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美味しい外国

http://www.geocities.jp/utataneni/books/foreign_countries.html
の転載です。今後はそちらで加筆修正していきます。

 ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』が好きだ。

 買う本や、図書館で借りる本はベストセラーばかり、という人がいて、複雑な気持ちだった。でも、その人が買ってきたこの本をこっそり読んだら、おもしろかった!

 それ以来、気がめいった時、めいりかける時に、ベッドに持ちこむようになった。そしてとうとう購入した。といっても古書店でだけど、わたしは手元にずっと置きたい本しか買わないほうなので、これは自分的にはスゴイことなのである。

 自分の物となった『プロヴァンスの12か月』はいちばん近くの本棚に並べた。しかしそれよりもたびたび、ベッドの枕元の本の山の一層となった。ふだんの生活の常備薬的存在になったからである。

 高校生や大学に入ったころの『富士日記』(武田百合子)の読み方と似ていた。そのときの月や、前後の月の章から読むのである。もともと、こういう日誌的な生活の記録が好きなのである。

 ところが、にも関わらず、この『プロヴァンスの12か月』は軽んじていた。それを思い知らされたのは、須賀敦子さんの『本に読まれて』だった。引用や、手際のいいエピソード紹介のあいまに、こんな文章があったのだ。

 ニンニクをきかせた南仏ふうマヨネーズ、アイオリ、香草の匂いたつローストにシャンパン。月明かりに窓から見える、植えつけたばかりのラヴェンダー畑。「美しく、おいしそうな」この本が、英米では売れに売れ、ちょっとしたプロヴァンス・ブームを招いたと訳者のあとがきにあるのは(略)

 あるいは、だれか友人がたずねてくるあてのまったくない雨の日曜日に、読者をやさしい休息にみちびいてくれる、そういった本だ。(略)数ページ読むだけで、また編み物に戻ってもいい。

 結びは「ただし、パーティーのごちそうについては、本文参照。」


 須賀さんは、この本がが与えてくれる歓びをはっきり書いている。読者の生活にひきつけて、読者が魅力をわかるように紹介して。

 ちゃんと新聞の書評に取り上げているということ自体、わたしにはたいへんなショックだった。わたしは、あれが愛読でなければ、何なのだろう? というくらい、愛読していた。そのはずだった。でも、こんなふうにちゃんと取りあげる本ではないと思いこんで板のだ。自分こそバカだったのだ。

 ・・・いま書くと、辛口になってしまうけど、『南仏プロヴァンスの12か月』は、人を惹きつける話術にたけた本だ。いわば、流暢な文章によるきわめて美しい風景写真、あるいは、思わずほおをゆるませ、唾液を生じさせる、長いキャッチコピーで構成された広告、CMかもしれない。美味しそうなメニューや、軽妙な人物描写は出色。ただし、続編の一冊である『愛犬ボーイの生活と意見』はいまひとつ(でも、エドワード・コーレンによる洒脱な犬のイラストは最高!)





『食べちゃおイタリア!―La dolce vita』

  パンツェッタ・ジローラモ(光文社)

 なにげなく読んでいたのだが、自然に頭に上ったのが『南仏プロヴァンスの12か月』。でも、こちらのほうが好きかもしれない。ちょっとゆるんでいて、広告的な計算がすくない気がするから。「自分の話を聞いてほしい!」という明るさと、聞いてくれるなら、なんとしても興味をひきつけようとする語り方が良心的な感じ。

 挿絵の水彩画にもいいものがある。この本はおもしろくてきれい。素直に幸せになれる本だ。画家は、軽快なしゃべり言葉に翻訳した奥さん、パンツェッタ貴久子さん。



『トスカーナの丘 イタリアの田園暮らし』

  フェレンク・マテ 田口俊樹訳

 たぶん、この本だったと思う。近所のおばあさんが濡れた葉っぱに包んだチーズを、孫娘にもたせて遣る最初の方はともかく、後はおもしろくなかったのは。イノシシの料理がでてきた気がする。

