読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イタリア旅行記2



ヴェネツィア



 夕方、港(?)に着いた。このときバスの中で、大好きだった赤いヘアピンをなくした。

 海の脇を歩いてホテルに入った。駅の近く。となりは「未来」という寿司や。部屋はへんな形な気がした。ヴェネツィアは土地が狭いのかもしれない。

 荷物を置いた後、ゴンドラに乗った。じゃんけんに勝ったので、王様席。ゴンドラはのろかった。近くを船がすごい勢いで移動していった。きっと、こんな装飾的で非実用的な船に乗ってしまうのは、わたしのようなのんきな観光客なのだろう。

 小路に入ると、まわりの建物には明かりが付いていない部屋が多かった。全体が裏寂れて見えた。ヴェネツィアは流行っていないのかもしれない、と思った。

 ところどころ、電気のついてるお店の近くを通った。おもちゃのように可愛く美しかった。漕ぎ手の歌は、あんまりうまくないようだった。



サン・マルコ広場


 ヴェネツィアでよかったのは、絵以外では、翌朝の観光で見たドゥカーレ宮殿の石造りの牢獄と、鎧。どちらもいきなり出会って、その迫力に魅了された。当時の牢屋は、日なんか差さなかったのだろう。金属の冷たい甲冑で全身を覆った人間が馬に乗ってとつぜん現れたら、とても怖いだろう、とドキドキした。

 ほかのもの(有名らしい建物やりっぱな部屋、それから、水路のある街並み)には感銘を受けなかった。

 後日テレビに、ヴェネツィアの運河沿いの邸宅のなかが映っていた。柱のついたテラスから見る運河。緑のある中庭。いい感じであった。通っていくだけの無知な人間は魅力に出会えないし、うっすら感じることすら出来ないのかもしれない。

 サン・マルコ大聖堂

 迫力があった。2回入ったかもしれない。最後は自分で。

 印象は金ぴか。なんだか、お仏壇を思い出した。あと、洗練されていない。

 それから、カーペットの敷かれた床は水が入っていて、ぶかぶかしていたこと。

 外の、馬の彫像がダイナミックでよかった。

 広場を取り囲んでいるお店の裏にいってみた。小路は暗かった。

 広場は晴天に変わると、とても気持ちのよい場所であった。対岸のサン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂が美しかった。

 海際で、たいへんに高いものを食べてしまった。でも美味しかったのは、エビの揚げ物ぐらい。観光客はそれなりにいるのに、お店は空いていた。

 日本の湖畔のレストランで食事するような感じだったのかもしれない。あんなことをしてしまったのも、のんきな客だったからだろう。

 あとは自由行動になった。



閉まっていたサン・ジョルジョ信者会

 ヴェネツィアでは、カルパッチョの「聖ジョルジョ」(ジョルジュ・ゲオルギウス)のあるスクオーラ・デリ・スキアヴォーニ(サン・ジョルジョ信者会)が開いていなかったのが残念でならない(何日間か休みらしい。張り紙がしてあった)。ここも、今回の旅行でとても行きたいところだった。

 旅行前、地図で場所を探しておいたけど、小さな場所なのだったので、行けるか不安だった。午後すぐに、外国人しかいない細い道を通り、石の家(?)をくぐって探した。水路際にあった。

 帰り、ある教会の前の広場で、開くのを待っている観光客の列があった。重要な教会らしい。日本人はいなかった。きっと欧米の人は、こういう場所をたくさん知っているのだ。ローマでもそう思った。

 ちなみにこの教会はサン・ザッカリア教会。午後は4時に開き、ティントレットやジョヴァンニ・ベッリーニの祭壇画があるらしい。




 広場のまわりにあるコッレール(コレール)博物館で、ヒエロニムス・ボッス(ボス、ボッシュ)の弟子の絵に出会った。弟子だということは、同時に見ていた欧米人女性の連れの男性が教えてくれてわかった。

 絵は、すごい魅力だった。弟子でこれなら、プラド美術館の「いちごの絵」などの、ボッス自身の作品はどんなにすごいことだろう。

 ヴィットーレ・カルパッチョの「二人の娼婦」が目当てで入ったのだった。窓際にあった気がする。

 広い博物館であった。ここにも武器が展示されていた。

 雨が降りはじめたが、出ると止んで、広場には水たまりができていた気がする。レストランの白い椅子が机に上げられていた。

 広場に面した高い喫茶店に入ってしまった。気がつくと、ガイドブックに載っているページの席だった。しかし、横の鏡は汚かった。日本人女性客が目立った。

 トイレを探した。行くだけで、お店の人が教えてくれるのだった。階段で、降りてくる日本人中年女性とすれ違った。なにも言わないのに、トイレの場所を教えてくれた。日本人女性は、トイレによく行くのかもしれない。どんなトイレだったかは覚えていない。



