このタイトルに、多くの人は変な気がするだろうし、不遜と感じるかもしれない。
一般的に想起されるのは皇居の行事であり、それは講書始の儀といわれ、学問始でもあり、皇族がノーベル賞受賞者らとともに、各界学識者から講義をお聞きになる儀式のようだから。
わたしのは学問などというものではないし、「自分は王様だ」という気分で日々過ごせたらどんなに楽だろう、と思うタチだ。
そもそも講書始と、楽しい読み物、『ホビットの冒険』とは普通、つながらない。
けれども、新鮮な気持ちでいたいという我がままから、読書始、書初につづけて講書始といいたいし、『ホビットの冒険』はわたしにとって十分に値すると、今回思ったのだ。
「文は人なり」という言葉があるが、一般的な意味とは別に、わたしにとって、「文」は「人」だ。
「本は友だち」といった言い回しがあるけれど、比喩でもなんでもなく、実際に、本は友人だ。
2013年の年頭にあたり、『ホビットの冒険』は講師だった。
この本の存在を知ったのは、一時期、何度も読んでいた『銀の馬車』(C・アドラー作)。
小学校1年生の女の子が夏休み、課題図書にするような本、という印象を得た。
実際に読んだのは、大人になってからで、夢中になった。
『指輪物語』は一回しか通読していないのに、『ホビットの冒険』は何度も読んだ。
「桃太郎」的で、軽快な冒険活劇だからか。
美味しそうな食べ物についての記述がくりかえし出てくるからか。
ハッピーエンドだからか。
戦争についてのくだりに、いつも胸が熱くなるからか。
今まで、かずかずの戦(いくさ)のほめ歌をきかされてきた。そしていつも、ほろびる者に栄光があると思ってきた。だが戦とは、ひさんなばかりでなく、まことにやりきれないものだ。
今回やっと気づいたのは、一般的な冒険譚、宝探しの物語、英雄ファンタジーのパロディーになっている、ということ。
胸を高揚させて旅に出たものの、雨に降られ、食べ物はなくなる。
嗚呼、あったかい暖炉、甘みたっぷりの好物、清潔でふかふかなベッド‥‥
うちに帰れたらと望むのは、これがおしまいではありませんでした。
こういった文が出てくるたびにおかしい。
『指輪物語』『ロード・オブ・ザ・リング』における賢人の印象と違って、ガンダルフは、カッとなるような困ったところもある。
族長トーリンはプライド高く、何かというと、ものものしい演説をぶつ。
それは現実の偉いさんたちを想起させる。
読む者の身近にもいるような、人間味あるキャラクターたちによって出来ている物語だ。
なぜ、映画に諸手を挙げて駆け寄れないのか。
それは『ホビットの冒険』が、言葉による作品だからだ。
(岩波書店版の寺島竜一氏の挿絵は大好きだけれど)、『ホビットの冒険』は言葉によって成立し、傑作となっているからだ。
描かれているものをそのまま映像にするだけでは、冗長でひとりよがりになってしまうだろう。
文芸作品は地の文、語り口でも、思いを表現している。
場面場面の色調を作っている。
『ホビットの冒険』では、わたしたちも言葉についての楽しい冒険を豊かに体験できる。
全体を貫く冒険物・古伝承のパロディ。
古めかしくもなつかしく、民謡めいてもいる詩。
なぞなぞ。
ビルボ・バギンズが、「父が」「父が」という頭語で挙げることわざの数々。
ビルボの言動がことわざになる、という付け足し。
地底湖でのゴクリとの対峙は、印象的だ。
ふたりを映像として見るだけだと、なぜ力を使わないのか、ふしぎに思うかもしれない。
けれども、本ではゴクリの気味悪い視覚的な姿など関係なく、ただ、なぞなぞに答える、という黙契の上に自然と成り立っている。
そこがあの場面の、言葉しか成し得ない微妙な力学にもとづく楽しさでもある。
ホビット(HOBBIT)はラビットに由来するとしか、イギリス文学に詳しくないわたしには思えない。
ピーター・ラビットのように、身近で、どこにでもいる。
保守的で小市民的なビルボは、日本にもいるような存在だ。
ロマンチックな希求を、自分も気づかないうちに押し込めて、安楽に生活していた人間が冒険の果て、何を持ち帰ったのか。
桃太郎のように金銀財宝ではないところに、はじめて読んだ時、圧倒された。
――詩心。
この贈り物の発表が、本作品がまさに言葉による作品そのものであることを感じさせるクライマックスになっている。
寝食のことばかり夢見ていたビルボは、故郷で詩を吟じ、書き物をする人になるというハッピーエンド。
『ゆきてかえりし物語』というサブタイトルはかっこいいし、現代的な語で訳され、詳しい注釈のついた“新版”も勢い込んで買った。
けれども、やはり「本は人」なのだ。
人生ではいくら欠点があっても、なじみのある人や好きな人とつきあい続けるように、瀬田訳の『ホビットの冒険』が好きだ。
正しい知識を用い、標準語やキングスイングリッシュを駆使する人よりも、なつかしいふるさとの言葉や、あたたかみある仲間内の言葉を使う人にこそ、限りない親しみを覚えるように、「スモーグ」よりも「スマウグ」が、「ゴラム」よりも「ゴクリ」が、わたしの中では生きている。
***後記***
小説への敬愛が伝わってくるものとして、『手紙、栞を添えて』(辻邦生・水村美苗共著)が10代から好きだった。
才知もユーモアも感じられる書評を、自分が書けるようになるとは夢想だにしていなかったけれど、いまだに本のことを書いても、少年文庫の作品を高く掲げ、「本は友だち」と連呼している自分。
落差がほろ苦くもあるし、おかしい。
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