うす暗い会場に入ったら、いきなり長沢芦雪(長澤蘆雪)の虎図があって、うれしかった。芦雪のトラは、だいぶ前から新聞・書籍などで大きく取りあげられていて、気になっていたけど、初めて本物を見た。今回の虎は、ガタイがよかった。 http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060420
奇抜なデザイン。
大きく取られた、印象的な余白。
墨一色なのに、リズム感のある絵。
変。
気味悪い。
かわいい。
やっぱり、すぐに思い浮かぶのは伊藤若冲の絵。強く印象に残った絵がたくさんあった。(カッコ内の数字は、目録とカタログの作品No.です)
『葡萄図』(42)http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060419
いろんなメディアで紹介され、知名度が急上昇したと思われる、この一幅。自分だったら、大富豪でも買わないなあ。若くしてこの絵に大枚をはたいたプライスさんて、すごい。
鶴ポーズ集。さまざまなポーズをきめて、鶴のヌードみたいだった。
『鶴図屏風』(52)http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060510
「love 虎」とメモしてある。「I love you」の気持ちになったのだと思う。
猛虎ってあるけど、かわいいのだ。
模写だという。「本展ではこの絵が一番好き」って言ったら、若冲の魅力がわかっていないって思われるだろうか。
『猛虎図』(44)http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060514
こういう猛禽類なら、ほしい。でも、きっと絵画の中にしかいないだろう。
リアルで、厳しい顔つき。対照的に、下部の波は、シンプルな渦巻き。その巻ぐあいは、ユーモアも感じさせる。
いろいろなものが混合されている、ハイブリッドな絵。
『鷲図』(57)http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060523
森美術館(六本木ヒルズ)の開館記念展『ハピネス アートにみる幸福への鍵』で見たときよりも、気に入った。むかって右側の屏風が好きだ。どの動物もラブリーなのだ。
青い獅子、ヤマアラシ、らくだ?、べたっとしているリス、そして、極上のかわいらしさのロバなど。
むかって左側の屏風の中心は鳳凰だけれど、左端のオンドリ。異様にでかい。若冲は鶏好きだったからか。
この屏風を見て「タイル」と言うお客さんあり。
『鳥獣花木図屏風』(50)http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060511
展示コーナー『Ⅲ エキセントリック The Eccentrics』のパネルは、「同時代における最先端の思潮が表われており、若冲たちこそが画壇の主流であったとみなされるのである。」と結ばれていた。
わたしでもいいと思う、若冲のような絵が正統なんだ。うれしくなった。
【ガラスケースがない! すばらしいライティング!】
本展がBEST1である大きな理由は、最後の方に用意されていた、すばらしい展示コーナーのためである。
そこには、いつも、観客と名画のあいだをさえぎっているガラスケースがなかった。
それだけでなく、絵を照らし出すスポットライトの明るさも変化するのだ。闇から薄明、強い光、また闇へ。
こんなふうに絵を見るのは、はじめてだった。
しかし、この演出はただ奇抜なのではなかった。形態と色彩が驚かせるけれど、事物、生命の真実を描き出している若冲の絵とおなじように。
この展示によって、かつては家屋の居住空間に、調度品として置かれてたりしたろう日本画の、本来のあり方と美を実感できた。
とくに、屏風が魅了された。
六曲一双などというように、屏風はジグザグに曲がっている。その“曲”と光の加減が合わさって、画面の表情ががらりと変わるのだった。
それから、「金」。金屏風なんて、「お金と見栄のためのもので、悪趣味だ」と思っていたけど、「金」の面が光を美しく受け止めていた。
『源氏物語』を絵画化したものは国宝の絵巻以外、だめだなんて思っていた。しかし、これは単なる人形が配置されたような生気のない絵ではなかった。曲と金と光とが、「花宴」の貴公子光源氏と、深窓の令嬢・朧月夜の出逢いを、ドラマティックな映画のように見せていた(5)。 http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060620
