「とにかく吉行淳之介」さん

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/tape.htmlからの転載です。今後はそちらで書き直していきます。


武田百合子さんの年譜における引用・リンクを快諾してくださったboo-sukeさんが「とにかく吉行淳之介」リンクコーナーで紹介してくださいました。ありがとうございます!

武田百合子さんにとって、また、森茉莉さんにとっても、吉行淳之介さんは最愛の作家のひとりだったようです。「とにかく吉行淳之介」はそんな魅力ある作家への愛情にあふれ、かつ、資料満載です。まだご存じない方は覗いてみてください。




冒頭の文章を初めて書いてから、1年が過ぎました。そこにあるように、春、展覧会の感想から始まったサイトでした。

 なぜかというと、東京や大都市などの大きなものはあるけれど、わたしが行くような所のものはほとんど見あたらなかったのです。

 このページはのちに「眼玉と歩いた」となりました。武田百合子さんがエッセイに使うときの「眼玉」という言葉と、村田喜代子さんのエッセイ『目玉の散歩 アメリカ篇』が好きで、それらの魅力にあやかりたかったからです。

 それだけでなく、美術館というのは、たいていは館内を自分の足で歩き回ってアートに出会うという、不思議な場所です。歩くという運動と、すばらしい作品によって、頭がぼうーっとしてきます。自分が無くなります。そんななか、目玉だけが、クリアになって、「もっと見たい!」という欲望が渦巻いて充満して、一匹の生き物のようになって、わたしをぐいぐいと引っ張っていくような感覚がするのです。

 それを、ふたりの作家の言葉に触発されたのでした。一生懸命考えたけれども、おふたりの言葉、表現、文章には、とうてい及びません。

 ところで、なぜ目かといえば、いまの美術館では目でしか、触れることができないからです。わたしは、お茶碗や器、布、服のすばらしさに気づかされました。それらは、持つことも大事な要素で、手に取り、持つことで一層楽しくなるのです。今後は、拙コンテンツの名前も変わるかもしれません。


6月ごろ、山を歩いたときや後にノートに書いていたような感想を載せるようになりました。「山月記 自然についての感想」というタイトルでした。その後、「田舎暮らし」と入れたことで、書く対象が広がりました。もともと、山野を散歩をすると頭によく浮かんだ本、詩歌や小説、エッセイのことが加わるようになりました。

 本の感想が自分に書けるとは思えませんでした。それでも、何かしたくて「よかったほんのリスト」を作りました。本当にリストでした。ところが夏ごろ、感想を挟むようになり、とうとう別に「ほんの感想(長めのもの)」を作りました。

 作ってみると、自分がたどってきた跡がすこしは見えるように思います。

秋、数年前から考えていた、武田百合子さん関係のコンテンツを置くことができました。これで、かねてから夢だった、自分の好きな美術と本と自然に言及したサイトができたわけです。これ以上、分野は増えないだろうと思っていました。

 ところが、ある映画のあまりの衝撃に、「テアトルてれび」を作ってしまったのです。「テアトル」はシアター、劇場、映画館。思えば、わたしはそこへは行かず、テレビで出会う映画に“感動”してきたのでした。それで、こんなタイトルを考えました。

 そのほかのコンテンツは、「あったらいいなあ」と思いつつも、わたしには作れそうにないものでした。それが勢いで出来てしまったのでした。これからも、何かを作ってしまうかもしれません。

しかし、これは反省点でもあります。新しいページ(ファイル)は簡単に作れてしまいます。体裁のことだけではありません。

世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出だせるなり 
古今和歌集・仮名序
とはいえ、心の深いところに静かにためていく詩人や作家たちとは違って、たいして考えず直に出してしまうのです。読み返すと、文章としても恥ずかしいものが拙サイトには散見されます。小人の駄文による雑記・雑録サイトとはいえ、定期的に読み直して修正・削除していくことにしました。