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『ジニのパズル』読後に完成する美しいパズル:感想

発売後から評価の高いことや、芥川賞候補に選ばれたことも知ってはいたけれど、手に取ったのはテレビ番組『アメトーク』の「読書芸人」の回で俄然、興味を掻き立てられたからだ。

わくわくして読んでみると、予想以上に粗削りで陳腐だった‥‥

ところが今は、「滅多にない小説だ!」という賞賛の気持ちでいっぱいなのである。

 

たくさんの短い文章(タイトルも付いている)から構成されており、読んでいるときは、崔実(チェ シル)は新人作家だから筆力が未熟なのかな、という疑問がよぎった。

けれども今は、この断章が魅力的なパズルのピースに見える。

いわゆる、ジグソーパズルであるが、全てのピースの「家」、旅路の終わり、終着点が明らかになったとしても、「ジニのパズル」がありきたりの四角い平面に収まるとは到底思えない。

今までに見たことのないような新しい形をつくり、ワクワクさせられるのではないか。

 

ジョン / ジニ 

読み始めると、予想と違って、オレゴン州のハイスクールでの話が続いた‥‥

しかも冒頭は、授業中に机の下で泣き喚く男子生徒のジョンを、同級生も教師も一切無視するという、やり切れないエピソード。

わたしは、アメリカの高校の実態を描いているのかな、と取ったけれど、今はこう思う――「ジョンはかつてのジニなんだ」

 

日本でジニが精いっぱい主張し、抵抗したとき、彼女に共感したり、となりに寄り添う人は誰もいなかった。

それから五年、「世界中どこだって、こうなんだ」と絶望しているジニは今や、かつての自分によく似たジョンから離れて眺める対極にいる。

しかし、この小説の最後でジニは変わるから、これから、ジニが彼のような人間をどう捉え直すのか、楽しみだ。

同時に、ジニはこれまで嫌いだった前留学先のハワイ――朝鮮半島関係の人たちも愛しているらしい――についても、朝鮮学校や同級生や教師、両親に対しても、今までとは違うふうに見たり、新たな関係を結ぶことができるはずだ。 

 

書き方に出会うための長い“序章”  

 ジニがなぜ無気力なのか、その原因となる日本の生活の回想まで、本の1/4近くがアメリカの場面で、読んでいるときは、無駄にも思われた‥‥

けれども今は、必要性を感じる――「初めの部分は序章なのだ」

ジニがごく短い間に劇的に変われるという"奇跡"に恵まれたのは、書き方を見つけ、書き上げたからである。

ジニの見つけた書き方とは、「誰かに語る」「聞いてもらえる人に書く」という方法である。

"長い"アメリカの話は、ジニが書き出すための、語り出すために必要な序章、前書きではないか。 

 

なぜ善人ばかり?  

“序章”に出てくる学校の友人マギーも、退学を保留して再考を促す校長も、ホームステイ先の絵本作家ステファニーも、いい人だ。

わたしには最初、陳腐な善人たちばかりでつまらなかった‥‥

小説の終盤(再び、アメリカでの現在)にジニが遭遇するアメリカ人男性に対して、わたしは日本の事件を思い出し、ギョッとしたけれど、彼もいい人なのだった。

そして、“本論”にあたるような、日本の回想に出てくる同級生たち――ジニが淡い恋心を抱くジェファン、友人で優等生のニナ、ジニを妬むユンミ――も、在校生の熱演に一生懸命声援を送り、拍手する朝鮮学校の生徒たちも、教師も――「ロリコン教師」も――、ジニの両親も、実にいい人なのである。

つまり、まわりの人物は、ほかの多くの学校小説や青春小説と違って、みんな善良。

唯一、主人公のジニを除いては。

 

そこにもまた、読んでいるときは軽薄で、肩透かしの感じを味わった‥‥

けれども今は、主人公と近しい人が善人であることも重要で、それが土台の世界観のように思っている。

当時のジニにはわからなかったけれど、実は世界は善い人たちばかりなのだと。

学校の中の人も、外の人も、そして世界のどこの人も。

 

