http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/books/list2.htmlを更新しました。今後はそちらで加筆修正していきます。
ソフォクレス『オイディプス王』高津春繁訳
(『古典世界文学 アイスキュロス ソポクレス』筑摩書房)
テレビをだらだら見ていたら、ギリシア悲劇について語っているチャンネルがあって興味を惹かれた。ギリシャの古代劇場でおこなわれた蜷川幸雄演出・野村萬斎主演の『オイディプス王』が始まった(アテネの劇場:ヘロデス・アティコス)。
最初は、たるいなあ、とも思っていたのだが、だんだん引きつけられた。約2時間、終わりまで見てしまった。日曜日の夜なのに。
以下は思ったこと。
知恵でスフィンクスを倒したオイディプスは、テーバイを疫病の禍から救えば、自分はもっと英雄になれると自信満々。自分を聡明だと思っているのだ。だからこそ、この話の悲劇性は高まる。
禍の犯人に憎悪をこめて掛けた呪いは、ぜんぶ自分に返ってくる。自分をわかることがいちばん難しい。
盲目の予言者(占い師)テイレシアスに、「目が見えなくても、見えている人」とか言う。尊敬ではなく、眼明きの自分を傲っているみたい。「光の見えるなんぴともけっして害することはできないのだ」(高津春繁訳)
「恵み深い運命(テュケ)の女神の子と思うているおれは、辱めを蒙ることはありえない」(同上)
自分をわかると、破滅しなければならない。それがわかっていても、人は自分のことを追求していってしまう。
最後、オイディプスはすべてを捨てたはずなのに、子どもを手放そうとしない。クレオンにたしなめられる。人は家族への欲を捨てきれないのだ。
妃イオカステはおばさんだった。髪を高く結い上げている。前から見るとシンプルだけど、後ろから見ると、こった髪型。
ちょっと高慢な人である。母親であることをわたしは知っているので、彼女がオイディプスの肩に手を掛けたり、宮殿の中に入れようとする姿が母親のそれに見えるときもあった。
いまは、野村萬斎よりもこの麻実れいを覚えている。コリントスからの使者と、ライオスの羊飼いから、話を聞こうとするのを止めようとする。彼女は、オイディプスよりも早く、真相に気づいたのだ。
しつこいイオカステをオイディプスが突き倒す。床に倒れた、白い衣の彼女が言う。セリフの言い方がよかった。「かわいそうに・・・かわいそうに・・・お前にはもう、この言葉しか言ってやれない」
それから、すごい速さで起き、衣をひるがえして階段を上り、宮殿入り口で壁にもたれる。両手を頭にやって、絶叫して、建物に駆けこむ。
わたしは布団に入ってからも、次の日も、この『オイディプス王』の興奮に取り憑かれていた。水村美苗の『手紙、栞を添えて』を読み返したりした。
芝居には、気に入らないところもあった。オイディプスは末娘と放浪する、と思いこんでいたから、豪華な服を着た幼い王女が王冠片手に手を引いて、町を出て行く姿を見たかった。
イオカステが少女みたいに無垢な人だったら、どうだろうとか。
それから服。コロス(神官)は赤い服を着て、ときどき、回ったりする。服が服ではなく、舞台美術みたいだった。脱いだり、裂いたりすればいいのに。
オイディプスの白い王衣は、おびただしい血で赤く染まっている。黒くてもいいのに。
・・・なんと、自分だったらこうしたい、と考えているのであった。その延長で、この本を借りた。
世界史の最初のほうに、ものものしく出てきたギリシャ悲劇をわたしが読むことになるとは。
蜷川幸雄演出のは、脚色されていることがわかった。ソフォクレスのシナリオは、けっこうシンプルで短い。
コロスのせりふが格調高く、文語体。とちゅうで飽きてしまった。それだけでなく、やっぱり、劇・お芝居になってこそ、わたしにもわかるすごい魅力が発揮されるのかも知れない。
よかったところ。
命に命が、見えるであろう、強い羽の鳥のように、
あらがいがたい火よりも速く、
西の方なる神の岸辺に飛び行くを (コロス)
今日のこの日があなたを生み、そして滅ぼすであろう。 (テイレシアス)
人が同じ権力がもてる時に、静かな平和よりも恐怖のうちに支配することを選ぶかどうかを。 (クレオン)
(イオカステさまは寝室の)内に入るやいなや、扉を背にはっしと締めて、もうずっと昔に死骸になったライオスさまの名を呼んだ。古い昔に生まれた子を思いだしてじゃ。 (使者)
ライオスが盗賊に殺されたと信じているイオカステは、予言というものを信じていなかった。コリントシスの父王死去の報に、オイディプスも神に疑いを抱く。「アポロンを尊ぶ者はいずくにも見えず、神々のまつりは絶えなんとす」(コロス) 人間が神の手から抜け出そうとするのだ。しかし、結局は神の手の内で生きていた。