 なぜ読んだかというと、イタリア旅行に備えて、本を探していたから。

 それから、上にも書いたけれど、わたしは生活記、ごはんや住まいや外出の暮らしをつづった日記がわりと好きだから。

 外国の本はそこに旅行したり、滞在した気になれる。日本の山荘や都会暮らしを書いた物も、自分がその暮らしをしたような気になれる。経済的にも性格的にも、旅行や移住を実行できない人間には、現実的な美味しい食事のように惹きつけるジャンルだ。もちろん、そこに書かれているのは、いろいろある暮らしのうち、美しくて極楽のような上澄みの部分だろうけど。

 本を読んで知識を得ると同時に、自分自身がつむぎだした楽園生活の夢を食べているのかもしれない。


 イタリア旅行に備えていたとき、出会っておもしろかったのは、自分では意外なことに、むしろ歴史の本だった。

『ルネサンスの高級娼婦』 ポール・ラリヴァイユ

 森田義之、白崎容子、豊田雅子訳(平凡社)

 頭に残っている内容

 ↓  ↓  ↓

 聖ペテロ(サン・ピエトロ)が殉教したヴァチカン、キリスト教の最高権威・教皇のおわしますイタリアであるが、ヴェネツィアやローマでは売春が隆盛をきわめていた。性産業といっても今とは違い、売春婦たちの目立つファッションは絵に描かれ、文人を相手に披露されたすぐれた才知は文献に残された。そんな彼女たちは文学に、音楽に、芸術について深い教養をもち、文化に貢献していた。とはいえ、現実にはそんな人間はわずかで、ほとんどは底辺で、たいへん過酷な生活を強いられていた。・・・と、(わたしに読みとれた)結論は日本の遊郭についてと同じで、ありきたりな感じ。

 ニッコロ・マキアヴェッリが見事にだまされ(というか欲望に負けて)、老醜の娼婦を“買って”しまった手紙あり。旅先から友人に出したというもので、辛辣な描写がおもしろかい。

 これがわたしが初めて読んだ、「君主論」で著名なマキアヴェッリ(Niccolo Machiavelli)の文章でもあった。『世界の思想4 マキャヴェリ』(佐々木毅編)を読んだら(2004年春)、メディチ家の復帰により、彼がフィレンツェの要職から追放され、なかなか就職できず失意にあったとき、喜劇を書いて好評を博したとかあったが、納得。

 あと、『ルネサンスの高級娼婦』は、書かれていた娼婦の生態はほとんど忘れてしまったけれど(……)、売春を斡旋する、いわば営業のおばあさんのことが興味深かった。彼女の仕事の一つは、あちこちの教会の参詣。聖なる宗教施設で敬虔な信者として行動することで、そこにくる人間から買春客を得られるのだ。おもしろい。




『プラートの商人 中世イタリアの日常生活』
 イリス・オリーゴ 篠田綾子・訳(白水社)

 朝日新聞の須賀敦子さんの書評で知った。須賀さんの書評は、魅力的だった。それで覚えていて、イタリア旅行を前に読んでみた。

 フィレンツェ近郊の町・プラートの商人フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニが残した文献、というか記録がもとになっている。そして、テーマごとに章立てされ、彼の生涯も追えるようになっている(親切設計)。文章は歴史書というより、読みやすいエッセイか、ささやかな小説のよう。膨大な記録をみごとにまとめて書いたのが、数十年前の女性ということにも驚いた。

 頭に残っている内容

 フランチェスコはやり手で強欲な商人。南フランスのマルセイユだったかニースだったかで、仲間と一旗挙げる。当時のイタリア商人は、出身地の人間と組んでいた。イタリア人という認識はないのだ。フランチェスコは儲けると、遊びまくる。私生児ができたかもしれない。

