画家の日記3 エゴン・シーレ
『エーゴン・シーレ 日記と手紙』 大久保寛二 編・訳 白水社 2004年
2006年の暮れも押しつまった年の瀬に、いきなり書きはじめた画家の日記シリーズ。自分でも、なぜ書きはじめたのか、きっかけをすぐに思いだせない。
イスに座り続け、お尻が痛くなってくるなか、「デューラー、ポントルモ。画家の日記と銘打ってみても、2で終わりだ〜」と高をくくっていた。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿も、ゴッホの日記も、パウル・クレーの日記も、読んだことがない。
ところが、パソコンからふと目を上げて入ってきたのが、本書だった。机の本立てに挟みこまれていたのだ。
頽廃と反抗の青年画家、エゴン・シーレの日記。
シーレの強烈な自己主張が表現された絵が好きで、(まっとうで、完璧な、スピーチの代わりに絵による“青年の主張”、という感じ)、買ったのに忘れていた。
一緒に買った『エゴン・シーレ ドローイング 水彩画作品集』は読んだ。評伝でもあるのだ。
ジェーン・カリアー著、ゴリーガブックス、アイヴァン・ヴァルタニアン制作監修、和田京子翻訳・編集(新潮社 2003年)
500ページ近くもあり、大部で、ほんとに重い。
『エーゴン・シーレ 日記と手紙』はそれに比べて、小さく軽い。でも、ほとんど読んでいない。中途脱落。
本書を占めているのは手紙で、日記なんか本書で25ページくらいしかないのに。
シーレのは「戦中日記」。第2次世界大戦ではない。シーレは1918年に死んだ。まだ28歳で。
従軍日記とはいえ、デューラーのような執拗なまでにお金の細かい記録とケチぶり、ポントルモのような食べた物(メニュー)の列記はない。
わたしはふたりの画家の有名な日記について、「羅列ばっかりで、芸がない。芸術に耽溺したり、芸術の観点から物事を斬る心の叫びが表現されていない。芸術家らしくない。」などと批判していた。
だが、かえりみれば、10代から、武田百合子さんの『富士日記』や旅行記『犬が星見た』も愛読書だった。
また、人が口にするのを耳にしたこともなく、新聞など取り上げているのを見たこともない『ランドゥッチの日記 ルネサンス一商人の覚え書き』(中森義宗・安保大有訳、近藤出版社)も敬愛している。
この覚え書きは日記である。
舞台は、建築家ブルネレスキによって、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂にオレンジ色の、見る者を圧倒するドーム(キューポラ)が作られ、ミケランジェロが彼の彫刻が街路を運ばれるほど活躍し、メディチ家を中心とした血なまぐさい政争、修道士サヴォナローラのつかのまの宗教的支配、チェーザレ・ボルジアの進軍、『君主論』マキァヴェッリの活躍があったころのフィレンツェである。
商人ルカは大きなニュースのほかに、市民のうわさ話、アルノ川が結氷して若者はスケートを楽しんだといったような出来事を書き綴った。いわば、見聞の集積、羅列である。
わたしはもともと、羅列日記が好きらしい。
でも、若いアーティスト、シーレの手紙の文章は、好きだ。家族友人知人に率直に語りかけていて、言い回しは粋な感じもする。芸術家(の近現代の)のイメージに適う詩的なところもある。・・・・・・
えーっと、シーレの日記は今は読まない、ということで。・・・・・・。