アカデミア美術館



 薄暗くなってきたころ、人がたくさんいる、幅の広いアカデミア橋(これが有名なリアルト橋かと勘違いしながら)を上って下って、入館。行列なんかしていなかった。荷物を預けた。

 最初は広い部屋に、堅く暗くて怖い感じの、ルネサンス前、中世の聖母像や磔刑図がならんでいた。

 横の部屋に入った。

 アレッツオには行けないけど、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵をウフィツィ美術館で見たいと思っていた。そしたら、ここにもあった。男性像。初めて見たので感動した。

 マンテーニャの厳しい大天使像も。

 学校のスライドで、ジョヴァンニ・ベッリーニの『ゲッセマネのキリスト』にとても感動して、レポートに使ったことがある。朝焼けが心を高ぶらせ、すばらしいのだった。この美術館では、ジョヴァンニ・ベリーニの絵がけっこうあった。いいな、と思うと、その名前なのだった。

 ジョルジョーネの『嵐 ラ・テンペスタ』。すごーく有名なのに、感銘を受けなかった。

 ヴェロネーゼにはうんざりしてしまった。とくに部屋の奥の壁を占拠していた、巨大な『レヴィ家の餐宴』。かつて画集でもいいなと思った通り、緑の服をまとった男性と、ピンク色の服を着た黒人少年の取り合わせは美しい。でも、大きすぎる。誇示している感じ。作家の作品というより、工事の成果みたいな。

 目的だった、ヴィットーレ・カルパッチョの『聖ウルスラの夢』は大きかった。武器の刃物や甲冑が描かれていた。カルパッチョも、金属の冷たい輝きと、怖い形が好きだったのかもしれない。

 旅行前、ティントレットの絵をインターネットで見た。暗い感じで、いいと思わなかった。ところが、海の上に天使が現れているよな絵に釘付け。これが絵だ、と思った。

 途中にあったショップなどで、マウスパットなどを購入。木のアルト橋が描かれたカルパッチョのだ。白い犬が、ゴンドラに乗った人に抱えられて、こちらを見ている。

 閉館までいた。


 
 そして、飛んで帰った。でも、速く見えた船はのろいのだった。波を見ながら、いらいらしてしまった。日本人女性が一人だけいた。乗る前、船の行き先を聞かれた。彼女も不安だったのだろう。船は通勤客でか、込んでいた。

 その後、夜の街を歩いて、お店でサンドイッチと飲み物を買った。お金を払う場所を差してくれているのだけど、意味がわからなかった。でも、なんとか買えてしまう。観光客ばかりを相手にしているから、慣れているし、愛想もいいのかもしれない。こういうところで食べ物屋を開けば、わたしでも一生食べていけるだろうか。

 広めな通りを進んでいくと、曲がり、橋をわたり、違う風景が開けていった。でも、全体が暗かったので、怖い気がして戻った。たぶん、少ししか歩いていなかったろう。



 翌朝はくもり。浴室の窓から近所を撮影。洗濯物がひもに干してある。映画のようだと感動。観光客以外の何者でもなかった。

 バイキングの朝食後、外に出て小路も撮った。近くの小さな広場まで行った。昼間だと趣が違った。水路に、窓からゴミを捨てている住民を見たのは、このときだったろうか。

 フィレンツェへ移動。白い霧に包まれた畑。高速道路は低くて、すぐに畑が広がっている。山を切り開き、崩し、平野でも土を盛り上げて作る日本より、お金がかかっていないことだろう。

 初めての海外旅行で浮き立っているので、霧に見え隠れする送電線の鉄塔まですてきに見えた。写真を撮りまくった。今思うと、日本の鉄塔だって美しい。



フィレンツェ



 ヴェネツィアからフィレンツェに入る前の山がすばらしかった。

 丘のミケランジェロ広場から見た町並みに感動。憧れていたから、というより、美しかったのだ。光を浴びたオレンジ色の街。

 日本人が店長をしているらしい日本料理屋で昼食。お味噌汁がスープのように出て来る。ツアーの人の中に、トイレのドアが開かなくて出られなくなる人発生。

 ホテルはサンタ・クローチェ教会近くの川に面したホテル。対岸には石造りの門の遺跡のようなものが見える。日本とは違う、と思った。でも、丘陵と川の感じは群馬県安中市の碓氷川みたいでもある。


 シニョリーア広場

 黄色っぽい石壁に沿っていく。そばを車がすごい勢いでいく。車の入れない古都ではなかったのか。

 ミケランジェロの白いダヴィデ像は暗い青年。ほかの、略奪とかの派手な彫像に比べると、存在感もあまりない。

 サヴォナローラの焚刑場所を聞いた。石畳にしるしがあった。広場は思っていたより狭かった。こんなところで処刑されたのか。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが首つりの処刑をスケッチしたヴェッキオ宮殿も思っていたより低かった。よく、見えたのかもしれない。

