野上彌生子の“北軽もの”。
年末2回にわたって取り上げた建築小説『火山のふもとで』(松家仁之著)。
これらを好きなのはなぜか?
(『火山のふもとで』には野上弥生子らしい作家「野宮春枝」が重要な人物として描かれている)
この本を読んで、その理由がわかる気がした。
野上の『神様』は中野好夫、青野季吉、伊藤整に「こてんぱんに酷評」されたという。
「これはいちばん不愉快な‥‥」
「自分の別荘地帯のプチブル生活を実に安易にいい気持ちで書いて」
著者も引用して述べる。
「《もう黄昏になって、灰紫に暮れかけた浅間の頂上には、一摘まみの、まるい薔薇色の煙が、婦人帽の飾り花のやうについてゐる》
‥(略)‥
同じ頃に連日連夜の空襲で命からがら逃げまどう体験をした人たちからすればこれも別世界である」
野上のコネを駆使した辣腕により、戦中も戦後も、食糧は潤沢だった。
「あの非常時にこれほど太平楽に暮した人がいたのか、と反撥を感じる人も多かったにちがいない」
『群馬文学全集』の北軽物を読むと、野上は別荘村疎開を着実に成功させたし、戦局も冷静に見切っていて、あの時代にこんなスゴイ女性作家がいたのか、と驚くような文学者だ。
(野上の好みでいえば「知識人」か)
本書で紹介されている佐多稲子の発言が印象的だ。
(佐多は、桐野夏生の『ナニカアル』でも印象的に描出されている)
「隣近所の中で孤立していくということがこわいということがあるのです。警察の弾圧よりも……。そこで迎合的になるんですね。私なんか長屋で暮していたみたいなもんですから」
「隣近所から毎日のように赤紙で出征していくでしょう。そういう雰囲気の中で超然としてられなくなるんですよ」
それはそうだろう。
この証言には、ハッと胸を衝かれ、苦しくなる。
同時に野上の記述、たとえば、大学村の夫人たちは隣組から逃れることができてホッとしていた、というような部分を思い出さざるをえない。
佐多は戦後、「戦争責任で苦しんだ」という。
軽井沢の別荘地(長野県ではなく、群馬県の“北軽井沢”の)“大学村”での滞在生活を描いた、70年近く前のの野上作品群と、新刊『火山のふもとで』。
自分が惹かれる共通の理由−−
読書。
美しい自然。
人との新鮮な交流。
たっぷりとした美味しい食事。
家事や義理から解放される休暇的時間。
審美眼、知的好奇心を満たされるものやできごと。
逆に言えば、そこには苦しいものがないのだ。
生活や、政治や、災難、わくわくすることなど起こらない日々のごたごた‥‥
この特色はわたし自身の志向をよく表しているように思う。
そこで、極私的な年頭の辞として掲げておきたい。
- 作者: 岩橋邦枝
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