンテ)を読んだ。久しぶりに読んだ。キャサリン(アーンショウ)がヒースクリフとリントンとのあいだで引き裂かれ、絶望し、狂ったところを。
 田げり(タゲリ)のくだりも最高。
 やはり、この小説好きだ。大好きだ。わたしも冷たい、でも清らかな強い風に吹かれたい。丘の黄金色のクロッカスがうれしい。また、“あの輝かしい世界に行きたい。この牢獄から抜け出したい。もう涙を通して、痛む憧れの心を通して見るのではなく”
 
 
 
 


 NHK『新日曜美術館』をつけたら、ニューヨーク、セントラル・パークでおこなわれたクリスト&ジャンヌ・クロードの「ザ・ゲート」(2月)が特集されていた。
 新聞記事で読んだときも、そしてこれまでの代表作の写真を見たときも、いいとは思わなかった。美が感じられなかった。
 でも、この番組をみていたら、「すばらしい!!」と絶賛するようになった。
 冬の木立の公園にひるがえるオレンジ色(サフラン色)の布は、『嵐が丘』の「ゴールデン・クロッカス」だ。
 それから、美術というよりアートと表記された方がしっくりくるようなものの在り方に今更ながら、希望を感じた。個々のプロの作者ではなく、“市民”が平等に参加し、享受するということ。
 追記
 このイベントの効果については意見が様々らしい。それもおもしろい。 




 花粉症がひどくなってきた。今年は例年よりも大量に飛散、と盛んにいわれた。
 花粉症に苦しむ人は多い。わたしはもう、沈丁花のあまずっぱい香りを吸っていない。
 従来、春は喜びの季節で、それは歳時記をみても、詩歌などにたくみに表現されてきた。しかし今後は、人々の春に対する思い、“春観”が変わるのかもしれない。






 人間でよかった。
 前はほかのものになりたかった。とくに風や空ゆく雲。限りない美しさや、衰え・悲しみのない永遠がほしかった。
 でも、いまは限りある命の人間でよかった。死ねることがうれしい。どんどん時間が経って、驚くほど老いていくことがうれしい。
 天国も地獄もきっとないことがうれしい。この世での苦しみ、行いをひきずっていかなくてよいことがうれしい。
 もしわたしが不老不死で、いつでも自死できる権利をもっていても、結局「死」を選ばないだろう。塵のようなささいな欲に引きずられて、死を自ら選び取ることはできないだろう。
 必ず死ねる人間でよかった。
 わたしには何もない。美しさも。賢さも。善良さも。あるのは不健康な心。しょっちゅう発病してしまう心。ぶちぶちと暗い言葉ばかり吐き出す心。
 わたしには自己肯定感がない。いつもいつも自分を最低なものにしてしまう。
 ・・・・・・こんなことを思ってしまった。