 支社は置いたまま、故郷に帰還する。結婚する。恋愛したからではない。血統がほしいのだ。だから、健康そうな若い女性を選ぶ。

 しかし子どもはできなかった。妻は家事、家の切り盛りに長けてくる。子どもには恵まれない。とうとう、私生児の女の子を引き取る。そして、妻はとっても可愛がるようになる。

 フランチェスコには、年下の友人がいる。手紙で田舎暮らしを勧め、本人も始めるような人間なのに、なぜかフランチェスコを慕っているのだ。友人は息子の就職を依頼する。田園が好きな人間も子どもが心配らしい。その友人は、フランチェスコより先に死ぬ。

 フランチェスコはどんどん強欲になる。自宅に、教皇?だか有名な人を泊めて、意気揚々。上昇志向のすごく強い人のようだ。

 手紙や記録の保管は、彼が命令したのだった。(パブロ・ピカソは将来、自分の全てをわかってもらうためにレシートまで保存させた気がする)

 そんな彼のおかげで、昔の外国のなんてことない人の言動が今もわかる。フランチェスコ関連の記録が尽きると、彼らがその後どうなったのか、ぷっつりわからない。

 記録は、棚の中で袋に入って放置されていたらしい。





一番おもしろくて、いまも心に強く残っているのは

『ランドゥッチの日記 ルネサンス一商人の覚え書き』

 中森義宗・安保大有訳(近藤出版社)

 15世紀半ばから16世紀初頭に生きた、フィレンツェの商人の日記。ひとつひとつの記事の叙述は多くなかったりする。感想はもっと少ない。でも、その簡素な一文一文に打たれることが多かった。

 わたしは歴史に深い興味があるわけではないので、歴史的事件の記録よりも、いまと変わらないゴシップに対する人々の様子と、かいま見える書き手の人間性に惹かれた。

 たとえば、前者についてはこんな記述がある。

 「一五一一年三月二日、ラヴェンナで女から化け物が生まれたという知らせがあり、その絵がここに送られてきた。それは刀のように見える角が一本頭の上に立っていて、両腕の代わりにこうもりのように翼が二枚ついており(略)女のものと男のものがついていた」

 日本の中世の『徒然草』には、女の鬼上京、という記述がある。兼好法師は情報に惑わされる人々を批判しているのだけど、「人って変わらないんだなあ」と単純に思う。

 見せ物のライオンが人々の期待に背いておびえたり、熊を助けた、という話なども伝えている(1514年6月)。それから殺人事件。

 いまは明るいオレンジ色の、美しい古都の観光地も、なにやら人くさい。

 彼自身の結婚については、妻のどんなところが好きになったとか、出会いの話はなくて、持参金のことが出てくる。そのあとは「嫁入り衣裳として次のものを受け取った」としいう羅列。「亜麻糸で織った手ハンカチ二四枚」とか。布関係が多い。末尾、「査定してもらったところ、封印貨幣で三八フィオリーニだった」

 その後は「私の支出」として、すごい量の羅列がある。「絹布に。襟用……一・一二・−」とか。

 この、奥さんに買った物の羅列は、単なる記録なのかもしれない。でも、そこに書かれた衣料や金属製の小物に、彼女はなんども触れ、手をくぐらせたことを、わたしは思う。

 彼は「いとしいつれあいで、並ぶものがないほど素直でしっかりした女だった。四八年間一緒に暮らしたが、私を怒らせたためしがなかった」と書いている。わたしは、この吐露よりも、物の羅列の記述のほうが好きかもしれない。その物にふれたり、行事のおりに身につけたときの心のときめき、かなしみ。物こそ、人間の人生を、思い出をつくっているし、よすがだと思うのだ。

 彼は妻の母親をつれて、「聖年のため」ローマに行く。その感想、「往復一五日間、難儀した」  わたしは、旅行の手配、姑への気疲れで、すごーく苦労したんではないかと、勝手に想像した。

