ガソリンがなくなったので、最近やってきた自転車で、はじめて町に出かけてみた。
驚いたのは、自転車は歩くのとはまったく違って、はやく着いてしまうこと。
あまりにはやく着いてしまうので、もっと遠くへ行きたくなる。
寄るところは本屋さんくらいしかないのだから。
放射線関連で心配される雨も降ってきたので、店内を見てまわっていたら、この本が目についた。
直木賞受賞後しばらくして、職場の年上の女性から勧められたのかもしれない、
新聞の書評で惹かれたのかもしれない。
その女性からは、「大人の恋愛小説」というようなことを言われると同時に、ちょっとふしぎな表情をされた。
でも、わたしには、じっくりとした読み応えがあった。
だから、文庫の背表紙が目に入っただけで、買っていたと思う。
でも、今回は、カバーの写真がとてもいいと思った。
夕暮れの港と、一隻の漁船。
その向こうに、沈んでいく小さな太陽。
岸壁や漁船はシルエットとなって、全体の色合いがなんとも美しい。
「YUKIO TANAKA / SEBUN PHOTO」とある。
翌日、起きて、半分までいかないページを読んだ。
それから、散歩に出かけて、入ったカフェで、一気に終わりまで読んでしまった。
再読してみて、やっぱり、強い光彩を放っているのは、主人公「セイ」と「石和」だった。
セイの印象は、わたしにとって、なぜか、海岸に咲く白いスイセンの花である。
一方、石和の印象は、黒、である。
今回も、描かれているものに共感した。
この中編小説の一言一句、設定、話の流れ、そしてタイトル、「井上荒野」という小説家としてぴったりのような名前まで、すべてが完璧に感じられるほどだ。
しっとりとして、濃密で、ゆったりとした感じがまとわりつく世界。
だからこそ、『切羽へ』というタイトル、言葉、引き絞られた矢の一点のような一瞬の時が、力強く生きるのだろう。
「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」−−−