日本の歴史で一番引きつけられるのは、平安王朝、藤原氏繁栄のころ。
個性を持った、いろいろな女性の様子が生き生きと書き残されているからだ。
たしかに宮廷は後もずーっと続き、女房(上級召使い)も存在した。
鎌倉時代も、貴族女性が新鮮で深遠な和歌世界を開拓し、江戸時代だって自由に行動した女性がいて、文芸作品も残っている。
けれども、「枕草子」や「源氏物語」ほどの傑作は、誕生しなかった‥‥
樋口一葉、“奇跡の十四か月”まで。
「枕草子」は、実在した魅力的な女性のことを教えてくれる。
たとえば、皇后の乳母が夫の任国、日向(宮崎県)で暮らすことになり、皇后は扇を贈った。
扇の片面には、乳母がこれから住む国司の邸が日光に照らされている、めでたい絵が描かれていた。
しかし、その裏面には、ある邸が雨に打たれる絵と、皇后自筆の和歌。
茜さす日に向かひても思ひ出でよ 都は晴れぬながめとすらむと
清少納言の文章(223段)は淡々として短いが、その背景は深刻だ。
彼女の主人、定子は栄華をきわめていたが、父親の藤原道隆が亡くなり、その末弟、道長が権力闘争で勝利。
頼みの兄弟、伊周(これちか)、隆家は失脚し、都から追放される。
道長の娘、彰子が入内(天皇と結婚)して中宮の位に就き、それまで中宮だった定子は、長い間忘却されていた「皇后」なる古くさい地位に追いやられる。
当時、乳母が去るのは異常事態だ。
ふつうは育てた主人を、現代の実母のような愛でもって、世話をする。
しかも、この乳母は定子の母方の叔母だったかも知れないという(「新潮古典集成」萩谷朴・校注)
それまではきっと、帝に愛される明るい賢い定子を自慢していただろう。
そんな人物までもが時流の変化に乗り(あるいは道長の嫌がらせ、疎外工作により)、定子を見限って離れていった。
一流貴族の家庭に育ったお嬢様時代、こんな人生は想像もしてなかったはずだ。
伊勢物語や説話集、昭和の小説には、零落後、めそめそして死んでいくような姫君がよく出てくる。
それなのに、「枕草子」の扇の話には定子のユーモア、機知も感じられる。
つらい惨めな状況でも、明るさを失わないようにしている定子は、大人びた、お姉さんのような女性に思われる。
〈自然〉
「枕草子」には草木、花、さまざまな生き物が多く取り上げられていて(「新潮古典集成」下巻には、動植物事典の附録がある!)、当時の女性にとって、自然が今よりも身近だったことが実感される。
愛(うつく)しきもの。
雀の子の、鼠(ねず)鳴きするに、をどり来る。
144段
「源氏物語」のヒロイン、紫の上は登場したとき、「雀の子」を捕まえて飼っていた女の子だった(「若紫」巻)
雀のヒナのえさは、虫である。
「堤中納言物語」の“虫愛づる姫君”は、周囲から異常な変人のように思われていたと書かれているが、現代人よりも、ずーっと若紫や清少納言に近い存在だ。
“虫愛づる姫君”は、女性が自然に興味をもって暮らしていた時代だからこそ、生まれた物語だと思う。
〈貴族の姫たち〉
読書に夢中だった「更級日記」の書き手も個性的。
紫式部は、「紫式部日記」にも宮廷生活や女房評を書きつけているけれども、フィクションの「源氏物語」のほうがはるかに強い印象を残す。
たとえば、光源氏は忍びこんだ邸で、暗闇の中、のっぽの女房と間違われる。
「丈高き人の常に笑はるるを言ふなりけり」
たぶんいろいろな邸で、背の高い女房はからかわれていたのだろう。
(逆に、背の低い女房が笑われていたことも「枕草子」には書かれている)
光源氏をのっぽの女房「民部のおもと」と勘違いした老女房は、「おとといから、お腹が痛くて‥‥ああ、お腹が‥‥」とうめきながら去っていく。
おもしろくて、リアリティのある一こまだ。(「空蝉」巻)
