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夏目漱石の称賛したオースティン

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/Jane_Austen/Natsume_Soseki.html
の転載です。今後はそちらで加筆修正していきます。


 夏目漱石がジェイン・オースティン(ジェーン・オースチン)を絶賛したことはこちらにも書いた。その『文学論』(文學論)から、もう少し引用したい。


Jane Austenは写実の泰斗なり。平凡にして活躍せる文学を草して技神に入る(略)

Pride and Prejudiceを草するとき年歯廿(わたしののおっせかいな注 二十)を越ゆる事二三に過ぎず、しかも写実の泰斗として百代に君臨するに足る(略)

今代の認めて第一流の作家と疑わざるもの、(略 『分別と多感』によって)得たるは僅かに百五十磅(わたしの注 ポンド。しかしクレア・トマリンの佳作『ジェイン・オースティン伝』によると140ポンド)に過ぎず。然もAustenは過大の高額とせり。天才の冷遇せらるゝや概ね斯くの如し。然れども(略)一八一五年に至ってAustenは既に文壇の意識を動かして、之を吾が方向に推移せしめたりと云うも不可なきが如し(略)

上2つは、第四編「文学的内容の相関関係」第七章写実法より

最後のは、第五編「集合的F」第六章原則の応用(四)より

なお原文は旧かな・旧字体


 「百代」は唐の李白の名文『春夜宴桃李園序』の冒頭、

「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客」(それ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり)

それに想を得た松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭、

「月日は百代の過客にして」

とおなじであって、単なる数ではなく、「永遠」という意味かもしれない。

「百代に君臨するに足る」 ――たいへんな讃えっぷりである。

 漱石の激賞は、オースティンの文庫本の解説や、オースティンをとりあげた本に紹介されている。オースティンは、ほとんどの小説が映画やテレビドラマとして映像化され、かなり人気を博しているのに、小説やその名前自体は日本人にあまり知られていない。(研究は盛んみたいである)。漱石が称賛していたということは、オースティンのファンとしてうれしい。

 この激賞は彼の目指した「則天去私」や、一見平凡な会話や場面を描きながら、そこに深刻で激しいドラマが進行している小説とつながっているのかもしれない。しかし、激賞の裏にラフカディオ・ハーン(ヘルン、小泉八雲)の影もあるのではないか、という邪推をこちらに書いた。

 漱石ははじめ、英文学が自分が幼少時より親しんできた大陸の漢文・中国文学に比すべき、すばらしいものであり、そこに分け入れば、豊かな世界が広がっている、と考えたようだ。まだ日本人はほとんど英文学を知らなかったが、欧米に目が向いている時代だった。

 江戸時代の中国文学の学者のように、新しい英文学の大家になりたい。漱石の胸にも、明治の風潮、立身出世の野心があったかもしれない。

 ところが、イギリスへの留学は彼に苦しみをもたらした。「夏目狂せり」という報は有名である。

 『文学論』の「序」では、英文学と関わった半生について、学術書の著者としても、常識的な一般人としても、おどろくほど個人的な感懐、憎悪の念を吐露している。「不愉快」「神経衰弱」「狂気」といった言葉がでてくる(漱石も苦労していたのがわかって、わたしは好きだ)。

 『文学論』は、彼の「不愉快」「神経衰弱」「狂気」の落し子でもあるのだ。

 しかし、オースティンを取りあげた箇所を読むと、彼がオースティンの小説のすばらしさ、美質を普遍的なものとしてきちんと理解していることがわかる。

 数式みたいなものが並ぶ大著『文学論』を記した後、漱石は東大やそのほかの講師を辞め、朝日新聞社に入社する(小説家も「入社」したらしい)。『文学論』は研究者としての夢と訣別した夏目金之助の「さよならの書」かもしれない。

 現代では漱石自身、オースティンと同じ小説家であり、しかもその「泰斗」として高名である。

しかしわたしは、英文学研究者・夏目金之助としての成果である『文学論』よりも、はるかに有名な小説に、オースティンの小説の一節が織りこまれていると思っている。


御婆さんは時々部屋へ来て色々な話をする。どうして奥さんをお連れなさって、一所に御出でなんだのぞなもしなどと質問をする。奥さんがある様に見えますかね。可哀想にこれでもまだ二十四ですぜと云ったらそれでも、あなた二十四で奥さんが御有りなさるのは当たり前ぞなもしと冒頭を置いて、どこの誰さんは二十で御嫁を御貰いたの、どこの何とかさんは二十二で子供を二人御もちたのと、何でも半ダースばかり挙げて反駁を試みたには恐れ入った。それじゃ僕も二十四で御嫁を御貰いるけれ、世話をして御くれんかなと田舎言葉を真似て頼んでみたら、御婆さん正直に本当かなもしと聞いた。

「本当の本当(ほんま)のって僕あ、嫁が貰いたくって仕方がないんだ」

「そうじゃろうがな、もし。若いうちは誰もそんなものじゃけれ」 この挨拶には痛み入って返事が出来なかった。

有名な「なもし」小説(「菜飯」小説)、日本近代文学の名作の一節、夏目漱石の代表作『坊っちゃん』第7章における、新しい下宿先の元士族のおばあさんの言葉である。


独りもので、金があるといえば、あとはきっと細君をほしがっているにちがいない、というのが、世間一般のいわば公認真理といってよい。


これは、『文学論』(明治40年)で激賞した『自負(高慢)と偏見』の出だしである。ふたつは等しい内容をもっている。

 漱石はオースティンの「a truth universally acknowledged」(「世のすべてがみとめる真理」阿部知二訳)」を、四国松山の城下町に暮すふつうの老女に語らせたのではないか。

 一方、「この挨拶には痛み入って返事が出来なかった」という反応は、老女・清を愛する坊っちゃんのものである。(わたしは『坊っちゃん』は、坊っちゃんが清に純愛を捧げた小説、坊っちゃんから亡くなった清へのラブレターみたいな小説だと思っている)。

同時に、「勇み肌の坊っちゃん」にこの一瞬、偽装した漱石自身のもの、『高慢と偏見』巻頭を読んだときの漱石の感嘆の再生でもあるのではないか。

 オースティンがとらえた「a truth」。それの、時代も国境も超越した流布ぶりを具体的に描いたシーンである。わたしが邪推するような意識的なオマージュかはわからないけれど。


Jane Austen  (1775-1817)

夏目漱石     (1867-1916)