7月の田舎暮らし

http://www.geocities.jp/utataneni/nature/new.htmlで加筆訂正する予定です


 ジェイン・オースティンの小説をたまに読み返す。
 やっぱり未発表作品より、円熟期の小説が好きだ。とくに『自負と偏見』(高慢と偏見)、『エマ』『説きふせられて』。(『マンスフィールド・パーク』は1回しか読んでいない。暗くねじけたような感じがする)
 脇役たちのコミカルな描写に注目しても、ヒロインやウェントワース大佐、ナイトリー氏の心理を追っても、その完璧さにあらためて驚く。ほんとに偉大な小説家だ。

 利倉隆『悪魔の美術と物語』(美術出版社)を開いていたら、フランシスコ・ゴヤの絵に惹きつけられた。人間の心の暗黒面をえぐり出したような凄みのある絵だ。ゴヤは1746年から1828年にスペインに生きた宮廷画家。つまり、イギリスのオースティンと同時代なのだ。
 これにはびっくりした。ゴヤの絵のほうがより現代的な感じがするので。
 シャーロット・ブロンテが手紙に率直に書いたオースティン評を思い出した。
 「注意深く塀をめぐらし、手入れの行き届いた庭」
 「上品ではあるが、窮屈な家に住む、オースティンの紳士淑女たちといっしょに暮らしたいとはほとんど思いません」
 「『情感』も詩ももち合わせておらず、」
 「情熱(パッション)とはまったく無縁」
 (「上品〜」は『オースティン『レイディ・スーザン』』、ほかは「ブロンテとオースティン」(『ブロンテ文学のふるさと』所収)どちらも筆者は惣谷美智子さん)
 わたしは、シャーロットは間違っていると思っていた。でも、こういうふうにも言えるかもしれない。

 利倉さんの著書は『天使の美術と物語』も『絵画のなかの動物たち』もおもしろい。博識だけど、単なる披瀝ではなく、話題の提示や文章がちょっと凝っていて。
 『エロスの美術と物語』、副題は「魔性の女と宿命の女」。いちばん期待していたが、男性の首ばっかり。『聖母マリアの美術』は未読。




 朝、空を鳥が群で飛んでいた。渡りだ、と思った。
 野鳥の会に入っている方に伺ったら、いま渡りをする鳥はいないとのこと。ツバメのように、夏鳥はもっと前に来ている。
 「大きかったでしょう?」 たしかに。エサのある川に向かうカワウ(川鵜)だそうだ。






 赤城山群馬県)の頂上にある湿原、覚満淵へ行った。

 子どものころ、ここで遊んだという40代の人によると、当時は木道はなく、今よりたくさんのニッコウキスゲが咲きみだれ、川の石の裏にはドジョウがいたそうだ。

 そういう風景は、わたしには天上界の楽園のように思われる。尾瀬ヶ原もそうだが、もっと昔の、旅人とか、ちょっと通りかかった人は、こういう水と花の美しい風景をどう思ったのだろうか?

 いま、覚満淵は遷移が進んでいる。黄色いニッコウキスゲは野の中にわずかにしかない。また、完全に観光地になっている。川には護岸が施されている。

 後者については、わたしの住んでいる所の工事・公園・施設の建設についても思う。なんで、すばらしいものを駄目にするのか? 滅茶苦茶にして消去させるのか?

 先の40代の方によれば、いままで自然の生態系に配慮して計画する人間がいなかったらしい。

 鳥や虫やカエル。まわりの山々では美しい声が響いていた。エゾハルゼミだそうだ。
 湖でかわいい声で鳴いているのは、カジカガエル。湖から流れていく川には、ヤマアカガエルがいた。黒っぽい小さなカエルだ。

 湖のまわりの林には、ダケカンバ、シラカンバ、それからミズナラも生えていたかも。太くてどっしりした感じのする木々だ。

 わたしがふだん散歩している里山や牛伏山とは、植生、自然がちがう。自分は井の中の蛙なのだと痛かった(わたしのアドレスの「seia」は「井蛙」という意味で用いているけれど)


 大沼の赤城神社にも連れて行っていただいた。社殿は赤く新しかった。わたしは、湖岸と島を結んでいる赤い橋に惹かれた。ちょうど、女子高校生が「物語にでてくるような橋」と言った。わたしもそう思ったのだ。

 そして、その橋に立っていると、山(外輪山)に囲まれた湖という風景が興味深く思われた。なにか、いろいろな気持ちが生まれてくるように感じた。ふだんは自分の目からもしまいこんでいる欲望がわたしの中をすーっと昇ってきて、声に出して叫ばせるようだった。「わたしも××がほしい!」と。


 榛名湖にも、若く美しい女性(地域の姫的な存在)が湖に入り、龍の妻になるという伝説があったと思う。湖は、この世に露出し、この世と接している異界の面なのか。
 湖の下には、この世の条理では計れない世界があると考えられていたか。・・・いや、逆に、複雑で不条理なこの世とはまったく反対に人間のひとつの思念が貫いているシンプルな世界かもしれない。