 アルノ川がめずらしく凍結して、人々が「その上で球あそびをしたくらいだった」という記述(一五〇四年一月四日)につづく言葉、「もっとも、あそんだのは若者たちだった」

この付け足しからは、若くない彼の気持ちと、正確に記そうとする誠実さがわかるようだ。


 チェーザレ・ボルジアの進軍をめぐる記述は、塩野七生の『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』での、悪の華的な好印象を一転させた。この『チェーザレ・ボルジア』(1970年)も参考にして描いたかもしれない川原泉の『バビロンまで何マイル?』のチェーザレ像に近い印象を受けた。ランドゥッチの日記の彼は。

 ランドゥッチは、チェーザレ(ヴァレンティーノ公)の軍の暴虐を記し、それから着の身着のままで逃げて街に流れ込んでくる人々に同情している。

 しかし、歴史上の有名人ではないルカがわたしの心に残っている一番の理由は、ジローラモ修道士ことサヴォナローラをめぐる記述のためだ。ランドゥッチは彼に熱烈に傾倒する。彼だけではない、フィレツェ市民の多くがだ。花の大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)は聴衆でいっぱいになる。

 サヴォナローラの信者は「泣虫屋」と後に呼ばれているから、感情に訴える熱い説教を行ったのかもしれない。一般には、フィレンツェの危機的状況が背景にあり、不安な人々の心をつかんでいったようだ。

 サヴォナローラは、参加者を性別で分けて並ばせた。後には、さまざまな歓楽が奪われたことを怒る若者達が出て来る。タリバンのような原理主義者だったのかもしれない。

 前述の『プラートの商人』によると、当時、イタリアの中流以上の階級の少女は、10代半ばになると、教会へのほかは外に出ず、出るときも布で顔を隠していたらしい。イスラム教の国みたいだ。いや日本だって、平安時代とか、長い間そうだったけれど。

 サヴォナローラの旗色が悪くなると、ランドゥッチは離れていく。現実的に行動できる人間なのだ。処刑の記述にはこうある。


 修道士は大声を出したりしないで静かな話し方をする人で、吊されたときも静かだった。三人は一人も一言も話をしないで死んでいった。これはひどく不自然なことだと見られた。とりわけ、みんな御しるしを見られると期待していたし、修道士はその最後の機会に民衆に本当のことを告白してくれるはずだと思って期待していただけに、実に不思議な気がした。(略)これで大勢の人たちが三人を信頼できなくなったのだ。


 しかし、ルカの心は、サヴォナローラから離れなかった。処刑から数日後、3人の女性がその場所にひざまづいていたことを記している。その記述は簡略であるが、3人の女性が、豹変した社会による制裁を恐れない勇敢な“殉教者”のような印象を受ける。しかも、聖母マリアやマグダラのマリア、ベロニカとおなじ女性であったことに、サヴォナローラのすばらしさを感じたのではないか。

 支配者を冷静に分析したマキアヴェッリは、サヴォナローラの説教、というより、状況の変化に応じて、話の内容を変える扇動の仕方も見抜いている。たしかに、サヴォナローラは政治家としては、底が浅く、老獪さを持ち合わせなかっただろう。

 しかし、ランドゥッチには、ほかの権力者と違って、無欲で純粋な指導者に見えたのではないか。

 ランドゥッチは店をちゃんと経営し、組合をしっかりさせたように、愚かではない。政治家を目指すような欲は持たなかった。ニュースが好きだった。信仰心が厚く、「神の御心に任されますように」などとよく書いている。軍隊の残虐な仕打ちを怒りとともに記し、弱い立場にある人間への同情を惜しまなかった。

