嵐・稲刈り

http://www.geocities.jp/utataneni/nature/2004_0910.htmlからの転載です。今後はそちらで加筆訂正していきます。



 台風接近。買い物に出かける。服を見たり、文房具を手に取ったり。夕方になると、ビルのなかはお客さんが少なくなった。店員さんはふつうに働いている。みんな、これから帰る。外がメディアの大きく報じている風雨のときも、ビルのなかは明るい電気の街になっている。
 スーパーに寄る。いつもの安い牛乳がない。お客さんがたくさんきて売り切れたらしい。




 チャンネルを変えながら見ていた。そのうち、一つの番組に釘付けになった。はじめ、しょぼい感じの女がベンチに座っていた。そのあと回したときは、銀行の一室ですらりと立って、中年の男性役員を見下ろしていた。強い視線。
 それがドラマ『黒革の手帖』であった(松本清張原作、テレビ朝日)。米倉涼子って、「こんなにいい女優さんだったけ?」とびっくりした。硬質の表情がいい。ファッションにも引きつけられた。着物、派手なスーツ。
 元子が庇護したのに、愛人を得てすぐ上階に開店する波子役の釈。キャスティングを知ったときは(その日の新聞で)、「彼女こそ主人公にふさわしいのでは」と思ったが、いまいちであった。もっと怖くて凄みがあった方がいい。
 この夜、思ったこと。山あいに住んでいるけれど、それなりに娯楽があって、その第一はテレビである。テレビは都市の劇場や映画館や寄席にあたるのかもしれない。






 台風がちかづいた日。源氏物語の『野分』の巻をひらいた。

 中宮の御前に、秋の花を植ゑさせたまへること、常の年よりも見所多く、色種を尽くして、よしある黒木赤木の籬を結ひまぜつつ、同じき花の枝ざし、姿、朝夕露の光も世の常ならず、玉かとかかやきて作りわたせる野辺の色を見るに、はた、春の山も忘られて、涼しうおもしろく、心もあくがるるやうなり。
以下、引用は渋谷栄一氏の校注より

「あっ、この冒頭、集中講義で読んだことがある」 でも、あのころよりもずっと意味がわかって、興味深く読めるのだった。
 つづく文章も最高ではないか。

 春秋の争ひに、昔より秋に心寄する人は数まさりけるを、名立たる春の御前の花園に心寄せし人びと、また引きかへし移ろふけしき、世のありさまに似たり。
 これを御覧じつきて、里居したまふほど、御遊びなどもあらまほしけれど、(略)野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。

 「野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。」
 やっぱり強く印象にのこるのは、夕霧がこっそり覗いてしまうシーンだ。紫式部が趣向に表現に、力をつくしたのを感じる。とくに、紫上の描写が忘れられない。二十代後半(おそらく)のこの女王のファンになってしまう。

 気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬はにほひ散りて、またなくめづらしき人の御さまなり。御簾の吹き上げらるるを、人びと押へて、いかにしたるにかあらむ、うち笑ひたまへる、いといみじく見ゆ。


 ふたつまえの帖『常夏』もちょっと読んだ。権力欲が強くなっている。ライバル内大臣(頭中将)の新兵器・近江君(早口少女)に関する情報を集める。頭中将の息子たちにイヤミを言う。そのあと、ていよく若者たちの宴から抜け出すと、美しい玉鬘のもとに入りこむ。そんな中年の源氏君が憎々しくて、おもしろい。

 『枕草子』の野分・嵐が取りあげられている章段も、3つほど読む(日本古典集成の第百二十四段「九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の」、第百八十七段「風は嵐」、第百八十八段「野分のまたの日こそ」)。
 源氏物語の小説世界におとらず、こちらもいい。清少納言の感性は鋭敏で、言葉は的確。すばらしい!
 風雨の翌朝の、露がおりた庭のさま。なかでも
掻いたる蜘蛛の巣のこぼれ残りたるに雨のかかりたるが、白き玉をつらぬきたるやうなるこそ、いみじうあはれに、をかしけれ。

 そして、「ひとの心には、露をかしからじと思ふこそ、またをかしけれ」という自負、優越感。
 187段冒頭の、「風は嵐。」という言い切った言葉。わたしも災害がなければ、好きだ。おなじであることの喜び。清少納言エミリー・ブロンテの『嵐が丘』のファンになるかもしれない、とまた思う(こちら
 身にまとう着物で秋の深まり、冬への接近に気づくところにも共感する。
 それからそれから、
 九月晦・十月のころ、空うち曇りて、風のいと騒がしく吹きて、黄なる葉どもの、ほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉・椋の葉こそ、いとはやく落つれ。
 十月ばかりに、木立多かるところの庭は、いとめでたし。

 第百八十八段にはふたりの女性が登場する。『枕草子』には人間と自然の気持ちのよい交感が描かれている。
 『枕草子』を愛読した兼好法師の『徒然草』にも、自然は取りあげられている。しかしその際、たしかに人はあまり出てこない。人自体は、うじゃうじゃ登場する。どこの人がこんな馬鹿なことをした、人間のああいう姿はよくないとか。
 彼は隠者文学の書き手らしいけど、巷(ちまた)にうごめく人にすごーく興味があって、批判している。そんで読者に教えている。教訓的(と、あんまり読んでいないのに思う…)
 清少納言は、他人にもおなじ感性をもち、読んで共感する人がいることを絶対的に信じている。人をすごく愛していたみたい。
 自分の好きだったこと、愛しているものを伝えようとしてくれている。「わたしは幸せだったのよ!」という幸福な叫び声が聞こえてくるような本だ、と思ったこともある。
 武田百合子さんを、埴谷雄高氏は「全肯定」の人と定義している。清少納言も、天地人、すべてを愛した全肯定の人ではないか。
 と、彼女が遺した唯一の書物(わたしたちの手もとに伝わった遺品)からは思う。実際は晩年、かつて定子中宮におこったことを、人間の心変わりや、欲望・恐怖から抜け出さない人間の心を、どう思っていたのか。
 後世の人は、幸福の香り立つ玉だけを贈られたのだ。



