読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『武田百合子』第5巻!

『精選女性随筆集』という本が、川上弘美と小池真理子の選で刊行されることを、新聞の広告で知る(文藝春秋)
1冊、1890円もする。全12巻。
広告は大きくはなくて、タイトルは第1巻『幸田文』(川上選)と『森茉莉・吉屋信子』(小池選)のみ。


けれども、「武田百合子さんの作品も収録されるかもしれない」と思った。
インターネットで検索すると、まるまる1冊、『武田百合子』が6月上旬に第5巻として発売されることが判明。
第1巻の写真を見ると、立派そうだ。


百合子さんには、単行本未収録のエッセイが驚くほどたくさんある。
内容も、とてもいい。
わたしは図書館の目録で探し、古い雑誌をコピーしては、そんな紙片をためたのだった。
百合子さんは決して「寡作の作家」ではない。
ぜひ、今まで以上に収録されて、多くの方に、百合子さんの別の面を見ていただければうれしい。


日曜日、新聞の読書ページにも、『随筆集』のことが紹介されていた。
ちょうど隣には、百合子さんとも親しかった深沢七郎氏についての本の書評。
ただ、紹介された女性作家の羅列に、百合子さんの名前は挙がっていなかった。
確かに、プロとして若い時から精力的に発表し、さまざまな有名なメディアに登場していた(家族による回想の文章もふくめて)、いまや国民的な作家たちに比べれば、当たり前のことだ。


わたしが武田百合子さんのことを知ったのは、訃報記事だった。
小さな顔写真も載っていたかもしれない。
わたしに印象づけられたこと、それは有名な作家の奥さんで、日記を書いたら評価されたということ。


『昭和』(講談社)を読んでいた時、日記を初めて読んだ。
図書館の書架で『富士日記』に出会い、夢中になった。
文庫本を買い集めた。
田舎の店頭に平積みされていた単行本『日日雑記』に出会えて、うれしかった。


古事記や古代に関心のあったわたしが、百合子さんについて調べることにした。
現代のエッセイという分野に対し、評価する人もいなかったけれど、百合子さんのことを知っている人もいなかった。
はじめは『武田百合子全作品』全7巻(中央公論社)の作品そのものや、解説などを。
「情報は活字化されたものしかない」と思っていて、それらを読んでいた。
けれども、単行本未収録作品に出会ったのだった。
別の世界が広がった。


一方、きれいな初版本も集めた。
『日日雑記』の直筆草稿を入手することができた。


百合子さんを高く評価している作家さんはいた。
たとえば、川上弘美さん、金井美恵子さん、須賀敦子さん(全集4巻『本に読まれて』)
川上さんは、新聞でもおすすめ本に挙げていた。


Kawade夢ムック『武田百合子 天衣無縫の文章家』(河出書房新社)が出版された。
しばらく前も、高崎の書店で目立つように立てかけられていて、うれしかったな。
NHKで取り上げられた。



わたし自身が今、関心があるのは、随筆、エッセイとは何なのか、ということ。
そして、女性作家の運命。
作家として生きるには、どんな条件があるのか?


たとえば、田辺聖子さんは1928年生まれで、百合子さんよりわずか3歳年下なだけだ。
戦争が終わった時はまだ学生で、教育熱心なお母さんの影響もあってか、大学へ進んだ。
働きながら、小説を書き続けた。


須賀敦子さんは1929年生まれ、百合子さんより4歳年下なだけだ。
戦後、大学に進学し、外遊したお父さんの影響もあってか、ヨーロッパへ。
出版界に現れたのは遅いけれど、それまでも、書いていた人であった。


また、幸田文さんは1904年生まれ、百合子さんの21歳年上(親族にたとえれば、叔母さんであろうか)
森茉莉さんは1903年生まれ。
戦争が終わった時、ふたりは中年の生活者で、文豪の父親についての回想を世に出すところから、フィクションへも作家的力量を広げていった。


そして、武田百合子さんは1925(大正末)年生まれ
(だから、昭和時代は元号の数字がそのまま年齢になって、わかりやすい)
生きていらっしゃれば、今年9月は87歳の米寿直前。


百合子さんのお母さんは早くに亡くなった。
お父さんは、村松友視さんの『百合子さんは何色』などによると、遊芸、趣味で絵を描くことなどにも関心があったようだ。
百合子さんは、終戦前2年前に横浜第二高等女学校を卒業し、家にいた。
ちなみに弟さんは、東京大学に進学している。
百合子さんは戦後、お見合いを盛んに勧められたという。


もちろん、わたしには百合子さんがどう考えていたのか、感じていたのか、わからない。
ただ、終戦の時、何歳であったか。
女子の教育、20代の生き方について、どのように考えていた家庭であったか。
この2つが大きな分かれ目のように思っている。