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坂田和實『ひとりよがりのものさし』――大いなる勘違い


 坂田さんのことを知ったのは青柳恵介の『骨董屋という仕事』という本(平凡社)を読んだときで、20代だった。
 そもそもの始まりは『一万円の骨董・アンティークス』という末続堯の本(京都書院アーツコレクション)との出会いだった。
 『一万円の骨董・アンティークス』は文庫本だが、魅力的な物の数々、印象的な文章で、名著だと思う。
 わたしはこの本のおかげで、骨董という世界を初めて知り、惹かれた。


 あとさきは覚えていないが、テレビ東京の『何でも鑑定団』も楽しんでいた。


 その後、『別冊 太陽』のバックナンバーに出会い、あらためて骨董の分野(仏教美術とか古裂(こぎれ)、李朝民画・家具など)を知り、『骨董屋という仕事』もそのころ図書館で借りて、結局買ったのではないかと思う。
 『骨董屋という仕事』はサブタイトル通り、「三五人の目利きたち」の紹介で、わたしでも「なるほど」と思わされる、多くのベテランの重々しい名言が満載なのだが、最も印象に残ったのは、デルフト焼きのお皿の白さについての、坂田さんのエピソードだった。


 同じような形の李朝白磁と伊万里の白磁とデルフトの白磁の中皿がたまたま手に入って眺め暮らしたことがあったが、
 白の柔らかさという点でデルフトが一番だった


 牛乳を流したようなデルフトの白磁の柔らかさ


 ほかの箇所からも、この人がどうやら、自由で飄々とした人物に感じられ、ほかの骨董屋さん(スーツ姿で堂々としている方々)も尊敬したが、この坂田さんに特別な好感を抱いた。


 たぶんその後、『芸術新潮』の連載『ひとりよがりのものさし』を知った。
 ――手元にある2000年11月号は『冴えない青物商 転じて画家となる 異能の画家 伊藤若冲』特集で、坂田さんの連載は第22回。
 掲載写真は、南アフリカの革製スカートと、坂田さん15年愛用のY's(ワイズ)の紺の麻シャツ。

 この連載の前のページも興味深い。
 『連載 石川九陽に「一」から学ぶ』なのだ。
 ほかにも、川瀬敏郎の『今様花伝書』や、橋本治の『ひらがな日本美術史』が連載されている。
 これが当時は1200円だったのだ。――



 単行本『ひとりよがりのものさし』は、発売後すぐに買ったか、サイン会(東京の丸善??)で買った。
 トークショーには骨董関係の人もいたようで、サインがわたしの番になったとき、坂田さんは「誰だろう?」という顔つきだったように見えたが、当然だろう。
 サインは消し炭色・灰色で、印(はんこ)は茶色っぽく、ひらがなだった。



 そして2013年だったか、群馬県内の食器・雑貨のお店で、坂田さんの新しい本を見た。
 しかし、本ではなく図録だという。
 『古道具、その行き先  坂田和實の40年  Old Folk Craft:The Way Ahead』
 渋谷区立松濤美術館で展覧会が開かれていたことをそのとき、知った。
 早速買ってみると、展示品は『ひとりよがりのものさし』と重なるものも多かった。
 やっぱり装幀、ページの紙質、写真は凝っていて、外装は『ひとりよがりのものさし』の函(箱)と似ていて、梱包の紙箱っぽい。
 ‥‥それなのに、わたしは以前とちがって夢中にならなかった。



 最近、坂田さんのある言葉を思い出し、『ひとりよがりのものさし』を開いた。


 西洋の美術は、あの乾燥した地中海の強い光の中でこそ成り立つもの。
 湿気の多い日本の、障子を通した柔らかい光の中ではトテモ、トテモ。



 日本で国宝や重文になっている様な茶碗を、地中海の乾燥した強い光の中で見ると (略) 汚い
 そしてその茶碗を僕達の、四季のある、湿った、障子を通した柔らかい光の中で見ると何んとも美しい


 久しぶりの『ひとりよがりのものさし』はおもしろくて、結局全文を読み、‥‥そして、やっとわかった。
 この本や『古道具、その行き先』に紹介されているものを、わたしは欲しくないということが。
 
 写真は飾りたくなるような、美しい、落ち着く気持ちになるものが多い。
 また、「この世にはこんな変わった物もあるのか!」と興味を引かれるものも結構ある。
 ただ、わたしは自分の部屋には置かないだろう。


 なぜか。
 一つには、自分が育った家の母屋や、納屋の感じ(土と藁を塗り込めた壁!)や、あそこに在った物に似ている感じのする物があって、それらにわたしは身近な感じ、親近感を抱くけれども、新鮮ではないからだ。
 そして、現代的なガラスや金属、抽象的な造形、大人っぽい洗練された家具や壁との取り合わせは、わたしにはこそばゆい。
 (都会的なものと、田舎的なもの・野暮なもの)
 田舎のネズミのわたしの身と心には、そぐわない。



(今回、あらためて『ひとりよがりのものさし』の帯を見たら、
「白州正子が最後に惚れた/骨董界のカリスマの「眼」」
と打たれている。
本文を読めば、芹沢金圭介に品物を納めていたこともわかる。
もともと、わたしなどとは次元の違う人なのだけれど、紙面で接していると、インターネットと同じく、勝手に親しみを感じていたことを痛感する。)


 けれども、坂田さんの言っていることには今も教えられる。
 尊敬するし、共感する。
 だから自分はこれまで 「読んで」 きたのだ、と今回わかった。


 坂田さんはすばらしいものを紹介してくれたけれど、わたしは今までずっと「見る」のではなく 「読んで」 いたのだということが。
 ものそのものを味わったり、楽しんだりしていたのではなく、坂田さんの「考え」に刺激を受けていたのだ、ということが。


 実際、坂田さんの扱った品物を見る機会に恵まれたとき、ケチなわたしは「トテモトテモ」と買わなかった。
 一方、 そもそもの最初からして、坂田さんのデルフト陶器の白さに関する「考え」を、すごい “第一声” を浴びたように感じたのだった。
 あんなに多くの目利きのベテランが、いろいろ喋っている中で(『骨董屋という仕事』)、飛びぬけて印象に残り、行ってみたいと思ったお店が“目白の 古道具 坂田”


 強く影響を受けたことは、わたしの行動に表れている。
 『骨董屋という仕事』を今もそばの本棚に置いていること。
 布貼り、函入りの大型本『ひとりよがりのものさし』を、無職の身で買ったこと。
 東京までサイン会に行ったこと。
 段ボールの美に目覚め、商品のクッションとして入っていた箱に “理想の住まい” を感じて、飾ったこと。
 『箱の本』を気に入って買ったこと。
 坂田さん、というだけでハッとして、図録を買ったこと。


 ‥‥これぐらいでも、わたしには大きな影響を受けたことになるのである。
 でも、わたしのモノサシは、坂田さんと同じモノサシにならなかった。
 坂田さんのようなモノサシを持つことはできなかった。
 坂田さんのような「眼」では見ずに、ただ、夢中になって坂田さんの「考え」を「読んで」いたのだ。


 10年も経って、やっと気づいた。
 大きな勘違いをしていたことに。

ひとりよがりのものさし

ひとりよがりのものさし

一万円の骨董・アンティークス (京都書院アーツコレクション)

一万円の骨董・アンティークス (京都書院アーツコレクション)

骨董屋という仕事―三五人の目利きたち

骨董屋という仕事―三五人の目利きたち

箱の本

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  • 作者: エドワードデニソン,リチャードコースレイ,マルコムロバートソン,森屋利夫
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