書店の地元作家コーナーで名前を見た気もするが、何も知らないまま手に取った。
わたしが机に置いたその本に、ある人が手を伸ばした。
紅雲町にいたことがあるのだ。
そう、「紅雲町」は実在する。
女子高があり、東京へつながる駅、県庁に近い――群馬県前橋市の町だ。
1冊目『紅雲町ものがたり』(『萩を揺らす雨』)の冒頭の3、4行ですぐに、「高崎では?」「高崎のあそこだ!」「高崎市〇〇町だ!!」と思う人は、高崎出身者だけでないはず。
丘陵の上から大きな観音像が見下ろす街
ゴルフ場や自動車教習所を抱える広い河原
関東平野が終わる山々までゆったりと広がる空を眺める。
遠くの雪山は吹雪いているのか、今朝は見えない。
すべて最初のページの言葉である。
言及されているように、川の対岸が国道(それも2つの国道の合流地点)なので、この風景に見覚えのある人は、高崎市民だけでなく多いだろう。
また、現実の高崎市〇〇町あたりには、敷地が広く初詣客も多い護国神社や、卒業生の多い伝統校(高校)も存在する。
高崎市内では、わりと多くの人が訪れたことのある地域なのだ。
〈有名作家の小説に描かれた高崎・群馬〉
町を望む大きな仏像、とあるだけなら、牛久大仏の可能性が高い。
深田恭子演じる手芸好きなロリータ少女の成長と、土屋アンナ演じるヤンキーとの友情が描かれた映画『下妻物語』(原作/嶽本野ばら)は、高崎との共通点が印象的だった。
1.空が広く、自然豊かな緑色の風景から、ニョキッと突き出ている巨大仏像。
2.漢字を連ねた、ふつうの人には恥ずかしい名号(?)を掲げ、バイクで走り回る少年少女。
(バイクを持っていても、他県の海まで遠出したり放浪することはなく、文字どおり近辺を走り回り、群馬ではチーマーと呼ばれた)
3.住民を吸い込むように集客する、郊外の、大手資本による、窓のない商業施設。
前橋市(前橋大島など)が舞台の『そして父になる』(是枝裕和)
(細部に地元的リアリティに欠けるところはあるが)、この本でもまずは、日本各地に出かければ飽きるほど目にする、センスなく平均的で、つまらない地方都市像で描かれる群馬県のまち。
前橋や高崎が描かれた小説には、絲山秋子の『ラジ & ピース』『作家の超然』もある。
それらでは群馬の魅力も点描されるけれど、表現者の主人公たちの内面のほうが前景に出ている。
彼女らの鋭い鮮烈な思いが印象に残る。
高崎出身の金井美恵子『恋愛太平記』の高崎市(合併前)や群馬各地は“太平”であり、その分、野暮ったく、つまらない所だ。
(「紅雲町」シリーズの作者の出身の県立女子大学も、皮肉っぽい辛辣な描き方をされている)
横山秀夫『64』
作者が上毛新聞社記者だったからではなく、舞台のD県を、わたしは群馬県として読んだ。
D県警シリーズを読んだことは無いけれど、ひどい事件が隣の栃木県とともに相次いだ時期があるから、重ね合わせずにはいられなかった。
(ラストに祈りのようなもの、願いを感じた)
ただ、『64』は組織と個人のあり方が主軸の小説だ。
一方、「紅雲町」はこれらの小説の舞台と違い、独特である。
現実の高崎市○○町そのものではない。
けれども、「群馬県高崎市紅雲町」と紹介できそうなほど、北関東の地方都市としてのリアリティが抜きんでている。
それでいて、この町を訪れ、歩きたいと思わせる魅力にあふれている。
〈ビブリア古書堂(北鎌倉)と小蔵屋(紅雲町)――現代の時代小説〉
藤沢周平の“海坂藩”がこういう存在なのだろうか。
時代小説について思うことがある。
近年、「ビブリア古書堂の事件手帖」(三上延)シリーズや「紅雲町」シリーズのような小説が、かつてヒットした時代小説とおなじ役割を果たしているのではないかと。
「用心棒日月抄」シリーズをはじめ、藤沢周平作品などでは、侍が剣で一刀両断に解決するので、痛快である。
共同体における人情の機微や、町の季節の推移も描きこまれていて、じ〜んと感動する。
わたしも10代から耽溺していた。
最近、これに近い読後感を感じる。
現代が舞台で、趣味の品、生活には必要ないものを扱うお店を訪れる人を、店主が助けるエンターテインメント小説に。
〈ビブリア古書堂@北鎌倉〉
2冊目『その日まで 紅雲町珈琲屋こよみ』の帯文を読んで想起したのがこのシリーズ。
巷にあふれている、ほっこり系ミステリーかな。
結果的には違った。
「ビブリア」シリーズとも。
「ビブリア」では鎌倉の町が、牙をむくような面や不気味な面を見せることはない。
街も海も山もあり、主要登場人物が帰ってくる場所で、彼らを優しく包む世界だ。
保坂和志の「季節の記憶」シリーズといい、鎌倉を舞台にすると、自然描写だけでも読みたくなるから、すてきな小説になるのではないか、とまで思う。
「ビブリア」シリーズの一番の特色は、小説やまんがについての情報、教養が満載の知的エンターテインメント小説、という点だ。
最新の第5巻『栞子さんと繋がりの時』でも、いくつかの引用が心に残った。
きらめく季節に、たれがあの帆をうたったか
つかのまの僕に、過ぎてゆく時よ
プロローグ、本巻のメイン第三話で取り上げられている寺山修司の「われに五月を」
最もすごかったのは、木津豊太郎という、これまで聞いたこともない人の詩。
彩色サレナイ空間ハ発見サレナイ空間デアル
彩色サレナイ群島ハ発見サレナイ群島デアル
ケレド彩色サレタ群島モマタ発見サレナイ群島デアル
バケツハギタアヲ含マナイ
他人ノ他人ヲ含マナイ
自分ノ自分ヲ含マナイ
漠然ト海ヲ感ジル
