さは自らの祈りなりける―源氏物語ミステリ『望月のあと』森谷明子


 小説、テレビドラマ、映画など、世の中にはミステリー作品があふれていても、自分は興味がないと思っていた。
 しかし、『ビブリア古書堂の事件手帖』(三上延)の発売日はチェックしていたし、『千年の黙(しじま) 異本源氏物語』→『白の祝宴 逸文紫式部日記』→『望月のあと 覚書源氏物語『若菜』』シリーズは買っていた。
 最後の2冊は文庫まで待ちきれず、ハードカバーだ。


 紫式部が貴族社会を闊歩して王朝の闇を覗く探偵役というと、類似作品がありそうだが、このシリーズは源氏物語創作譚(作者によれば「源氏物語メイキング」)であり、源氏物語の批評・評釈でもあるところが大きな魅力だ。
 『望月のあと』では、中宮彰子のことばが、源氏物語の紫の上のことばと重なっているところがあるが、その紫の上のことばは源氏物語全54帖のなかでも印象的なものだ。

  のたまふやうに、もの儚(はかな)き身には過ぎたる外(よそ)の覚えはあらめど、
    心に耐えぬ物嘆かしさのみ、うち添ふや、さは自らの祈りなりける。
    
     (『新日本古典文学大系 源氏物語 三』 表記は改めた)


 もし、全てにすぐれた貴公子“光源氏”が栄華を極める『藤裏葉』で結ばれていれば、メデタシメデタシで終わり、源氏物語は人物造型、構成、王朝的教養にすぐれた平安物語として評されるだけだったろう。
 ところが、つづく『若菜』で、源氏は若く美しく高貴な姫を手に入れ、その結婚により、至高の栄華を体現しながらも、内心にはもの凄い孤独を抱えるという、すさまじい物語が始まる。
 一方、源氏という男雛の対である女雛のように描かれてきた紫の上は、源氏の結婚にも理想的な上流夫人としてふるまうけれど、女楽(源氏の夫人たちによる演奏会)後、「あなたは幸せだ、あなたの幸せはわたしのおかげだ」と恩着せがましく説く源氏に上記のことばを返す。


 でも、源氏はそのまま女三の宮のところへ泊まりに行き、紫の上は発病。
 紫の上は出家を願うが、それはいわば男女関係の断捨離で、現代の離婚請求と同じだ。
 「若紫」で山吹色の衣をまとい、全力で走って登場した愛らしきヒロイン、紫の上は出家を拒まれたまま、死ぬ。
 ――凄絶な展開であるが、ふつうの人にもかなしみ、苦しさがある。
 だから、「こころにたへぬものなげかしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」は共感を呼ぶことばだ。



 さて、“須磨帰り”後、大成した政治家として権勢を振るう中年の源氏には、実際の当時の権力者、藤原道長の精彩が感じられる。
 それでいて、源氏物語自体は王統が聖政(天皇親政)を実現する物語であり、反藤原氏・反藤原権家の思想が伺える。
 こんな、優美な王朝世界の裏側を冷酷に、批評的に描き出す“危険な書”である源氏物語がなぜ支持され、書き継がれたのか?
 そういう大きな謎に対する魅力的な解答が、この『望月のあと』には明かされている。



 本小説ではふれられていないけれど、『若菜』にはもう一カ所、わたしにとって印象的なことばがある。

  「過ぐる齢(よわい)に添へては、酔ひ泣きこそ、とどめがたきわざなりけれ。
   衛門督(=柏木)、心とどめて、ほほ笑まるる、いと心はづかしや。
    さりとも、いましばしならん。さかさまに行かぬ年月よ。
     老いは、え逃れぬわざなり。」
      とて、うち見やりたまふに‥‥

 柏木は女三の宮を奪い、女三の宮は妊娠する。
 源氏は柏木を無理やり宴に呼び出した上、視線をあて痛烈な言葉を浴びせる。
 その後、柏木は耐えきれず、弱って死ぬ。


 源氏物語が書かれたころの平安時代は、死刑や戦争がなかったというし、物語や清少納言の宮廷エッセイ『枕草子』にも殺人事件は描かれていない。
 けれども、源氏物語には精神的に殺され、死に至る人物がたくさんいる。
 そして、源氏もそれに関わっている‥‥


 聡明で思いやり深い理想的な人「光君」として造型されたはずだが、源氏物語後半になると、そのような面は陰ってゆく。
 経験を重ねて円熟してゆくだろう人間性には焦点が当てられていない。
 逆に、老いることにより抽出される、黒いコーヒーの最後のような苦さが滲んでいる。
 何もかもに恵まれ、それぞれの歳々で生の歓び、輝きを吸収しつくしてきたような源氏の言葉であればこそ、読む者の心に強く差す言葉だ。 
 ――「さかさまにゆかぬとしつきよ」



 『若菜』上下巻は音楽小説ともいえると思うほど、紫式部の深い造詣がうかがえる。
 最高の恋物語を志向して書き始めただろう紫式部だが、宮仕えのおかげでさまざまな教養を磨くことができたのだろう。
 才能が評価されたこの作家は、もしかしたら音楽も与えられ、生演奏を聞きながら豪華絢爛な王朝絵巻的な部分(パート)を執筆したのかもしれない。


 それでいて、『雲隠』のあとの物語や“宇治十帖”は、上流階層の暮らしや宮廷社会、王族(皇統)を厳しく批判するものだ。
 舞台も都ではなく、さびしい宇治の山里。
 資産、物資の価値は顧みられず、長女の姫宮(大君)は貴公子に口説かれながらも承諾せず、病み、死んでいく(総角)
 そして、初めて自ら死を選ぶ娘が登場する。
 教養など持たず、思慮は足りず、欲望に溺れる田舎、関東ゆかりの娘。
 しかし、それまでの源氏物語にも、この世からの離脱を希求する女人は多く登場したが、貫いたのは最後のヒロイン、この浮舟だけだ。


 光源氏――紫の上――藤壺中宮という、清雅かつ香気あふれる“紫のゆかり”の系譜とは、何もかもが大きく様変わりした次世代譚。
 彩り鮮やかな神話的英雄、男神女神たちは悲劇的に退場し、性愛さえも不毛な、閉塞してゆく灰色の都市社会が散文的にクローズアップされていて、まるで現代の世界文学のようだ。
 森谷明子式部『宇治十帖』を心待ちにしている。

千年の黙―異本源氏物語

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白の祝宴 (逸文紫式部日記 )

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望月のあと (覚書源氏物語『若菜』)

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