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源氏物語パスファインダー/源氏物語ブック

記憶の本棚−ほんの感想

 ことしの大学入試センター試験の国語は、古文の問題が難しく、全体の平均点も最低だったらしい。
 たしかに『源氏物語』は、和文体の「小説」の最高峰だ。
 けれども、屈折した心理が精緻、複雑な文体で織りなされている世界に、楽しく気軽に入っていける本がある。



 自分は『源氏物語』を読みはじめた20代、一話(巻)読むと、やりきれなくなった。
 それどころか、不毛な結末に、ちょっと気持ち悪くなることもあった。
 そんなときでも、深海から水面へ上がって、新鮮な空気を吸い、息継ぎができたような本。



 高校時代、源氏物語についてレポートを書く宿題が出されたとき、どの巻にどんな読みどころがあるのか教えてくれた本。
 あらすじ、魅力的な場面、印象的な登場人物、女人たち‥‥
 それから、別文献に描かれた、同時代の女性たちの生き生きした姿。
  (清少納言の「枕草子」や、それについての本など)



 この作品は、世界最古の長編小説、現代ならノーベル賞の傑作、などと高く評価されているけれど、観る映画やまんが、小説を選ぶときのように、何かしらに興味を持ってから読めばいい。
 1000年前の関東(千葉県)で『源氏物語』を知り、夢中になった子どももそうだったのだから。

 世の中に物語といふもののあんなるを
  いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間宵居などに
   姉、継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど
    ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど


 紫のゆかりを見て、つづきを見まほしくおぼゆれど


 この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せたまへ、と心のうちに祈る‥‥

 紫式部が死んで約7年後、という早い時期に通称、菅原孝標の女(むすめ)は「源氏の五十余巻」を読むことができたらしい(清水好子『源氏物語手鏡』)
 『源氏物語』はまず、紫式部の“原文”を、美しい手跡と贅をこらした料紙・裂(きれ)により、最高級の工芸品に仕立てて、主人の彰子中宮をはじめ、藤原道長の血縁者に献呈されただろう。
 もしかしたら、『更級日記』の回想は、上つ人々が享受していた源氏物語全巻を、早い頃に少女として読む幸運に恵まれたという、同時代人にはわかる誇りでもあるのだろうか。

 はしるはしる、わづかに見つつ、心も得ず、心もとなく思ふ源氏を、
 一の巻よりして、人もまじらず、几帳(きちょう)の内にうち臥して、引き出でつつ見るここち、后の位も何にかはせむ。
 昼は日ぐらし、夜は目の覚めたるかぎり、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ…

 “源氏物語パスファインダー”をつくりたいと思っている。
 パスファインダーとは「道しるべ」の意で、図書館関係では、特定の分野を知るための本の紹介集、ブックガイドのこと。
 真実「あづま路の道の果てよりも、なお奥つ方に生い出でたる」わたしが教えられて、狭い家の本棚にいまも置いている本。
 最近もそれらの本に、ハッとさせられた。

 『源氏』の書かれた時代の頭のいい女たちは、もはや一夫多妻という情けない結婚に自分の生涯をかけようとは考えなくなっていたのではないか。


 この時代のいわゆる才女たちが多方面で活躍したのは、結婚生活での不合理や哀しみを乗り越えるためだったと今思い当たる。


 そうした才能豊かな、いわゆる“中の品(しな)”の身分の女人たちについてはほとんど描かれていない。


    『読み解き 源氏物語』 近藤富枝 (河出文庫)

 「こんなに主人公を甘やかす作者も珍しいわねぇ」

 「匂宮(におうのみや)、薫(かおる)大将に話がなると一ぺんに世帯じみちゃうわね」

と印象的なことをしゃべった(『読み解き 源氏物語』)という円地文子さんの本にも、目を開かされる指摘がいっぱいある。

 紫の上はあまり常識の枠にはまり過ぎた優等生すぎて、(略) 永遠の女性にはなり得ない


 紫の上の孤独と離愁を救おうとして(?)三の宮をはじめから、他愛ない性格の女に設定した。


 才能の点で紫の上は藤壺に勝っていたかも知れない。
 しかし、ドラマとしてみるとき、藤壺には (略) どうにもならない大きな破れが宿命として与えられている。


 源氏の落魄時代に (略) 紫の上に対して、何一つ、誘惑らしい事柄は起こっていないではないか。


 光源氏の好配として、並べて置くたのしみをうち消さないために (略) 魔法の帳(とばり)をかけ渡したのである。


     『源氏物語私見』 円地文子 (講談社文芸文庫  併録『なまみこ物語』)


 一番好きなヒロインは? と問われれば、紫の上を挙げたくなる。
 幸福な要素が多いから。
 落ち着いて読めば、違うのに。
 読者のわたしも、いい男の「の好配として、並べて置くたのしみ」を味わいたいのだ。
 ――窈窕淑女  君子好逑
      窈窕(ようちょう)たる淑女は 君子の好逑(こうきゅう)   「詩経」――



 「野分」の巻では、桜のごとき人、と表現されている紫の上。

 見通し露(あら)はなるひさしの御座(おまし)に居給へる人
  ものに紛るべくもあらず
   気高くきよらに
    さと、にほふ心地して
     春のあけぼのの霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す

 古今集などの和歌を読めば、桜は日本を代表する花だ。
 紫式部は最高の表現で讃えたのだ。
 


 光源氏から贈られる衣装も、大人としての艶やかさを持ちつつも、かわいらしいイメージ。

 紅梅の
 いと紋浮きたる
 ゑび染めの御小うちぎ
 今様色のいとすぐれたる


   「玉鬘」

 甘やかで幸福に見えるところ、美しく造られた庭園内にあるために安全な池に耽溺してしまうわたしは、「紫の上はヒロインではない」と喝破する円地文子さんの冷静な意見にハッとさせられる。


 源氏物語についての本、源氏物語ブックは、魅力的な入り口・ゲートになってくれる世界であり、源氏物語を深く読みこんできた尊敬すべき諸姉に出会える世界でもある。