入口ト出口ハナゼ同ジナノ
『詩集 普通の鶏』
リズミカルな言葉遣いで、示唆に富む抽象的な内容へ昇華していく展開に圧倒される。
こんな詩句を、小説に巧みに織り込んだ作者はすごい。
(前巻は長編、本巻は「断章」の挿入など、新しい趣向を加えるところも)
文学作品や、まんがのセリフの引用、作家の生きざまについての紹介が、ライトノベルっぽい表現・イラストが目を引くこのシリーズに、一種の格調、香気を添えている。
〈小蔵屋@紅雲町 と 美〉
コーヒーの試飲ができるテーブル席があり、コーヒー豆と、日本各地の窯元で仕入れてきた和食器を売るお店。
これに洋食器や雑貨も扱っているお店や、試飲はないけど「小蔵屋」に並んでいると思われる器を扱うお店なら、高崎市はむろん、群馬県内のほかの市にもある。
ただ、この小説ではコーヒー豆や器、美味しいコーヒーの淹れ方についての蘊蓄は、とくに出てこない。
作者の経歴を見たとき、小説だから、という短絡的な理由で、国文科卒だと思った。
実際は美学美術史学科だという。
2巻『その日まで』で、絵や彫刻、オブジェ、江戸小紋(型染め)が大きく取り上げられていることに納得する。
また、江戸小紋(型染め)はいかにも高崎市らしい。
そもそも、「お草さん」の小蔵屋が古民家の木材を使ったお店で、コーヒーと和食器を扱う、という設定。
着物と、「べっ甲の櫛」の描写。
染め物職人、美味しいカレーを作るコック、設計・デザインの仕事をする人たちの登場。
作者は若いころから、美しい物、美味しいものに関心があったのだろう。
〈不安定な紅雲町〉
必ずしも、ホッとする、なつかしい理想的な町ではない。
今の地方の「町」のあり方に関わる問題が、露呈する場所だ。
昔からの町がもつ不気味な面や、現代ならではの不安な要素も見せられる。
群馬交響楽団がモデルと思われる「三山フィルハーモニー交響楽団」
(赤城山、榛名山、妙義山の「三山」は群馬の象徴である)
それくらいの“ずらし”はご愛敬だが、群馬県出身者が創業した会社や、与党要職の国会議員、丘陵の産業廃棄物問題、不動産とお金のトラブルなどが出てくると、どう結末をつけるのか、ちょっとハラハラする。
現実へのハラハラする接近、それがリアリティとともに、小説ならではの独特な味わいをも生んでいる。
〈喪って喪っていく物語〉
設定だけ見ると、日常の謎を解いて、みんながほっこりするハッピーエンドの連作集かと思う。
さにあらず。
2冊読んで強く感じたのは、「喪って喪っていく物語」だということ。
お草さんは理想的に生きているわけではない。
おなじく老女、高齢の独身女性が主人公の娯楽小説でも、田辺聖子さんの「姥」シリーズ(「姥ざかり」「姥ときめき」「姥うかれ」「姥勝手」)とは違う。
わたしは「姥ざかり」シリーズが好きで、繰り返し読んだ。
歌子さんも老いていき、まわりでも人が亡くなり、落ち込むけれど、歌子さんは最後には明るい希望をもつ。
裕福でおしゃれ、という設定からくる安定感と、歌子さんの機知、楽観性が健在する。
一方、この短編集では、お草さんの老いが繰り返し書かれる。
老衰にまつわる、取り返しのつかない過去のことも。
人が亡くなるだけではなく、老いのために変わってしまい、以前のような交流を持てない人もいる。
高齢男性が主人公の『政と源』(三浦しをん)は最高の一瞬がきらめくような小説だ。
しかし、紅雲町シリーズは、変わっていってしまうもの、変わっていってしまうことに焦点が当てられているように思う。
最後には事件が解決し、読者として安堵もするけれど、何とはない喪失感も尾を曳く。
「姥」シリーズの歌子さんは明るいし、機知により困難を打開する。
爽快だ。
対して、お草さんは地方都市での対人商売のなかで、うまく行かないこともある。
後悔の残る応対をしてしまう時もある。
不安を抱えたり、頼りないところがあるからこそ、身近な人っぽい。
「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズはドラマチックな展開が多いけれど、篠原栞子さんと五浦大輔くんはきっとうまくいくだろう。
栞子さんと母親智恵子との断絶も、解決するだろう。
対して、「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズは、解決が遠く感じられる時がある。
今後良くないことが起こるのでは、というぼんやりとした不安も消えない。
――それだけ、現実に近いのだろう。
現実では、誰もが喪って喪いながら生きていくのだから。
若さや、人との関係を。
取り返しのつかないまま、歳月の流れていく場合は多い。
この差は、長い人生で考えたら、ものすごくでかい。
打つ角度が一度違っただけで、ボールが全然違うところに落ちるみたいなもので、着地点の景色は全然違うでしょうね、きっと。
『その日まで』
物事がうまく行っている人や、そんな人を見守る人が言ったのなら、明るく前向きに響く言葉だろう。
けれども、この言葉を言ったのはそのような登場人物ではない。
諦めざるをえないもの、不可能なことに直面する、ふつうの人の感慨である。
実在の地方都市を連想させる舞台。
時の流れの中で変わっていく人間。
この二つのリアリティに立脚しているから、今最も興味の引かれる、不思議な味わいの連作になっているのだと思う。
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