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可愛くて怖い、「大ロボット博」

2007年10月23日(火)〜2008年1月27日(日)
国立科学博物館(東京/上野)


 「かわいい。」−−と低い渋い声で言っていたのは、中年男性。
 Honda(ホンダ)のASIMO(アシモ)が、お手伝いロボットとして、くるくると動き回っていたショー。
「“ドラえもん”みたいなのが、できたらいいのに」−−とまじめに言っていたのは、大人の女性。


 展示品のロボットの外見には、共通の特色があった。
つるんとした質感。丸みのあるフォルム。
大きくて丸い、つぶらな“瞳”や、大きくて丸いヘッド部分“頭”、3頭身といった外見。これらは、子どもを思わせる。


 産業のロボットの動きは、的確ですばやかった。しかも、それを何回くりかえしても、間違えないし、効率が下がることはないのだ。
重い物を持ち上げるなど、人間には持てない力を発揮するロボットもあった。
会場では、仕事、介護、家事、そして愛情の対象など、いろいろな面で人間の役に立つロボットの在り方が示されていた。


 わたしはふと、くだらないことを思ってしまった。映画とかみたいに、優れたロボットが“狂って”しまったら?
だれか、悪い心を持った人がプログラムを狂わせたら?
そういうことがなくても、こんな超人的ロボットを、人はどう使えるのか?


 トールキン(トルーキン)の『指輪物語』(ロード・オブ・ザ・リング)。原子爆弾が使われた世界大戦終結後に誕生した物語において、すべてを破壊してしまう悪の力は、指輪という物だった(作者は核兵器との直接の関連を否定している)。物は、それ自身は動かない。


 数年前、新聞にこんなことが書かれていた。
将来の戦争は、国境などの無人の戦地で、ロボットだけが戦い合っている。その結果によって為政者は戦争をやめたり講和を結ぶだろう、と。
会場には、ロボットによる明るい未来が示されていたけれど、わたしは初めて、あの記事を生々しく感じた。


 きっと、有能すぎるロボットを目の当たりにした多くの人の胸に、不安がよぎるのだろう。
だから、どのロボットもかわいらしく、愛らしい外観をしているのではないだろうか。


 ロボットを見ていて、「やっぱり似ている」と思った。それは、クルマやケータイ。ほかにもデジカメ、携帯音楽プレーヤーなど。
(パソコンのマックもそうだけど、あれはちょっと大きい。人は小型化と、可愛らしくすること(愛嬌化?)を物にしたがるみたい)
ロボットと、ケータイなどに共通する点は、つるんとした感じ、丸み、心地よいカーブ感(曲線)。
あと、光、ライト、イルミネーション。
そして、子どもの声。


 怖さ、恐怖感は湧く。
けれども、やっぱり、ロボットには未来が感じられた。
装着型ロボットスーツ「HAL(ハル)」を装着した介護。差し迫った超少子超高齢社会に対応できるのはロボットだと。
医療、福祉。それだけでなく、人が愛情を注ぎ、(それこそ仮想、ヴァーチャルでも)愛情を人に注いでくれるロボット。
いまロボットがいるのは、工学よりもサービス業みたいだと思った。