アポロンだ、友よ、アポロンだ、この、 おれのにがいにがい苦しみを成就させたのは。 だが眼をえぐったのは、誰でもない、不幸なおれの手だ。 |
おお、ポリュボス殿、コリントスよ、名のみ父祖の古い館よ。お前が育てたこのおれは、表はきれいだが、なんとその裏にうみをもった子であったか。 (オイディプス)
血縁の者の不幸は、血縁の者だけが、神をけがすことなく、見聞きすることが許されるのだ。 (クレオン)
不仕合わせな、哀れな二人の娘、かれらは常におれと食卓をともにし、このおれがいなかったことはなく、おれの触れるものは、すべていつも分かち合ってきた。 浮世の浪のまにまに、生きてゆかねばならぬこれからのお前たちの痛い暮しを思うてだ。どのように町人の集りに、またどんな祭に行って、見物する代りに、泣いて帰って来ぬことがあろうか。また嫁ぐにふさわしい花の盛りとなった時に(略)誰がめとってくれようぞ。(略)疑いもなく、うまずめの未通女(むすめ)として、お前たちは朽ちゆかねばならぬのだ。 子供たちよ、もう聞きわける心があるものなら、言っておきたいことが山ほどあるが、今はこれだけのことを祈るがよい。許された土地で暮らし、生みの父親よりはよい生涯を得ますように。 オイディプス いいや、この子らをけっしておれから奪わないでくれ。 クレオン すべてのことに勝利を得ようとしてはいけない。あなたの得たものは、一生はあなたについては来なかったのだ。 コロス おお、わがテーバイの国の住人よ、見よ、これこそオイディプス、 |
この本になかったみたいだけど、テレビでよかったセリフにこんなのがあった。「偶然を父として、過ぎゆく時を兄弟とする人の子よ」
オイディプスが呪いを受けることになったのは、ライオスがかつて、ある王子に「恋をしかけ、自然に反した行為をしたため」、王子の父親に呪いをかけられたのだという。オイディプスはぜんぜん悪くないのだ。でも、傲っていて、自分のことはわかると思っていた(父殺し、近親相姦の神託を聞いたからなおさらか)、王の転落は、悲劇は、なにか自分のことのように引きつけられる。
誰かある、誰かある、
幸を得し者。 (コロス)
『コロノスのオイディプス』をちょっと読んでみた。追放された彼に着いてきたのは、アンティゴネ。妹のイスメネも来る。長男のポリュネイケスも来る。長男と次男は王位をめぐって、血なまぐさい戦争をしている。オイディプスの困難は続いているのだ。でも、自分が死ぬ場所に自分で導いていく。「お前たちがそうだったように、今はおれが、奇怪にも、お前たちの案内者となった」
テセウス(クレタ島のクノッソス宮殿の迷宮でミノタウロスを倒した王子で、アテナイ王になっている。糸玉を渡したアリアドネは捨てられた)に見守られ、死ぬ。説明に「神々との和解の物語でもある」。ちょっとホッとした。
『アンティゴネ』(呉茂一訳)もちょっと読んでみた。兄弟同士で差し違えた兄ポリュネイケスの遺骸を埋葬しようとする。それは王クレオンによって禁止されていて、死刑になる。
アンティゴネ だって、あなたは生きる道を、私は死ぬのを選んだのですもの。 (略) しっかりしてよ、あなたは生きていくんだし、私は命を、もうとっくに棄てちまったんだから。 |
クレオン それは、ほかの畑のほうが、耕し甲斐もあろうからな。
イスメネ 誰だっても、姉みたいには、あの方としっくり合いはしないでしょうに。
ハイモン だって、一人の人のものならば、国とはけして申せません。 クレオン だが、国というのは、その主権者に属するはずだ。 ハイモン では、お立派に一人きりで、砂漠の国でもお治めがいいでしょう。 (略) では、あなたの仲間の、それでもいいと言う連中といっしょになって、猛り狂っておいでなさい。 |
アンティゴネは誰も信じてないから、暗い岩屋で自殺する。間に合わなかった若いハイモンも死ぬ。
母親エウリュディケは「無言のまま、しずかに王宮に入る」。イスオテカとは正反対だ。
希望的観測ならば、ご子息の悲しい報せをお聞きになって、胸の嘆きを公けになさるのは避け、館の中で家人だけに、哀号の叫びをそっと、おさせになろうとのおつもりか。分別も十分おありの奥方ゆえ、間違いがなさいますまい。 (使者) |
なぜ誰か私を真っ向から
両刃を磨いだ剣でもって、うちのめしてはくれぬ。 (クレオン)
縄文時代の土器をみると、先祖というより、べつの高い精神の文化圏が対等にあるのを感じる。ギリシアもすごいのだった。奴隷制は現代の戦争・テロ・紛争みたいな存在かもしれない。いやだけど、簡単に消えることはないのだ。
あと、シェイクスピアに言葉や比喩が似ている、と思った。あとで、自分は愚かだとわかった。