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かぐや姫・常陸宮の姫君(末摘花)

http://www.geocities.jp/utataneni/nature/new.htmlで加筆訂正します


 年末、前橋市の古書店・山猫館書房で岩波文庫『竹取物語』を購入。
 稀有な魅力をもつ異人は、現代では機械、あるいは、なにかタンパク質のかたまりや、試験管から生まれる(と思う)。たとえば、二足歩行するロボットとか、遺伝子が選びぬかれた子どもとか。
 しかし、自然から採集した物が生活を支えていた古代は、竹から異人種が現れたのだ。
 冒頭や、月から迎えが来るラストシーンは、教科書にも載っていておなじみだ。ところが、とちゅうを読んでみて驚いた。かぐや姫は、ずいぶんと意見をはっきり言うのだ。

 「世のかしこき人なりとも、深き心ざしを知らでは、あひがたしと思ふ」 かしこき人は貴い人。

 「御門の召してのたまはん事、かしこしとも思はず」 御門は帝、天皇。

 「国王の仰せごとを背かば、はや殺し給ひてよかし」

 「御官冠つかうまつりて、死ぬばかり也」

 まわりの人の社会的地位や人間関係に左右されず、おびえず、自分の意見をはっきり言う姫だったとは。こんなふうにズバズバ言えたら、気持ちいいだろう。憧れる。
 結婚について。別の人生を入っていくよう強制されるような時。
 しかし、5人の貴族が去っても、天皇の命令を拒絶しても、かぐや姫は結婚、恋愛、というか肉体関係の強要に襲われる。天皇は狩りを装って、邸にやってくる。翁は喜ぶ。「いとよき事也」
  『源氏物語』の「葵」で、源氏君が若紫(紫の上)が関係をもったことを、乳母の少納言が喜んでいるのとおなじか。ヒロインはひとりで苦しんでいる。

 竹取物語に話をもどすと、びっくりしたことに、天皇はかぐや姫を直接つかんでいるのだ。

逃げて入る袖をとらへ給へば、面をふたぎて候へど、はじめて(はしめよく?)御覧じつれば、類なくめでたくおぼえさせ給て、「許さじとす」とて、いておはしまさんとするに、かぐや姫答へて奏す、(略)
御門、「などかさあらん。猶いておはしまさん」とて、御輿を寄せ給に、

 少女マンガとか、恋愛を描いたテレビドラマ、映画にもありそうなシーンだ。
 それに、天皇がしていることって、暴力行為で、犯罪ではないか?
 結局、かぐや姫は姿を消して、連行されずに済む。(拉致から逃れる。ふつうの人にはできないことだ)。
 また、人間の姿をとり、絶世の美女であるかぐや姫が、超能力をもった宇宙人のように思われるシーンでもある。「きと影になりぬ」「もとの御かたちに成りぬ」

 かぐや姫は月の都の高貴な生まれの姫君であったが、罪を犯したために穢(きたない)い下界に落とされた、流刑に処されたらしい。罪業がなんであったかはわからない。刑罰はなんだろう?

 別れを悲しむことが与えられた罰だったのではないか。それは、わたしが、この世に生きていて最も苦しいのは離別を悲しむことではないか、と思うからだ。人に限らず、変わりゆく山河・風景と別れることも。

 ただ、かぐや姫は8月15日満月の夜、天の羽衣(宇宙服か?)を身につけると、

翁をいとおしく、かなしと思しつる事も失せぬ。此の衣着つる人は、物思ひなく成りにければ、(飛ぶ)車に乗りて、百人ばかり天人具して、昇りぬ

 一生、悲しむのは取り残された翁をはじめとする人々だ。誰も、かぐや姫の贈った不死の薬を飲まない(なめない)。悲しみたくないからか。悲しみから離してくれるのは、死だけなのか。
 「いづれの山か天に近き」
 「駿河の國にある山なん、(略)天も近く侍る」
 このフレーズが好きだ。

 実は、本文は少ししか読んでいない。解説を読んでみた。
 すると、『竹取物語』は『源氏物語』「絵合」の巻に「物語の出で来はじめの祖」としてだけでなく、それより前の「蓬生」にも登場するという。あの、ぼーっとして古風でダサイ常陸宮の姫君、末摘花の本棚にあって、彼女が読んでいたのだ。
 竹取物語は当時すでに、古風で野暮ったい物語と認識されていた、ということだろうか。俄然、興味が湧いた。
 12月30日、読み始めた。とちゅうやめたりして、年始に読み終わる。
 源氏の援助が無くなり、文化的生活が失われ、自然が猛威を振るっている邸での話だった。自然と時間の侵攻に負け、建物は崩壊し、人は去っている。

 樋口一葉の『やみ夜』(暗夜)や、若い女性が零落して住んでいる小説は、源氏物語のこういう部分の影響も受けているだろう。しかし、『やみ夜』の“お蘭さま”は復讐を誓っている。家に入りこんできた男を扇動して、テロリストにしたてあげる。
 『琴の音』のヒロインは、荒み、浮浪人となっていた若者の気持ちを一新させる。

 「蓬生」の末摘花は宮家の家財、もとい、『伊勢物語』のように、伝統ある貴族精神、高貴で尊い心を守りぬく女主人である。「末摘花」の無能で鈍感な彼女とは、別人のようである。
 「末摘花」は恋に溺れこんでいる青年源氏を笑い、恋愛小説の王道とみて引っかかった読者が自身を楽しく笑い、そして、落ちぶれるのも当然な姫宮、宮家を嘲笑する、嗤う短編でもある。(遊びに興じている、利発な少女・幼い紫上もかわいい)
 もしかしたら、紫式部は「蓬生」を、べつのヒロインで書き上げることも考えたことがあるのではないか?

 『にごりえ』も『たけくらべ』も、一葉の小説は張りつめている。氷のような結晶になっていて、きらりと光り、硬く冷たく、近づきがたく、美しい。清明で高潔。
 「蓬生」は「末摘花」「帚木」のように、俗っぽいところもふんだんに取り入れられ、ゆるやかな感じもする物語、語り物だ。おもしろいところもある。

 ただし、紫式部の笑いは巻「乙女」(?)で学者を描いた箇所のように、冷笑や皮肉っぽい。『枕草子』から聞こえてくるような、清少納言が定子中宮や友人たち仲間と思う存分、声を立てただろう、明るく軽やかで、快い笑い声ではない。