 晴れ。畑のピンク色のコスモスが青空に映えて美しい。
 稲刈りをてつだう。機械もちょっと運転したが、最初は鎌をもち、稲を束で手にとって刈った。けっこう時間がかかる。すると、
 「こんな植物に時間をとられて。大したお金にもならないし。」と思っていた。びっくり。コンナショクブツ。
 いままで、「お米」とか「ご飯」と呼んできたのに。
 午後は土手に寝っ転がって、昼寝したりした。


 今までに体験したことのない強い地震だった。
 川岸のやぶで、雉(キジ)がそれまでになく長く鳴いた。そのしばらく前、キジは裏山から飛んでいった。裏山にいるのを知ったのも、初めてのことだった。



 秋は、黄色い草原(くさはら)でもある。初夏は水が張り、山を映す浅い沼でもある。そのうち、緑色の苗がそよぐ。夏の夜、水路をポコポコと気持ちのよい音をたてて、水が流れていく。
 そういう田んぼが地域の中央に広がっている風景は、数百年続いてきた。しかし、数十年後、いや十数年後にはなくなっているかもしれない。
 近くの低山はもう変わっている。家族が子どもだった時代、秋や冬は山に下草がなくて、入っていける雑木林だったらしい。木は薪、燃料であり、採ると怒られたそうだ。そういう里山はほとんど消えてしまった。杉林の手入れをしていないし、竹林が広がりつつある山もある。
 田んぼのある風景も変わって、消えていくのではないか。先の地震の直後、食べ物を送ったコンビニがあった。むかしは火事などのとき、民家が炊き出しを行なったようだ。それは助け合いの精神だけではなくて、なかば自給自足の時代であり、家が工場(ファクトリー)だったからではないか。食べ物も、衣服も、家造りも。つまり衣食住の。

 幸田文のエッセイや小説(『きもの』など)を読むと、お店はあるけど、着物を作っていたらしい。洗ったり、庭で張ったり、繕ったり、手入れもいろいろしなければならなかったようだ。
 水村美苗の『日本近代文学 本格小説』では戦後、登場人物が長野県で洋服を(?)仕立てる仕事をしていた。服も着物も、人の手による一点物だったのか。いまは外国の工場で機械による(?)大量生産、おなじ製品が店に山積みされている。
 わたしの母も服を作ってくれた。幼稚園に着ていった白黒の小格子柄のコート。小学校1年生のときのプリーツスカート。親戚の結婚式に着たピンク色のサテン(?)のドレス。中学年のときの黒地にオレンジ色の小花の散ったビロードのスカート。茶色や紫色の四角がまじったスカート。手提げもあった。
 そういえば、成人式の振り袖に締めた帯は、祖母のものだった。それらはうれしい思い出だ。しかし、わたし自身は、母のようにも祖母のようにも生きないだろう。

 話が逸れてしまった。いまは、家の外で、企業で物が作られる。
 わたしは今まで、山にしろ、川にしろ、沼にしろ、「風景が変わっていくこと」がイヤでイヤで、たまらなかった。悲しかった。そして、環境保護が叫ばれているのに、なんでふつうの田舎は破壊されていくんだろうと、怒っていた。
 それが稲刈りの日、「こんな植物に時間をとられて。大したお金にもならないし。」と思っていた。コンナショクブツ。いままで「おこめ」とか「ごはん」と呼んできたのに。 
 わたし自身、お金が大好きで、資本主義社会に浸っていて、衰退・消滅に追いやろうとしていたのだ。

 「生者必滅、会者定離(えしゃじょうり)」 出会った人とは必ず別れる。会うは別れのはじめなりけり。
 人とだけでなく、その時その時、一瞬一瞬の過ぎ去る時間とも別れ続けていくのではないか。生まれるということも、この地球(ほし)、大地に出会うことだと思う。そして、出会って愛おしんだその風景も変わり、去り続けていく…
 「さよならだけが人生だ」という言葉。たしかに、身を切られるようにして、すべてに別れ続けていくのが人生、「さよなら」の集積が人生だ。
 しかし、きちんと「さよなら」を伝えられたなら、どんなにいいだろう。犬にも、山にも。
 わたしはきちんと挨拶のできないまま、あるいは挨拶の機会を逸したままのしょうのない人間だ。

 *さよならだけが人生だ*
 出典:井伏鱒二の『厄除け詩集』(1937年)。于武陵の五言絶句「勧酒」の結句「人生足別離」の訳詩。原文は[「サヨナラ」ダケガ人生ダ]
 この言葉を知ったのは、雑誌『詩とメルヘン』の編集前記(? 掲載詩一編一編につけられた短い文章)。表紙を開いて、目次のそこを読むのが好きだった。そして、やなせたかしさんの言葉だとずっと思っていた。やなせさんの中から出たようで、とてもぴったりに思えたのだ。いまもそう思う。