 ともあれ、湖の底には、アンデルセンの『人魚姫』の冒頭に描かれるような、壮麗な宮殿のならぶ都が想像されていたか。

 わたしが好きなのは、樋口一葉の小説、『やみ夜』だ。

 <「何の、病気かは。我が父はこれ、この池に身を沈め給いしなり」
 直次が驚愕(おどろき)に青ざめし面(おもて)を斜に見下して、お蘭様は冷やかなる眼中(まなこ)に笑みを浮かべて、
 「水の底にも都のありと詠みて帝を誘いし尼君が心はしらず、我が父はこの世の憂きにあきて、何処(いづこ)にもせよ静かに眠る処を求め給いしなり。浪は表面(おもて)にさわぐと見ゆれど、思えばこの底は静なるべし。世の憂き時のかくれ家は山辺も浅し海辺もせんなし、唯この池の底のみは住(すみ)よかるべし」
とて静かに池の面を見やられぬ。」>
 
 
 「この底は静なるべし」とおなじような表現が『にごりえ』にある。
 
 <ああ嫌だ嫌だ。どうしたなら人の声も聞えない、物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうっとして、物思いのない処へ行かれるであろう>

 いまこれを書き写していて、テロに失敗した「お蘭様」がなぜ自殺しないのか、わかった気がした。お蘭様には自殺の方法がもうわかっている。父の二番煎じ、コピーになってしまうからだ。

 一葉にとって、お蘭はたった一人の存在でなければならなかったのではないだろうか。どんなに世がつらくても、生き続けていく存在に。

 また、引用した場面のお蘭は、父を失ったというより、まるで、父を殺したような印象を受ける。作者なのか。
 『にごえりえ』のお力も水死、いわゆる自殺はしない。 


 湖は、自分を映し出す鏡かもしれない。伝説の美しく魅力的な乙女たちは、いわゆる結婚適齢期に何を願い、求め、何を湖に見出したのだろう。

 ところで、一葉が閑静な榛名湖や赤城の大沼のほとりを訪れていたら、どんな小説を書いたろう。
 彼女は、生まれ育った東京を出たことがない。イギリスやドイツにまで留学した男性の夏目漱石森鴎外とはちがって、成長してからは貧しく、旅行というものを体験していない。
 しかし、その作品は広い感じがする。女の属するいろいろな世界を隈無く描き出したように思う。
 力強い虚構作品は、変転を重ねた人生で見た現実と、東京の邸宅の裏庭に大きな池を想像し、描き出すような力によってなされているのではないだろうか。

 ところで、赤城山行きの目的は、昆虫採集。トカゲをはじめてつかまえた(カナヘビ)。

 ヘビに初めてさわった。アオダイショウ。つめたくてなめらかだった。目が水色だった。脱皮が近いらしい。

 湿原の黒い土にはシカの足跡がのこっていた。

 家のまわりでも、やっとセミが鳴き始めた。



 本白根山群馬県草津町)にひとりで登った。行きは須賀尾峠を通って。平日だったので、志賀草津道路も空いていた。他県ナンバーが目立った。夏休みなのだなあ。
 本白根山は、砂地のようなところにピンク色のコマクサがたくさん咲いていた。それぞれの株が離れているので、花畑としては畑のオオイヌノフグリなんかのほうが美しく見える。わたしは稀少性が分からない。

 見えない価値が分からない。大切なものは目には見えないという。わたしは見えないものが多すぎるようだ。
 ・・・
 頂上(標高2171m?)の大岩のあたりは、この日も風が強かった。曇っていて、眺望はいまひとつ。

 しかし、『嵐が丘』の舞台ってこういう山地だろうか、ペニストンの岩のモデルだというポンデン・カークってこういう感じだろうかと、考えたりして楽しんだ。
 ふと気がついたら、まわりに人がいなくなっていた。空釜の付近で、あたりには白い砂地と緑野が広がっていた。まわりにはコマクサにくわえて、青や黄色の花。空はうすい水色。美しかった。
 
 でも、さびしかった。
 
 もし死んだら、こういう場所をさびしく歩き続けなければいけないのだろうか、と思った。
 しばらくして思った。いまもう、こんなふうに一人でいることで罰を受けているのではないかと。
 考えすぎだろう。

 ・・・
 帰りは万座温泉にくだり、コクドの道を通った。料金は高いが、とくに見所のない山道だった。

 軽井沢からは旧道の国道18号の碓氷峠を通った。白い霧で視界が見えなくなったりして、怖かったり、面白いこともあった。




 玉原湿原(群馬県沼田市)に行った。湿原は暑い野原に思えた。オレンジ色のオニユリや、紫色のトリカブトが咲いていた。

 山を登って、ブナの原生林(ブナ平)を歩いた。アズサやそのほかの木も生えていた。

  コエゾゼミの羽化を見た。この時間でもだいじょうなのは天敵がいないためらしい。薄緑色のすがたをしていた。「コ」とつくけど、エゾハルゼミより大きい。ちなみに「エゾ」は蝦夷で、ここでは北方という意味らしい。玉原は積雪が多く、日本海型の植生・自然だという。

 森林は下草があまり生えず、明るかった。いま思い返すと、たくさんの光が注いでいる黄緑色のガラスのような印象がある。「ブナの湧き水」は冷たいけれど、甘かった。

 わたしがこれまで歩いていた標高200メートルほどの里山や、標高500メートル近い牛伏山は新緑の季節をすぎると、すぐに葉や草が鬱そうと繁る。暗い海の底を歩いているように思う。

 それでも、とても魅力的な世界だ、こういう山村的な田舎に住み続けたい、と満足していた。もっといえば、執着していた。

 今回、標高の高いところにある湿原と原生林もいいなと思った。いろいろな自然の世界があることを、この歳にして感じた。

 ・・・

 登山道の横のブナには、月の輪熊(ツキノワグマ)の爪痕があった。つぎはふらりと一人で散歩したいと思ったけど、ためらってしまう。