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椿餅と源氏物語――次代の低き貴公子達と恋の終幕

記憶の本棚−ほんの感想

(承前)
椿餅を、蹴鞠の後の宴で若い貴族たちがはしゃぎながらつまむ「若菜 上」。
つづく「若菜 下」では、恋心の高じた柏木がついに侵入し、女三の宮は妊娠してしまう(次巻「柏木」で男児の薫を出産)。
世間からすると、栄華を極めた源氏が老いてなお、血統の良い子を得るので大変な慶事なのだけれど、秘密を知っている源氏の内面は暗黒そのものだ。
若い二人に対する憎悪。
それでもなお募る、女三の宮への執心。


ただ、一般的な不倫と異なるのは、源氏が自分の過去に照らし、初めて父帝の心に思い至るところである。
源氏は初恋の相手で、父帝(桐壺帝)の后である「藤壺の中宮」(つまり義母)と関係を持ち、子どもまでもうけた。
それだけでなく、その子どもを天皇につけて(冷泉帝)、自らの栄華を盤石なものしたという過去があった‥‥

故院の上も、かく御心には、しろしめしてや、知らず顔つくらせ給ひけむ、
思へば、その世のことこそは、いと恐ろしく、あるまじき過ちなりけれ、
と近き例(ためし)をおぼすにぞ、
恋の山路は、えもどくまじき御心まじりける。


ところが、このように悟った一方で、源氏はこの後、意図しない“殺人”に及んでしまう。
不倫・妊娠の発覚から数か月後、女三の宮主催の「朱雀院 五十の御賀」の試楽の後宴で。

「過ぐる齢(よはひ)に添へては、酔ひ泣きこそ、止めがたきわざなりけれ。
衛門督(柏木)、心とどめて、ほほ笑まるる、いと心はづかしや。
さりとも、今しばしならん。
さかさまに行かぬ年月(としつき)よ。
老いは、え逃れぬわざなり。」


とて、うち見やり給ふに、
人よりけにまめだち屈じて、まことに心地いと悩ましければ、いみじきことも目も留まらぬ心地する人(柏木のこと)をしも、
さしわきて、空酔いをしつつ、かくのたまふ、
戯れのやうなれど、(柏木は)いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭(かしら)痛くおぼゆれば、けしきばかりにて紛らわすを、
(源氏は)ご覧じ咎めて、持たせながら、たびたび強い給へば‥‥


心地かき乱りて、耐へがたければ、まだ事も果てぬに罷で給ひぬるままに‥‥

「年を取ると、酒を飲んでも、泣けてくるなあ。
あ、柏木が私をあざ笑っているよ。
でも、すぐなんだぞ。
さかさまに行かぬ年月だよ。
老いは逃れられないことなんだぜ、柏木よ」


柏木は、恋愛によって最高権力者を凌駕することを夢見ていたはずだが、源氏のこの痛烈な皮肉や、酒盃の強要に決定的な打撃を受け、亡くなってしまう(「柏木」)
源氏の残酷なふるまいによって、柏木の人生は暗転しただけでなく、生命まで絶たれたのだ。


ところで、「さかさまに行かぬ年月よ」は、源氏物語のなかでも印象的なせりふだ。
時の流れの中で、多くの登場人物の気持ちが変わっていったこと、どんな優れた人物も時の流れの中でしか生きられなかったことが思われる。
それから、言葉によって死んでしまう運命をもたらしたことも興味深い。
それまで、源氏は言葉(話や文)によって愛を手に入れてきた。
幸福も死も司っている言葉の力に震撼させられる。


薫の誕生を、源氏は藤壺中宮との不倫の報いだと思う。

さても、あやしや、我が世とともに、恐ろしと思ひしことの報ひなめり、
この世にて、かく思ひかけぬことに向かはりぬれば、後の世の罪も少し軽みなんや

また、誕生五十日のお祝いでは、柏木を思い出す様子の見えない女三の宮と違い、抱き上げた薫のかわいらしい様子に柏木を偲ぶ。

はかなかりける人の契りかな、と見給ふに、大方の世の定めなさもおぼし続けられて、涙ほろほろとこぼれぬるを、今日は言忌(こといみ)すべきを、とおしのごひ隠し給ひて、「静かに思ひて嗟(なげ)くに堪えたり」とうち誦し給ふ。


人知れず、はかなき形見ばかりをとどめ置きて、さばかり思ひ上がり、およすげたりし身を、心もて失ひつるよ、とあはれに惜しければ、めざましと思ふ心も引き返し、うち泣かれ給ひぬ。