酒井抱一の『佐野渡図屏風』(93)http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060630
光が変化していくなか、金地に現れたり消えるすばらしい雪に引きつけられた。
光の強弱、有無によって、描かれているものについてのわたしの理解も、感想も変わっていった。ひとつの屏風にひとつのものが描かれているのではなかった。
京の祭りのようなたくさんの人間が描かれている絵は、光が暗いと怖かった。明るいと「楽しそう」だと思った。
http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060621
『紅梅図屏風』(8) http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060623
もともと好きなタイプの絵だ。でも、オレンジ色の薄明の中では、幽玄で、味わいがあって、びっくりした。
【いちばん感銘をうけた絵】
それは、今橋理子さんの『江戸の動物画 近世美術と文化の考古学』(2006年第2刷、東京大学出版会)で知った屏風。実際に見ても、すばらしい傑作だった。
作者の名前は葛蛇玉(かつじゃぎょく)。聞いたことのない変な名前だ。
でも、この屏風のすばらしさは誰にでもわかるだろう。ところが、この画家の作品としてこの世に現存するものは4点だけだという。
屏風のタイトルは『雪中松に兎・梅に鴉図屏風』(63) http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060627
とにかく、雪、雪の表現のすばらしさ。大画面いっぱいに降りしきる雪の迫力に圧倒される。
しかも、この雪は墨を塗り残したり、胡粉を吹き散らして表現しているというから、すごい。
木のみきにいるウサギへ駈けよって来る、もう一匹のウサギ。枝にじーっと止まっているカラスのところへ飛んでくる、もう1羽のカラス。
闇夜。風雪。その中での友情が描かれているのだと思うと、感動する。
この屏風は技術的にもすごい。しかし、画中にあふれている詩情もすばらしい。
わたしが本展で1点だけ挙げるとしたら、この絵だ。
ストーリー性のあるドラマだからだろうか。しかし、そうでありながら、あっという間に流れ去っていく一時の感慨が表現されているのではない。永い時間のドラマが展開されているように感じる。
ふりつむ雪。
闇のなか、やってくる友。それはどんなに嬉しいことだろう。
この雪は、永遠にふりつづけるように感じてしまう。
それから、あふれる熱い思い。
冬の風雪の夜からくる冷たさと、友情から発している情熱。
動きある生き物と、立っている木。 暗黒と真白。
ただ見た場合、なにが描かれているのか、わからないのではないだろうか。似たような絵は思い浮かばず、深い謎に包まれた一作で終わってしまうかもしれない。
それによく見ると、なんとカラスの頭は白い。そんなカラスはこの世にいない。だいたい、ウサギがネコのように幹によじのぼるなんて、これもありえない。科学的にはでたらめだ。
そういう謎、変な点、もしくは弱点が今橋理子さんの『江戸の動物画』では、説得力をもって解き明かされている。カタログにも、「兎鴉は日月を象徴している」という今橋さんの説は書かれている。ただ、本展ではその画期的な説に基づいた「右に梅に鴉図を置く」配置ではなかった。(「 」内はカタログより)
【おわりに】
ガラスケースがなく、光が変化していく展示は、日本画のよさに出会い、じっくり味わえて、どんなお金とも交換できない、すごく贅沢な時間だった。
日本画はかならずしも静止画、動きのない絵ではなく、「絵は、時間とともにあるものなのだ。自然界のように。」と思った。
こういう展示方法の点でも、本展は画期的だったのではないだろうか。ほかの日本画の展覧会にも広がってほしい。
それから、この展覧会では何度も同じことを思った。「日本画っておもしろい!」
本展は、知識なんかなくても、眼に明瞭に伝わってくる、快く、楽しく、純粋に「おもしろい日本画」をたくさん見せてくれた。
「日本画はおもしろい!」ことをあらためて教えてくれたすばらしい“イベント”だった。
(初めて東京国立博物館のパスポートを使った。ここの平常展は本館、東洋館、法隆寺宝物館などでも行われていて、それぞれ充実している。ゆっくり見ていたら1日では堪能できない。このパスポートは平常展が無料だし、ミュージアム・ショップにちょこっとだけ寄りたいような人にもお得だと思う。)