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武田百合子さんの特集記事を読んで

 前回書いたように、先月、武田百合子さんを特集した新聞記事がでた(朝日新聞8月19日)


 ここ数年、武田百合子さんについて、ふれている文章が多い。
 百合子さんは才能にめぐまれた、特異な人。
 浮遊的で、楽しく人生を送った人。
 とだけ受け取られてしまうことはあったろうか。


 しかし、村松友視さんが記事に「文章には律儀でゲラはずいぶん推敲した」と書いてくれたように、百合子さんは“努力の人”でもあった。
 そして、わたしは、その人生には忍耐の面もかなりあったと思っている。
 
 記事には【『もの喰う女』や『風媒花』のモデルとして知られていた。貧しく飢えても、生きるためのエネルギーに満ちた女性像だ。しかし、自殺願望というか、ニヒルな部分をかかえていた】(由里幸子さん)とある。


 泰淳さんの後期の作品で、代表作『富士』にも、百合子さんがモデルと思われる女性が登場する。ただし、百合子さんの書いた日記と比べると、現実の百合子さんとはいくらか異なる。泰淳さんの“見たい、描きたい女性像”として増幅・デフォルメされている、創造され直されているのだ。


 しかし、百合子さん自身、泰淳さんの前で、そういう「百合子さん」を演じていたところもあったのではないか。
 村松さんは、百合子さんが自宅では「気さくになって、ふつうの作家の奥さんになる。」とお書きになっている。


 武田泰淳さんの後期の作品には(最後の『目まいのする散歩』にも)、『富士日記』『犬が星見た』の日記そのものが引用されている。
 『富士日記』『犬が星見た』の基盤は、“作品の糧としたい、作品に取りこみたい”という泰淳さんの創作的要請によって書かれた日記・記録といえる。
 そういうものを書き続けた百合子さんは、献身的で、まじめだし、努力の人だろう。(比べるのもおこがましいが、三日坊主という言葉があるように、わたしなんか才能はもちろん、根気も無くやれない)


 百合子さんは泰淳さんの取材旅行にも同伴したけれど、それは身の回りの世話をするだけでなかった。いわば、泰淳さんのもうひとつの別の“眼”、カメラマンであった。
 泰淳さんと真逆なほどちがっていながら、拮抗するような視点・才能をもつから、大切だったのだろう。
 いま、百合子さんの書いたものの恩恵を受けているのは、わたし達ふつうの読者である。しかし、百合子さんの人生においては長い間、夫君であった。百合子さんのデビューは51歳である。


 その証拠のように、『富士日記』『犬が星見た』で泰淳さんと共有していた時間を書き終わったあと、『ことばの食卓』以降には変化が見られる。
 感覚な感想(印象批評?)だけど、陰影が深くなった。
 内容はシンプルになっていった。


 ということは、プロの物書き・エッセイストとして、厳しく取捨選択していったということだ。
 『富士日記』『犬が星見た』はすぐれた日記文学、旅行記文学。
 それ以降の文章は、日記形式であっても、エッセイ文学とでも呼べるものとなっている。
 たしかに、人生を「遊覧」するように生きていた観はある。ただ、「遊ぶ」っていうのは、表現することかもしれない。「seer」であることには、努力、錬磨も大切にちがいない。






 最近、田辺聖子さんのすばらしい全集が刊行された(集英社より)
 その別巻には、女性の生き方の変化も盛りこまれた年譜、著名人との対談、研究者による評伝、当時の写真なども収録されている。
 内容が盛りだくさんな上、小倉遊亀さんの絵(女性像)もすばらしい。買ってしまった。
 その田辺聖子さんは、1928(昭和3)年、大阪の写真館(自営業、商家?)のお家(うち)に生まれた。
 武田百合子さんは1925(昭和元年)生まれだから、お聖さんとは、たった3歳しか違わないのだ。


 わたしの好きな女性の作家と比べていくのはキリのないことであるが、もう一人だけ挙げたい。
 須賀敦子さん。1929(昭和4)年、会社経営者のお家(うち)に生まれた。


 昭和時代前半は、たった数歳ちがいが、大きな意味を持ったのだろうか。家庭環境だろうか。
 もちろん、わたしには人の生き方をとやかく言える資格などない。そうでなくても、武田百合子さんの書き残したものはすばらしい。
 百合子さんが生きて、生活して味わった喜び、豊かさは本物だし、わたしには感じ取れるか。
 高校時代から、百合子さんは神話的な存在、女神であったわたしである。


 けれども、上に書いたように比較したり、考えてしまう時がある‥‥
 そういう意味でも、朝日新聞8月19日の特集記事のタイトルを借用させてもらえば、わたしにとって、武田百合子さんは終わらない‥‥