書店の棚や、売り上げランキングを見ると、世の中には自己啓発書があふれている。
「自分には必要ない」と思っていたが、ふと気づいた。
世阿弥の文章は、断片であっても、りっぱな自己啓発書ではないだろうか。
有名な『風姿花伝』は、深刻幽玄、むずかしそうに思われるかもしれないけれど、実際は読みやすい。
文章は、『源氏物語』ほど複雑に練られておらず、簡明。
簡潔なあまり、意味がとりにくい文もあるが、そこは注釈や現代語訳に頼ればいい。
書きてゆくに、言葉に花を咲かせんと思ふ心に繋縛(けばく)せられて、句長になるなり。
さやうの心を思ひ切りて書くべし。
「世子六十以後申楽談義」
式亭三馬の『浮世床』や井原西鶴の『好色五人女』は語句がさっぱりしていて、内容には生命力があって、好きだ。
けれども、もっとむかし、室町の最高権力者、足利義満のまえで、少年時代に歌い舞った“ジェア”(と呼ばれていたらしい)の著述こそ、すがるように何度か読んだ。
橋がかりに歩み止まりて、諸方をうかがひて、「すは声を出だすよ」と、
諸人一同に待ち受くるすなはちに、声を出だすべし。
これ、諸人の心を受けて声を出だす、時節感当なり。
「花鏡」
技術論なのだ。
人に理解してもらうための技術・スキルが、箇条書きで、ていねいに書かれている。
現代でも、芸術・芸能関係に限らず、人前で発表したり、説明する仕事をしている人なら、誰にでも役立つと思う。
もちろん、美学論・芸術論でもある。
なにが美しいのか、すばらしいのか。
富や地位におもねることなく、一貫して、真理が主張されている。
でも、いちばんは人生論だから。
子ども時代から、老いる時まで。
どのように生きるべきなのか。
よく知られているように、「花」という比喩表現で印象的に説かれている。
もし、この頃まで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ。
「風姿花伝」〈四十四、五歳〉
小説よりも、人生論を読みたい時がある。
世阿弥の文章は、少し前の時代の「徒然草」とは違って、エッセイ、エピソード集ではない。
人々――鑑識眼を身につけた貴人から庶民まで、あらゆる階層の人々――から評価されるための技術について、芸の術(すべ)、芸人としての生き方が、わかりやすい短文で説明されているものだ。
しかし、芸を極め、称賛された世阿弥は晩年、期待の息子を失い、それだけでなく、無実の罪で佐渡島に流されたという。
そのような苦しい人生のなかにあっても、芸術を追求した文章を書き続けたことを尊敬する。
衆人愛敬欠けたるところあらんをば、寿福増長の為手(して)とは申しがたし。
しかれば亡父は、いかなる田舎・山里の片辺(かたほとり)にても、その心をうけて、所の風儀を一大事にかけて、芸をせしなり。
「風姿花伝」〈奥義に云はく〉
世阿弥の著述は、明治時代になって、野上豊一郎ら大学の研究者に見いだされ、約100年前に世の中に広まったらしい。
すばらしい遺産の発見、万歳万歳!
- ジャンル: 本・雑誌・コミック > エンターテインメント > 演劇・舞踊 > 歌舞伎・能
- ショップ: オンライン書店boox
- 価格: 3,240円
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1961
- メディア: ?
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログを見る