自分に対する因果応報だと考えたり、柏木を思い、その死を心から哀惜する源氏には、「藤裏葉」までの“第一部”の偉大な源氏像の名残がある。
しかし、若者に若い妻を寝取られる、という同じ立場になってみて、亡き父帝の包容力に気づかされたものの、結局は桐壺帝と違って、苦しみを内面で抑えて乗り越えることはできなかった‥‥


――一方、独りよがりな恋に溺れ、密通・妊娠が発覚したとたん、源氏を恐れ、ついには死んでしまう柏木は弱々しく、小者である。
恋する貴公子に期待したいものとは正反対の卑俗さ、小ささにはがっかりさせられてしまう。


数十年前の源氏と藤壺中宮の関係には、背徳にまつわる美、崇高な美しさが醸されていた。
我が子(冷泉帝)を守り抜く藤壺中宮に至っては神々しくもあった。
けれども、老年の源氏が受けたしっぺ返し(報い)は、真の愛からほど遠い、愚かな若者たちによる軽率な過ちに過ぎない。
この痛烈な皮肉。


(源氏物語で繰り返される不倫や隠し子といった、秘密の連鎖は、当時の現実であり、公的記録には残らない事実に裏打ちされているように思われてならない)


柏木の卑小さは、誰もが持っている滑稽さでもあるが、思慮が足りず、思い込みと軽率な行為により、多大な迷惑をかける若者像につながる。
この造型は源氏亡き後の“第三部”、とくに「宇治十帖」へつながっていると思う。
源氏は、巨大で、輝く男神みたいな存在である。
正編で、その主神と比べて劣る柏木は死ぬ(=排除される)けれど、続編の「宇治十帖」では、こういう現代的で、奥行きのない薄っぺらな小物の若者である薫大将や匂宮が闊歩している。
彼らはついぞ死なない。
おそらく、浮舟死去(実際は失踪)後も、あんな感じのまま、空虚に生きていったのではないか。


――振り返ると、源氏ははやくも三〇代から、恋愛の幸福に浴していない。
明石より帰京してから、物語では美しい恋の成就なんて描かれていない。
たとえば、美しく機知に富んだ玉鬘の結婚は、本当の幸福には見えない。
柏木の未亡人(落葉の宮/女二の宮)に対する夕霧の求婚と成功は、恐ろしいドメスチック・バイオレンス、精神的な暴力そのものでしかない。


同時に、それまで賞賛されていた恋愛関係、結婚の破綻もつぎつぎに描かれる。
初恋の幼なじみ同士のほほえましい結婚であった夕霧、雲居雁には、生活感に満ちた倦怠期、実質的な破綻が訪れる。
女性らしく柔和な朧月夜(源氏と青春をともに過ごした同級生みたいな存在)も出家する。
ついには、作者が愛と幸福をとりあつめたヒロイン、紫の上も出家を希望するが、それは源氏への離別宣告に等しい。


さらに、源氏亡き「雲隠」後になると、男女の関係は格段に荒涼とする。
結婚は、玉鬘の娘姉妹といい、上流貴族の現実的なあり方が写し描かれているだけだ。
正編みたいなロマンチックな関係は皆無である。
(内向的な宇治の姉姫「大君」と薫はたしかにお似合いで、薫の思いは熱烈だけれど、結婚に夢を持てない大君は壮絶な死を遂げてしまう)
一般的なかわいらしい姫君である、宇治の妹姫「中の君」の上にも、愛は移ろっていく。


そんな空虚で灰色、ひんやりとした冷たさに覆われる世界で、身分は低く、ど田舎の東国(常陸国)育ちで、教養も才能もない女が、上流階級の男二人に愛され(執着され)、性の愉楽も味わったのに、最後にたった一人、行動する人になる。
浮舟である。
この若く愚かな女が最後に拒絶し、捨てたのは軽薄な匂宮や屈託を抱える薫というより、常識的な恋であり、男女をつがわせようとする俗世間。
そして、何かの代償であるような恋愛(閉塞的な社会での逃避、冒険や権力の代替)を作り出すものだろう。


「宇治十帖」別作者説がある。
けれども、現実の恋愛や結婚に対する冷めた見方、物語展開の一貫性から、源氏物語は紫式部という一人の作者が書き進め、「夢浮橋」に至ったのだと思う。
伝統菓子だという椿餅をつまんで、ほっこりしたいけれど、傑作である『源氏物語』は悲劇、不幸満載の大河小説で、興味深いところが多く、なかなか味わいきれない。
けれども、椿餅についての記事(読売新聞/斎藤雄介氏)のおかげで、一口大の和菓子とお茶を一服楽しむように、一部を味読できた。