 ふつうの感慨を抱き、社会の規範に忠実に行動する。そういうふつうの人であるために、わたしはルカ・ランドゥッチが忘れられないし、好きだ。

 実際にフィレンツェに行ってみると、日記によく登場する舞台・シニョーリア広場は思っていたより狭かった。ガイドさんの説明にサヴォナローラのことは出てこなかった。終わるころ、あわてて焚刑場所を聞いてみたら、連れて行ってくれたところは、石畳に丸い石が嵌めこまれていた。それだけだった。

 広場の一方の壁になっているヴェッキオ宮殿(政庁舎)は、メディチ家の兄弟を襲ったパッツィ家の人間と関係者が容赦なく、窓から吊された建物でもある。(1478年4月。事件は大聖堂のなかで起こり、弟ジュリアーノが殺害された)。過酷なしうちを受けずに済んだのは、パッツィ一族ではあるものの、メディチ家の女性と結婚していた人物くらいらしい。

 その宮殿は高くなかった。広場から見上げると、石壁の窓はけっこう近かった。わたしは、「それでレオナルド・ダ・ヴィンチにはよく見えたのだな」と思った。後で分かったのだが、絞首刑を描いた彼の素描は、コンスタンティノープルまで逃亡して、サルタンによって送還され、「カピターノ」(いまはヴェッキオ宮殿に組み込まれている?)の窓に吊された人間のものらしい。

 ところで、大学でスライドを見たときから、この世の事象を解析しようとするレオナルド・ダ・ヴィンチの絵が好きだ。水の渦巻き、馬に乗って恐ろしい形相で人を殺そうとする兵士(現在残っているのは模写)、聖者の老人の体(ヴァチカン美術館・ピナコテカ)。見える現実に対する彼の目は冷たい。その反面、フランスで死ぬまで、各地を持ち歩いていた『モナ・リザ』や、誘惑する悪魔としかわたしには見えない『聖ヨハネ』のように、心の奥深くに呼びかける神秘的な世界も愛していた。もちろん、そんな目はいくつかの絵からわたしが想像したに過ぎないけど。

 なお『ランドゥッチの日記』は定価8500円、1988年発行。



上記の本について、カジックさんよりメールをいただきました(2006/2/12)

「初めまして。
「ランドゥッチの日記」についての感想、大変興味深く拝読させていただきました。

小生、ヨーロッパの古代からルネサンスまでの歴史関係の本をたくさん読んでいます
が、一番感銘を受けたのが「ランドゥッチの日記」でした。
実直で素朴なようでいて、言わない方がよいことは慎重に差し控えるという節度も持
ち合わせており、当時の商人の知恵を感じさせてくれます。
何だか、500年前に作られたブログを見ているような気がしましたね。
歴史的な大事件だけでなく絶対に歴史書では紹介されないような小さな事件にも触れ
ているのが魅力のひとつでしょうね(ある少女が試しに窓から飛び下りてみて即死し
た、とか)。
ただ、この本は現在絶版になっており、多くの人に読んでもらえないのが残念です。

ぜひ再刊してほしいと思っております。」

【ありがとうございました。こんなマイナーな本を読まれていた方がいらっしゃってうれしいです。インターネットのよさを実感しました。】






 ここには、外国での美味しい生活、楽園的生活を疑似体験させてくれる本て、すばらしく美味しい、ということを書くつもりだった。なのに、昔の人間くさい事件のことばかりに筆をふるってしまった。このページは、ルカ・ランドゥッチへのラブレターかもしれない。

 シンプルであっても、また、書き手が弱いところのある無名の人間であっても、真実の記録は長く心に残るのだ。対して、“当世の花”となることを狙い、叙述に、エピソードに、登場人物(もちろん書き手自身が多い)の描写に力を尽くした、なめらかで冗舌な本は摂取量は多くても、薄めの味わいかもしれない。日常を彩ってくれるけど。

 須賀敦子さんが一生懸命、充実した生き方をしようとして、外国へ行ったのもわかる気がする。外国は宝庫で、ありきたりな感想だけど、日本にはないものがあるのだ。

関連 須賀敦子さんとようちゃんとしげちゃん

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