好きな言葉「内田百輭」

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/books/jewel_case1.html より。今後はそちらで加筆修正していきます。

好きな言葉・文章


義兄は(略)もともと口数の少ない人なのだ。夫が死んだときも、終始黙々と控えて、自分の感慨は口に出さなかった。一度だけ、お骨にして焼場から戻る道で、「さっき、おかまの奥へお棺がすーっと入って扉が閉まった瞬間、いまと同じ気持ち、ずっと前にもしたことがあるの思いだしたよ。サッちゃん(夫の幼名)が出征するのを品川駅で見送ったときの気持だ」と、私のそばへきて小声で言った。

(略)目黒の雅叙園へ行った。(略)

ロビーの格天井の一コマに一種類ずつ、カボチャ、バナナ、仏手柑、桃、ブドウなど、漆塗りの果物の彫刻がはめてある。遊園地の張りぼてのような滝。便所の戸をあけると池があり、池には鯉が近づいたり遠ざかったりして泳ぎまわり、丹塗りの欄干の橋がかけてある。橋をわたって便所に入れば、中は床の間のちがい棚がついていて人が数人はねころべる広さ。鳥海の間という座敷まで、雲母色の光線の澱んだ薄暗い幅広の長い廊下をスリッパで踏んで渡って行くのだけれど、右側の壁はいちめん鏡張りで、左の壁に並べ飾られた美人画や風景の前を通過するとき、自分の姿が、濁り水の中から浮び上って画中の人物になったようにうつる。なまめかしい、くすぐったい気分だった。

 鳥海の間の格天井に、それぞれはめてある絵は、極彩色のたこ、かに、貝、魚、水鳥など。壁の絵は水鳥と草花。床の間の掛軸は、大輪の白い花に二匹の蜂がきている絵。竜宮城になっているのだった。

 出典 武田百合子『日日雑記』

「ある日。庫裏の方に大工が入っているらしく、シロちゃん(住職)が…」より (わたしの数え方では第18節)

 初出(推定)『マリ・クレール』1988年6月号連載3

 私記

 雅叙園の描写が好きだ。わたしはこういう、必要以上に過剰で、身も蓋もなくいえば俗悪で品のない装飾が好きなのかもしれない。『芸術新潮』2003年2月号を見て確信した。「特集 ワビサビなんてぶっ飛ばせ! バロック王国ニッポン」(小野一郎・山口由美)のはじめに、雅叙園の室内装飾がとりあげられていたのだ。

 また、雑誌の導入にも『千と千尋の神隠し』がもちいられていたが(1ページに、赤い外壁の油屋の大きなコマあり)、この雑誌の写真(小野一郎)には、金色の壁に、花がおおきく極彩色で描かれていたあの廊下を想起せずにはいられなかった。『千と千尋の神隠し』は、厨房もふくめ、遊郭みたいな油屋のシーンだけ、巻きもどし巻きもどし見た。

 ところでこの雑誌には、百合子さんの文章に描かれている部分の写真はない。1985(昭和63)年に「文化財」以外は取り壊されたそうで、もしかしたらそれと関係しているのかも知れない。






 野口はそう云って、それから私の顔を見て続けた。

「君には自殺する勇気もないし」

「勇気もなさそうだが、どうせ死ぬにきまってるんだから、ほうって置けばいい」
『山高帽子』





一体、一たび借りた金を、後に至って返すという事は、可能なりや。

或(あるい)は所要の半分しか貸してくれなくても不足らしい顔をすれば、引込めるかも知れないから、大いに有り難く拝借し、全額に相当する感謝を致して、引下がる。何と云う心的鍛錬、何と云う天の与え給いし卓越せる道徳的伏線だろう。宜(むべ)なる哉(かな)、月月の出入りを細かく勘定し、余裕とてはなけれども、憚(はばか)り乍(なが)ら借金は致しませぬ事を自慢にしている手合に君子はいないのである。

生きているのは退儀である。しかし死ぬのは少少怖い。死んだ後のことhはかまわないけれど、死ぬ時の様子が、どうも面白くない。妙な顔をしたり、変な声を出したりするのは感心しない。ただ、そこの所だけ通り越してしまえば、その後は、矢っ張り死んだ方がとくだと思う。

『無恒債者無恒心』
出典 ちくま日本文学全集 内田百輭より

 私記

 雲泥の差、という言葉があるけれど、この本を読んでいたら、百輭に比べれば、わたしは泥だなあと思った。それも、わずか一つまみの泥。その一粒の泥は、地球のすみっこの地上にあって、ほかの茶色い泥と区別がつかないのだ。

 こういうことも思った。最近は、言葉をつくして、おどしたり、華麗にしたりして、自分の主張に引きつける文章が多いと思っていた。でも、ものをただ描くだけで、ある見方を描ききることができるのだ。