小説の最後でジニは変わるが、今後は、かつての人々に良いところを見て、さまざまな可能性を開くことができるはずだ。

また、“ステファニーおばさん”の存在や、モーテルの敷地で話しかけてきたアメリカ人男性との対話が示すように、ジニと朝鮮半島の問題、朝鮮学校の問題とは関係ない人たちにも、ジニが書くものは届くはずだ、と確信される。 

 

とんがった問題児、なのにとんでもなく魅力的な13歳  

もちろん、彼女の強い反発、過酷な体験――「革命」の過程には、同じ日本に生まれ育ったわたしには思いもよらない、政治的な事柄が関わっている。

この本のおかげで、当時の朝鮮学校の実態や、朝鮮半島関係者をめぐる、想像を絶する大変な状況を知ることができた。

ジニを襲った日本人男性による卑劣な事件は、既存の小説に書かれていそうなところもあるが、全体を通して見ると、その意味合いは深刻だ。

 

それでいて、その暴行事件をふくめてもなお、わたしに最も印象に残っているのは、少女の普遍的な青春のあり方なのである。

中学1年生、13歳のジニの輝きがものすごいから。

 

単行本の帯文にあるように、ジニは「問題児」である。

それも、予想を超えるすごい問題児。

同級生や教師や両親が善良な人たちなので、ジニの問題児ぶりは際立つし、読んでいるこちらもなかなか共感できないほどの理不尽ぶりだ‥‥

端正で整った文章の合間に入るジニの肉声もすごい。

「分かんねぇつってんだろ、うるせえな」――対、教師。

「何見てんだブス」――対、先輩三人。

 

こういった内容と関連し、誰もが中高時代に体験するような、対人関係での恥ずかしい失敗もたくさん書きこまれている。

自分のとんがっているところ、制御できない極端なところも、赤裸にさらけ出している青春記なのであった。 

 

青春を丸ごと梱包  

『ジニのパズル』は、早熟な少女の自立心の芽生えと挫折、そして、世界での立ち方を得るまでを見事に書ききっている。

読み終わると、美しい世界に、新鮮な思いを持って、ふたたび生まれてきたようなジニに出会える。

それは、中学1年生の時からの苦しい5年間を経て、大人になった「時」、大人のはじまりでもある。

 

颯爽としたかっこいいことばかりではない青春を、丸ごと梱包したような文を、書き上げたジニ。

だからこそ、本を閉じた後、ふたたび世界へ、けれども今までとは違う足取りで歩み出すジニの姿が快く見える。

 

文学と出会う

別のことにも、読み終わって感動した。

作者が表現するために、文学を選んだことに。

作者はどうしても、この話を伝えたかった。

そのために、ためらうことなく文学を選び、真っ向から書いている、という真剣み、熱気を感じる。

構成、登場人物、展開、細部、文章表現などなど、いろいろな点が粗削りで、完成度が低く、陳腐でありきたりな小説に思える‥‥

ところが却って、そこにこそ、そういったナイーヴさにこそ、文学への強い信頼を感じる。

(フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を思い出す)

 

しかも、前述したように、そういった小説にまつわる多くの事柄が、読み終わると、価値あるものへと鮮やかに反転する。

すごい造りだ。

驚嘆させられる。

 

最後は暖炉の火の前での、穏やかで優しい世界との出会いと受容を、心温まる筆致で描き上げ、結んでいるけれど、わたしは(恋愛ではなく)、文学に出会ったジニの眼に翌朝映るだろう世界の明るさや、頬をなでる新鮮な風といったものを、なぜか感じる。

 

☆西村ツチカの装画、セキネシンイチ制作室による装幀もすばらしい。

  中身も外装も持っていると元気が出る青春小説の「本」だ。 

ジニのパズル

ジニのパズル