『薄情』は、やっぱりおもしろい。
最近また気になっている。
高崎市 “移住” 十周年の記念作といえるようだけれど、“移住” 初期の『ラジ&ピース』が明るさが差して、思いやりに包まれ、軽やかで、まるで色彩豊かなギフト(贈り物)みたいなのとは対照的だ。
『ラジ&ピース』は、群馬のよさがたっぷりと散りばめられているという点では、県民にとって、一冊まるごとが宝石箱みたいだった。
ラジオのパーソナリティで生活している女性主人公にとって、群馬県、高崎は人生の執着地点みたいな場所として描かれている。
対して、『薄情』の印象を色で表すと、灰色、グレー。
あるいは水色。
もしくは、灰色と水色、この二色の単彩の取り合わせかもしれない。
理由は、登場人物が「薄情」な群馬県民たちだから。
たとえば、優秀な成績を収めて(ということは群馬ではこうなるに決まっている)、難関大学へ進学し、県外の都市へ出ていったものの、訳あって実家に戻って来た女が、東京からやって来た芸術家の(美大でも教えている)男と深い関係になる。
――東京から来た文化、それは群馬では一つの立派な価値である。
醴泉の甘美な滴のように、少数の人しか味わえない――
東京から来て、創作活動のため長期滞在している文化人が、いわばハニートラップ――地方によくある罠、陥穽に引っ掛かったような事になり、果ては工房が全焼し、本人の痕跡は跡形もなく消え、放逐される。
群馬県産の木を使って、素敵な家具を創作していたこの地から。
(群馬のものから、有名な作家によって、非日常的な素敵な作品が誕生し、それが自分の家にあり、生活を豊かにしてくれる――県民には夢のようにうれしいこと)
しかし、もう二度と、この地は踏めまい。
吉永南央さんの「紅雲町珈琲屋こよみシリーズ」も高崎市と関係のある小説だ。
旧市内の町がモデルと思われ、北関東の地方都市の光と影が描かれる。
最新刊の『まひるまの星』の内容も、震災後の日本の世相が思い出され、深刻なところがある。
けれども、裂け目から見えた暗い深淵は、最後にはやや綴じ合わされて終わる。
対して、『薄情』は綴じ合わされない。
上州名物の空っ風のように、すごい勢いで何かが吹き過ぎていって、主人公も読者も、傍観者のままでいる感じだ。
とくに主人公の宇田川静生は、肯定も否定もしない日本古来の“神”のような目で。
‥‥工芸家の男も神である。
創造力あふれる来訪神であり、住民にとっては、記憶を掘り起こしたくない疫病神。
群馬名物、『上毛かるた』の「ら」の札は「雷と空っ風 義理人情」だけれど、『薄情』の内容を考えると、「雷と空っ風 義理薄情」とか、「雷と空っ風 義理人情=薄情」などと交ぜっ返したくなってくる。
全くもってリアリティがあるのだ。
一般的に田舎の人はあたたかいと描かれがちだったり、逆に閉鎖的な地方の暗部がクローズアップされがちだったりするけれど、実態はこれくらいのものだ。
北関東の魅力的な風光とともに、普遍的な地方の市民の「薄情」がうまく描かれている小説である。
だから、群馬県民、地方住民でない人たちへ差し出された “群馬県への招待状”“地方への招待状”ともいえる。
どうぞいらっしゃい、温かくも薄情な地へ。