武田百合子さんがテレビで紹介されました!

 NHKの「ゆるやかナビゲーション ゆるナビ」という番組で、武田百合子さんのことが紹介されました。
 番組自体は、こんなふうに紹介されていました。
・近年逝去した女性を紹介する「さようならの風景」は1993年に他界した作家の武田百合子さん。今も多くの若い女性を引き付ける彼女が愛した富士山麓を、漫画コラムニストのしまおまほさんが訪ねる。

・忘れられない女性たち「さようならの風景」
時に美しく、時にはかなく、時に激しく…。さまざまに生きた女性たちの生き方、彼女たちが見つめた風景をたどります。天衣無縫、自由奔放なエッセイが、今も、多くの若い女性ファンを持つ武田百合子。夫・武田泰淳の妻として夫を支え、そして夫の死後、自らの文才を開花させた。生前、夫と共に過ごした富士山ろくの風景を漫画家・しまおまほが辿る。



○わたしの感想○

 番組を楽しみにして見た。
 まず、百合子さんの弟さん・鈴木修さんと、『富士日記』に登場する「ガソリンスンドのおじさん」が出演していたのには、びっくりした。鈴木さんは百合子さん関連の書籍には登場しているけれど、まさか、映像が見られるとは思ってもいなかった。
 「ガソリンスンドのおじさん」の登場には、さらに驚いた。
 百合子さんのファン、『富士日記』の愛読者として、大きな収穫であった。

 ナビゲーター役のしまおまほさんもよかった。しまおさんは1976年生まれだという。かわいらしくて、おしゃれで、自分の感性を大切にしているアーティスト、という印象を受けた。
 そういうしまおさんによって、百合子さんの作品や人となりが若い人たちにも、伝わっている感じがした。

 娘さんの武田花さんが山荘で撮影した写真も紹介されていた。それから、もっと前の、戦後すぐのころの、若く躍動感に満ち、とびきり美しい百合子さんの写真も。
 それらは、百合子さんのファンにとっては、すでにいくつかの書籍で紹介され、見慣れたもののはずである。
 しかし、テレビ放送で改めて見て、新鮮なショックを味わった。
 テレビ放送は、カラーの映像の連続で、動画である。それも、耳に訴えかけてくるような、さまざまな音楽に乗って、つぎからつぎへと現れてくる。
 その“流れ”のなかで見ると、写真は異質だった。

 動画でなくて、一枚一枚の静止画像。無音。
 数葉をのぞいて、ほとんどは白黒、モノクロ。
 カラーも、現在隆盛のデジカメやケータイの写真のものとは違う色合い、色つやを走っているようだった。
 明るく鮮やか、華やかなテレビ放送のなかで、古い、そしてどこかなつかしい昭和の匂いが漂ってくるようだった。昭和の光とも言えるだろうか。

 動かず、音もなく、静か。
 これは6月にしまおさんが旅したという富士山麓も同じだった。これにもわたしは大きなショックを受けた。
 富士山には観光で寄った思い出があるだけだが、富士山周辺が今、あそこまで静かで落ち着いているとは思っていなかった。
 たしかにわたしが見た精進湖は暗く、本栖湖は閑静で、『富士日記』の記述と重ね合わせていたけれど。
 『富士日記』から、夏や秋には観光客が押し寄せ、喧噪に満ちた観光地のイメージを持っていたのかもしれない。

 ゲイシャ、フジヤマ。
 葛飾北斎の浮世絵の赤富士。富嶽三十六景。
「へん? お富士さんだって?
(略)
ひとりお美しいお富士さん
ここじゃみんながよごれてるんだよ」
(深尾須磨子の詩「ひとりお美しいお富士さん」より。1949年作)

 富士山は今もニッポンの代表、そういう一大観光地なのだと勝手に思いこんでいた。しかし、しまおさんが行き、佇む風景は、流行や喧噪からは遠い山河だった。静かで、時の流れがゆったりとした、草木の生い茂った日本の自然だった。
 たしかに、現代の大人気スポット、一大観光地は老いも若きも富士山、富士五湖ではないかもしれない。たとえば、ベイエリアとかいう東京湾岸だろうか。中高年だって、旭山動物園だの、四国、沖縄、海外に目が向いている。

 百合子さんの作品には、インターネットもケータイも出てこない。百合子さんは電話をかけるために山荘の事務所まで行った。急ぎの知らせは電報でやってくる。泰淳さんの原稿を送るために、駅まで車を運転して、列車便で出していた。音楽はレコード。
 『テレビ日記』という連載をもち、べつの雑誌に映画評も連載した百合子さんが行っていたのはシネコンではなく、街中の映画館だった。
 ・・・今風に言えば、スローライフに見えるかもしれない。
 最近わたしは、百合子さんの作品から、“昭和、平成初期のなつかしい、レトロな時代感”みたいなものを感じる。数えてみると、昔ではない。近いのに、遠い感じがする。
 しかし、生活だけでなく、『富士日記』の舞台すら、変貌していたのだ。時の移ろいと無縁ではなかったのだ。
 このことは大きなショックだった。

 わたしは『日日雑記』を小さな書店で買ったし、同時代の読み物のようにも思っていた。生活、暮らし、見聞などを綴った平明な読み物だと。
 しかし、モノクロ写真や、静かでゆっくりとした映像、落ち着いた声のしまおさんの朗読が流れる本番組を見ていたら、百合子さんの作品はいまや、マイナーで奥深い(コアな)世界として、若い人を惹きつけているのかもしれない、と思った。知られざる世界、世界の中心にはないような、現代のせわしない流れから少し外れたところにある世界として。

 若くておしゃれで個性的なしまおさんが、そのような現代の流行(はやり)から取り残された場所を舞台とした、“むかし”の作品のよさを理解し、愛していることが伝わってきた。
 この番組は、まだ武田百合子さんを知らない人々に、“なつかしさ”“静けさ”そして個性的で、愛のある自由な暮らし感が漂う『富士日記』に出会わせてくれ、現代と取り結んでくれるように思った。

 ところで、わたしにとって、しまおまほさんと言えば、まず百合子さんと交流のあった島尾ミホさんのお孫さんとして思い浮かんでしまう。そのようなお血筋、芸術家一家という貴種、ブランドとして、思い浮かんでしまう。
 しかも本番組を契機として、『富士日記』における島尾ミホさんに関する記述の重要性に気づかされたので、なおさらであった。
 だが、番組にはお祖母さまのミホさんのことは出てこなかった。しまおさんは、若い女性のファンとして出ているようだった。それがよかった。
 本番組は、わたしにいろいろなことを気づかせてくれた。

 全国放送、しかもふつうの時間帯のNHKで取りあげられることで、武田百合子さんの全ての文章、談話などが収録された全集や、アンソロジーを希望する声が高まってくれることも期待している。
 けれど、単なる紹介の媒体、メディアではなかった。
 番組は、精選された極上の素材でつくられた美味しいデザート、美味しく淹れられたコーヒーのようだった。
 (「快晴。快晴。(略)」コーヒーの缶をあけたら、いい匂いがした。コーヒーをつづけて三杯飲む。」1964年8月1日の日記より)
 わたしなんかが持っていない観点からとらえられていて、よかった。
 時間は10分くらい(?)と短かったが、『KAWADE夢ムック 文藝別冊 武田百合子』や、ほかの書籍と並ぶ、一個の作品のようだった



 今週末(2006年7月15日(土)の深夜?)に再放送があるらしいです。
 前回見逃してしまった方もぜひご覧ください。
 アトリエで、自分のペースですてきな食器をつくっている女性の陶芸家の紹介もよかったです。