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絲山秋子さん『薄情』谷崎潤一郎賞@群馬県

2016年、群馬県民はある文学賞のニュースに大喜びした。

ノーベル文学賞ではない。

 

発表の翌日だったかには

「絲山さんがナントカっていう賞もらったんだってね!」

「すごい賞ですよね。よく話題になる芥川賞なんかより」

「そうなの!?」

「芥川賞って年2回もあって、新人賞なんですよ(しかも短い小説の)

谷崎潤一郎賞は中堅の、実力ある小説家だけが受賞できる賞だと思います」

「絲山さん、すごい!!」

という会話があったりした。

 

――「今回の芥川賞(村田沙耶香さんの『コンビニ人間』)、おもしろいらしいけど読んだ? 借りたい!」という人でも、芥川賞について正確なことは知らなかったりする。

出版社社長(菊池寛)がニッパチ、2月8月の売り上げのために作った商業的な賞で、音楽界が〇〇新人賞! というニュースによって耳目を集め売り出すのと同じ、などと聞くと、びっくりする。

(単行本でなくとも、月刊誌『文藝春秋』の方が入手しやすかったり、内容が充実していることも知られていない。

わたしは受賞者の言葉や、インタビュー記事、選考委員による選評(全候補作の評)も読めるので、いいと思うのだけれど)

会見が中継され、ニュースで受賞者の言動がおもしろがられる一方、「芥川龍之介賞」という正式名称なども知られていない。

そして、こんな印象だけがあり続けている気がする、「文学的な小説を評価するすごい賞は芥川賞」――

 

群馬県民は、発売後から注目して、『薄情』を読んでいた。

「県民なら10倍楽しめる!」という推薦文を見たこともある(書店ではなく)

『薄情』と同じころに出版された『小松とうさちゃん』がおもしろい、と熱く薦める人もいた。

贈呈式から一か月経ったが、受賞ニュースを「上毛新聞」などによって知り、さらに多くの県民が『薄情』を読み、これからも手に取るのではないか、と思う。

 

絲山秋子さんはこれまでにも群馬県内を舞台にしたり、群馬に言及した小説を出版してきた。

  〇『アーリオ  オーリオ』‥‥県立ぐんま天文台

  〇『作家の超然』‥‥平野部をぐるりと取り囲む山並み

  〇『末裔』‥‥行程で地名

  〇『離陸』‥‥最初の舞台が北端近い、八木沢ダム

『ばかもの』『ラジ&ピース』といった後述する二作も含め、わたしなどがざっと思い浮かべるだけでも、このくらいはある。

 

現実の場所のドライブ探訪記も新聞に連載し、出版している。

『絲山秋子の街道を行ぐ』(上毛新聞社)

この本はタイトルも工夫されていて、読みは司馬遼太郎の「街道を行く」ならぬ「けぇどをいぐ」で、歴史や文化も取り上げていて、群馬観光、とくにドライブのお供として車に備えたらいいと思う。

 

全国紙の群馬版にもエッセイや、インタビュー(高校野球だったか)、最近は書店での活動――前橋市敷島公園、利根川のそばのフリッツ・アートセンター内の「絲山房」――などの記事が掲載されている。

そのため、読書家、文学好きではない群馬県民をして「群馬じゃ有名でしょ」と言わしめる作家だ。

「高崎に住んでくれてうれしいから好き」

「ラジオで聞いたことがあるから」

群馬は車社会なので、FMラジオの効果も大きい。

 

 

わたしは、『薄情』は『ばかもの』(高崎市と片品村など)、『ラジ&ピース』(高崎市をはじめ群馬全域)とともに“群馬三部作”だと思っている。

しかし、“群馬三部作”の最初の二作とは、別次元の様相である。

最初の二作は、群馬を希望の地として描いており、結末で主人公たちは、群馬で救われる。

希望と救済の土地、グンマ。

群馬賛歌の小説とも呼びたい。

 

ところが、今回の『薄情』は違うのである。

「絲山さんの本、『ボジョウ』って読むんじゃないんだね?」

「そう、『ハクジョウ』なんですよね!」

という会話も、周りではあった。

『ボジョウ――慕情』だったら、県民はどんなに単純な気持ちで歓喜したことか。

それなのに、群馬への限りない慕情(ボジョウ)、単純な群馬賛歌ではない。

 

この小説の内容は、題名によって表現できると思う。

群馬の人間は「薄情」だ。

 

表紙の写真も象徴的である。

座る人のいない椅子――重要人物が去ったことや、かけがえがなく豊かだった時間の喪失を連想させる。

 

「雷(らい)と空風(からっかぜ)義理人情」(上毛かるた「ら」)を誇る群馬の人間の「薄情」とはどのようなものか?

その考察、探究を通して、地方都市の現実が読み取れる中編小説だと思う。

 

たしかに、『薄情』に描かれた北関東の小都市(まち)の要素――

東京から遠くはない(約100キロ)

郊外の榛名山麓には東京からやって来た文化人が仕事場を構え、制作する。

そこへ図書館に通う知的だったり、精神的に成熟した人が集い、コーヒーを淹れて語ったりする。

都内から来て滞在している知名度ある作家への、わりに自然な接し方。

そして、目も当てられない醜聞、トラブルが発生したときに取る、静かで理知的な距離。

――といった要素は、たしかに高崎市あたりにあるだろう。

 

けれども、日本の地方に“共通”する事象が書かれているために却って、舞台である群馬の住民には“共通しない”のかもしれない。

人は個別の事情でそれぞれ暮らしていて、見る物聞く物、思っている事も個人によって違うから。

もちろん、よくある現象だろう。

小説に限らず、映画やドラマ、マンガでも詩歌でも、“聖地”/現地の住民の実感の隔たりは。

地方小説『薄情』も、県外の読者と県民とでは、感想や読みどころが異なっているという、皮肉な面があるように感じている。  

薄情

薄情

 
ばかもの (新潮文庫)

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ラジ&ピース (講談社文庫)

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妻の超然 (新潮文庫)

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絲山秋子の街道を行ぐ

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