 花の大聖堂(Duomo)

 初めて見たパオロ・ウッチェロの馬の絵に感動。

 翌日、ひとりで来た。今度は地下の遺跡に降りてみた。うろうろしたが、感銘はうけなかった。お金払うんでなかった。

 ところが、ショップの近くの穴になにげなく寄ったら、石があった。それが、フィレンツェで尊敬するようになったブルネッレスキのお墓であった。これはお金を払わなくても見られた。

 ブルネッレスキのことは、ドゥオモのクーポラや、サンタ・クローチェ教会のパッツィ礼拝堂(翌日)を見て、尊敬した。学校でスライドを見ていた時は、わからなかった。


 

 



ウフィッツィ美術館



 最初のほう(窓際の角だったかも)にかかっていた絵。上には馬小屋と聖母子(もちろんヨゼフもいたのだろうが)、下にはロバに乗ってエジプトに逃れる家族などの小絵。

 やさしい目をした茶色い牛もいたけど、どちらにも、青っぽいロバがいた。きっと、同じロバなのだ。そして、けっこうな大きな絵で、いろいろ描かれていたのだけど、このロバがいちばん魅力的だった。

 ウフィツィ美術館には2回入った。最初はツアーで、つぎは自分で。そのときに、この絵に気づいた。ロバが可愛くてずいぶん眺めていた。いまみると、ジェンテーレ・ダ・ファブリアーノの『マギの礼拝』かもしれない。

 最初の時は、パオロ・ウッチェロの馬の絵(本当は戦争の絵。にも関わらず、色彩豊かで装飾的、優雅だし、音の聞こえてこないような絵だった)、ピエロ・デラ・フランチェスカ(ほんとうに夫人の方は死者の顔かもしれない)とか、ボッティチェリとか、フィリッポ・リッピの「聖母子像」などとか、授業で見ていたなつかしいネーデルラントの絵( )とか、有名で画集でも見たことのある絵ばかり目がいっていた。そもそも、ガイドに案内され、とーっても忙しかった。
 (「ヴィーナスの誕生」も「春 プリマベーラ」も、あっさりと淡泊に見えた。部屋に貼っている「春」の等身大の部分(三美神)のほうがずっと魅力あった)

 結局、閉館になって全部の部屋は見られなかった。

 この2回目のことで覚えているのは、ルーカス・クラーナハ(クラナッハ)の「イヴ」(エヴァ)。クラナーハの絵があるとは思わなかった(調べていかなかった)からだけでなく、噂にたがわない肌の質感に仰天した。あんなにきれいな肌の絵を見たことがなかった。なめらか、というだけではない。技術のすばらしさを感じた。

 その向かいに、ブリューゲルの「イヴ」があった。こちらは対照的に、まじめ、厳か、品行方正に見えた。

 ウフィッツィ美術館は入館料を払った後、階段を上って展示室にいく。その上り口に、白い石でできた犬がいた。けっこう大きい。オオカミにも見えた。近くにいた若い女性の係員に筆談してみた。でも、英語は通じないようだった。イタリア語の辞書で、犬の項を差してみた。犬らしかった。この犬も魅力的だった。

 でも、ポストカードもグッズもなかった。というか、イタリアは日本ほど、ミュージアム・グッズが無いようであった。“ハムの柱”(美しいバラ色の大理石の柱がわたしにはそう見えた)ヴァチカン(美術館・ピナコテカ、システィーナ礼拝堂)など、法王のグッズや数珠などが売られており、宗教施設の印象であった。もしかしたら、日本のはアメリカの美術館の影響なのかもしれない(行ったことはないが)。

 ウフィッツィ美術館は廊下の天井画も有名らしい。ミュージアム・グッズが売られていて気づいた。しかし私が気に入った天井画は商品になかった。それはたしか角の天井で、鳥かごが描かれていた。あるいは、(こんなあいまいでは恥ずかしいけれど)、木々が描かれていた。生き生きしていてよかった。

 レオナルド・ダ・ヴィンチは、たしかに弟子時代の天使はすばらしい。受胎告知は理知的だ。でも、ミラノの素描や、ヴァチカンのピナコテカ、学校で見たスライドのがよかった。冷たくて、リアルで、厳しい現実をしっかり見ている(ルーベンスだったか、ベラスケスだったかの模写で残っている戦争の兵士の恐ろしい顔)。不思議がり屋。水の渦巻きや、植物の丹念な素描。でも、最期まで所持していた「モナリザ」や、少年の絵など、内奥では神秘的なものにも惹かれているレオナルド。