平安時代は、決してすばらしい時代などではなかった。
定子はすばらしい女性だったが、権力者道長(定子の叔父)の敵となるや、貴族社会で「村八分」、イジメのような仕打ちを受けた。
その後は出産が原因で、若くして亡くなってしまった。
そんな略歴を見ると、胸が締め付けられるような感じになる。
「枕草子」には、定子の悲劇は書かれていない。
定子様が幸福だったときの出来事だけが、力を尽くして叙述されている。
――「わたしは幸せだった。
わたし 『たち』 は幸せだった。
奇跡のような、純度の高い幸福が存在したことを、何としても伝えたい」
そんな清少納言の心からの叫びが響いてくるようだ。
「源氏物語」は夢をいくらでも実現できる虚構にもかかわらず、最後まで、女性の本質的なハッピーエンドを描いていない。
殺人事件は起こらないが、精神的に殺されてしまったような登場人物も多い。
当時の男性が権利に執着し、猟官運動に奔走していたのは、資産・富がごく僅かしかなかったからだ。
権力者や、少しでも富貴な者に媚びへつらわなければ、物資が得られず、人間らしい生活を維持できなかったからだ。
貴族女性にいたっては、自立する方法などほとんど無かったから、たいていは個性や才能を重視されることなく、周囲の男性の都合に翻弄されて一生を終えたろう。
(「源氏物語」の六条院がハーレムというより、パラダイスに見えるところに、かえって厳しい現実が浮かび上がる)
定子だって、結婚相手を選べたわけではない。
(見識ある人物の愛に包容されるのではなく、むしろ彼女が庇護して引き立て、育てていくような年下の少年帝と結婚した)
権力・富を失えば真っ逆さまに転落する、今よりも恐ろしい格差社会。
たとえ都で子や孫と同居し、長寿を保っても、現代のように生き甲斐を得られたかどうか。
ことに人に知られぬもの。
人の女親(めおや)の老いにたる。
243段
学生時代、源氏物語の集中講義の最後に、先生がある言葉を紹介してくれた。
「源氏物語」に初めて、心から引きつけられたのは、あの時だったかも知れない。
女ばかり、身をもてなす様もところせう、あはれなるべきものは無し
もののあはれ、折(おり)をかしき事をも見知らぬさまに引き入り、沈みなどすれば
何につけてか世に経る栄(は)え栄(ば)えしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは
大方、ものの心を知らず、言ふかひなき者にならひたらむも
生(お)ほし立てけむ親も、いとくちをしかるべきものにはあらずや
心にのみ籠めて無言太子とか、小法師ばらのかなしきことにする昔の例ひのやうに
悪(あ)しきこと良きことを思ひ知りながら埋もれなむも、言ふかひなし
わが心ながらも、よき程にはいかで保つべきぞ
とおぼしめぐらす
「夕霧」(紫の上の述懐の場面)
〈金メダル〉
調度品的な絵巻物や屏風に、人形のように美しく描かれているだけなのとは違う、生きた女性たち。
女性によるすぐれた散文作品あればこそ、共感を呼ぶ女性の姿が立体的に現れてくる。
後にも「新古今和歌集」や「無名草子」があるけれど、「平家物語」も、「方丈記」も、「大経師昔暦」も「好色五人女」もあるけれど。
大きな手応えを次に感じるのは、「暗夜(やみよ)」「たけくらべ」「にごりえ」
――1000年近く経って。
子どものころから憧れたのは戦国時代で、高校生のときは光源氏が大っ嫌いだった。
しかし、大人のわたしにとって、平安時代、藤原時代は金メダルのように燦然と輝いている。
女性がすぐれた文章を書いた、奇跡のような時(とき)――値(あたい)千金の一刻が日本にあって、うれしい。
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