武田百合子さんが新聞に大きく紹介されました!

 新聞をめくって、胸がドキンとした。大きな活字の「武田百合子は終わらない」という見出しが、目に飛びこんできたからだ。ナニ!?ナニ!?


 びっくりした。なんと、紙面を大きく割いた特集記事で、武田百合子さんが取り上げられているではないか。

 
 しかも、(私事ですみません)、わたし自身が、ほんの少しだけど関わることのできた本も紹介されている!

 【KAWADE夢ムック 「武田百合子 天衣無縫の文章家」には、単行本未収録の文章や吉行淳之介との対談など。】
 「いま読むなら」欄より


 百合子さんのファンとして、驚きでうれしいこの記事は8月19日、先週日曜日の朝日新聞、文化面(28面)
 昨年、NHKのテレビ番組で、しまおまほさんが紹介なさったのに続く、有名なメディアでの紹介だと思う。
 「足跡」コーナーもわかりやすい。


 もちろん、メインの記事もよかった。久しぶりに、新聞をむさぼるように読んだ。

 リードの文章の書き出しからして、すばらしい。
 【武田百合子がヒトやモノの本質を一瞬に見抜く稀有な文章家として認められたのは、51歳のことである。】
 犬や猫に対しては、愛情が深くて、ちょっと違うかもしれない。でも、「ヒトやモノ」という表現が、百合子さんの作品の特質を秀逸に表現している。
 ヒトもモノも等価。というところが百合子さんの作品を新鮮に感じる理由の一つだから。


 小見出しは「世に出た日記/生活の叙事詩
 記事本文は、百合子さんのプロフィールと魅力が的確に伝えている。で、途中になんと、こんな一文が挿入されているのだ。

 【観念などを「何だい、自分ばかりいい子ちゃんになって」とふっとばす新鮮さ、独特の反応のおもしろさがあふれた文章だった。】

 
「何だい、自分ばかりいい子ちゃんになって」 
 『富士日記』の愛読者なら、すぐわかるだろう。
 だんなさんで著名な小説家、泰淳さんに対しての言葉だ。センターラインをはみだしてきた自衛隊の車にぶつかりそうになった時の。(昭和41年9月7日)
 こんな引用を、ぽんと挟んでいる記事に喝采。
 それにほんと、泰淳さんは観念の人。百合子さんは感覚の人。
 (だからか、わたしは戦後派の大作家、泰淳さんの作品を、純粋に楽しんで読むことができない‥‥)


 記事の続きはもっとすばらしい。
 たとえば、「帰るのが楽しみだった」という娘さんの花さんのエピソード。初めて読んだ。“ああ、百合子さんにお会いしたかった”なんて、図々しいことを思ってしまった。


 わたし的にいちばん素晴らしかったのは、この節のおわり。これまたなんと、『日日雑記』の模食のくだりが引用されているのだ(模食とは、レストランや食堂のショーウインドウに置かれている、本物そっくりの食べ物のアレ)
 【こういうものがごたごたとあるところで、もうしばらくは生きていたい!! という気持がお湯のようにこみ上げてきた。」
 模食で浮世の未練とは!】


 記事のこの節は、この文で終わっている。引用部分のチョイスも、コメントもすばらしい!


 『日日雑記』のあの箇所は、わたしも百合子さんのものの見方がよく現れていると思ってきた。引用したこともあるくらいだ。表現としては、とくに「お湯のように」という語句がこの文章をすばらしくしている、と思う。



 しかし、記事の本文はそのあとからが、もっとも価値がある。
 小見出しは、「天衣無縫の裏/孤独を知る心」
 くわしくは紹介できないが、すこしだけ抜粋したい。

 【天衣無縫などともいわれるが、明るいイメージとはかけ離れた奈落がどこかにある。】

 
 小池昌代さん(詩人・作家)の言葉もいい。わたしが一番共感したのはここです。

 【孤独で野性的な魂の感触】


 孤独で、野性的。ほんとにそうだ。
 それから、最後に小池さんがいう【人間の根源的な『生きる力』を感じます。】もわかる。
 『生きる力』が土台にあったり、充溢しているから、百合子さんの作品に惹かれるんだ。この『生きる力』は豊かで、幅と弾力がある力。


 記事のさいごのパラグラフは、ファンなら、気になっている山荘が、「老朽化し取り壊されてしまった」ことも告げている。
 わたし自身はショックを受けた。でも、今は「それでよかった」という安堵みたいなものを覚えている。


 以上、すこし紹介したが、この記事の文章は飾っていなくて、的確、深いところもある。
 そしたら、末尾の署名を見て、ハッとした。由里幸子さんなのだ。
 朝日新聞文化面の文芸・文学、とくに作家関連の記事でよくお名前を見る記者(編集委員)だ。そんな方が武田百合子さんを紹介してくれるなんて。
 ( )のなかのたった4つの印字、氏名がとてもうれしかった。




 この特集はほかにも、村松友視さんによる紹介文・小評伝(?)。タイトルは「通俗をひっくり返す美学」
 それから、神保町の旧・喫茶店「ランボオ」、いまは「ミロンガ」の写真もうれしい。百合子さんについての文章を読んでいるとよく出てくるから。


 武田百合子さんに興味がある方、お好きな方はぜひこの特集記事を一読してみてください。

 




 わたし自身も発見があった。新聞にしかできないレイアウト・デザインに魅了されてしまったのだ。
 これまで百合子さんが紹介されてきたのは、テレビの画面、つまり映像。
 ほとんどは本(ハードカバー・文庫)、雑誌という、紙面。
 それから、こういうパソコンのディスプレー。ウェブ。


 とくに最後のインターネットは、手軽に百合子さんについて読むことができて、べんり。しかも、いまは呼吸するのとおなじような速さで、全世界に発信できるブログが爆発的に普及している。
 けれども、ブログはディスプレーというか、「面」をきわめて、画一的なデザインに制限してしまっているところがある。
 ネットの受容と反比例するかのように、新聞の購読は激減していると思われる今だが、今回、新聞という「紙面」のよさ、見事さを新鮮に感じた。


 愛おしそうに「玉」ちゃんを抱き上げる泰淳さんの写真、山荘のテラスの百合子さんの写真。
 その配置。各種の見出しの位置。フォントの種類。各記事の配置。


 新聞『紙』にしかできないし、新聞記者の長年の蓄積された経験による、珠玉のような一面だ。
 新聞は新聞文化、というものを作ってきた、この特集は新聞文化の一つの華かもしれない、くらいに思った。 


 たとえば、冒頭に紹介した大きな見出しは横書きだが、中くらいの見出しは縦書きで、「犬が星を見るように/漂うごとく遊び戯れ」
 その横には『犬が星見た ロシア旅行』の単行本のあとがきの文章が抜粋されているのだが、先の中くらいの見出し(明朝体)が、なんとも美しいのだ。