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武田百合子さんの秘密?

作家武田泰淳さんについての雑誌の追悼特集で、日記を公表した武田百合子さん。
ご家族の回想という枠でもあったのだろう。


では、『富士日記』『犬が星見た ロシア旅行』――つまり、泰淳さんとともに生きていたころの日記は、なぜ書かれたのか?
百合子さんについて調べ始めたわたしは、泰淳さんの小説、文章を読んで、びっくりした。
百合子さんの日記が引用されたり、文章が散りばめられていたからだ。


「主婦が書いていた日記でたまたまデビューした人」ではなかったのだ。
「美味しい料理、創作の場となる山荘を用意したり、娘さんを育てたり、財テクをおこなったり、運転、口述筆記などをして、作家活動を支えた人」でも。


百合子さんが後に表明した、日記を始めた理由。
けれども逆に、そこには、書かれていないことがありはしないか。
それらと、泰淳さんの作品や百合子さんの日記・文章そのものを重ね合わせると‥‥


当時の人、とくに出版界の人たちにとっては、当然だったのか。
けれども、わたしは混乱した。
偉大な男性作家、夫君に、生活能力だけでなく、また、精神にインスピレーションを与えるミューズとしてだけでなく、文章そのものを差しだして、献身的に支えた人。


日記は、明らかに泰淳さんの要請に応えるかたちで書かれている。
そこを中心点にすると、日記中の長大な描写、地元の人の談話を収録した意図は明らかだ。
そもそも、『富士日記』は家族による日誌であった。
編集者も見せられていた。
つまり、公開・活字化を前提とした記録、“泰淳さんの取材ノート”であったのだろう。


『富士日記』『犬が星見た ロシア旅行』の元となった日記は、公開のつもりもなく記された文章では、全くない。


百合子さんは発言・行動だけでなく、文章によっても、泰淳さんに影響を与えていた人なのだ。
日常生活、旅行先/外出先において、泰淳さんに同伴する百合子さんは、いわば、カメラのような存在、音声も入るからビデオカメラ、あるいは、感性のアンテナのような存在であったのではないか。


一緒に旅行した人の撮った写真が、驚くほど新鮮なように。


日記は常に泰淳さんのもとにあったのではない。
弱々しくなっていく泰淳さんを懸命に世話をしていたころの日記からは、それまでの多くの部分とは異なる響きがある。


時代と同期した文章を、自立した個人として商業メディアに発表するようになっても、「ある日の日記」と呼べる作品が多かった。
けれども、その色調は『富士日記』時代とは異なる。
「熟達」と評した作家もいて、確かに、一作家として短期間のうちに、深化していったのだろう。


百合子さんは、幼少時代の回想や、現代の風景を切り取る文章など、さまざまなものを開けっぴろげに、心情を素直な流出のままに記した観がある。
けれども、泰淳さんの創作活動への文章の寄与、献身については、全く言及しなかった。
黙したまま、世を去った。
わたしは複雑な気持ちである。


けれども反面、わたしが一番好きな作品は『富士日記』なのだ。
家計簿なり、天気の記録なり、料理名なり、百合子さんの印象的なコメントなり、花さんの成長なり、野生の生き物との遭遇なり、それはそれは、様々なものがふくまれているからだ。
内容も、配列も雑多。
そして、何年分もの――四季がめぐっている、読みごたえある上中下巻。
わたしにとっては、ふらりと入りやすく、風通しがいい一個の世界。



それから。
ケータイもスマホもない、高速道路はごく一部しかなくて、個人の商店で小銭を握りしめて買い物をする。
iPodも、インターネットも、テレビゲームも、エアコンもない、乗っている車はセダン型。
そんな昭和のにおいがするところが。
とても、なつかしくなるのだ。