山道とキノコ狩りと樹上

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/nature/new.htmlを更新しました。今後はそちらで書き直していく予定です。


 牛伏山南斜面を車でのぼった。登山道へ(山頂のNHKの塔(FMラジオの放送所・中継所?)のうらから尾根をとおっている小道)。ヤマボウキの花、オクラのつぼみを見た。

 あたりの山々は、いろいろな鳥の声がこだましていた。

 雨のあとなので、葉っぱのうえには水玉が多かった。白く光る玉だ。

 地面は湿っていた。半袖では涼しかった。

 車道をすこし歩く。山には赤茶色に立ち枯れた松(赤松)が目立った。

 梶の木。枝についている赤い玉は、花(いずれは実)らしい。へんな生き物、未知の生命体に見える。

 葉っぱは、大きくなると切れ込みが入る。有吉佐和子の『乱舞』でヒロイン秋子(好きな小説だったので、この名前は忘れられない)が

「梶川流代々は、一本の梶の木を太らせることに専念してまいりましたのが、ようやく根分けの時期に入りましたのでございます。(略)何とぞ私ども宗家同様、ご贔屓お引立てのほど、隅から隅まで、ずいと、こい願い上げ奉ります」

と、かっこうよく口上を述べるが、その梶が牛伏山にあったとは。

 前にも書いたけど(こちら)、牛伏の南にある山は峰がうねうねと続いて、かっこいい。惚れ惚れする。巨体の生き物みたい。小梨山らしい。小梨とは「ズミ」のことらしい。

 アザミ、紫色のヤブランキンミズヒキ(金水引)、うす紫色のキツネノマゴ、ツリガネニンジン、白いオトコエシなどの花を見る。白いアケビ、三角形の形をしたツルハシバミ、丸いキブシのの実を見る。


 
 赤城山行くのは久しぶりだ。春は赤いツツジの咲く(?)緑の高原で、白黒の牛が草をはんでいた。「ああ、こういう所だっけ」となつかしかった。

 雨のなか、大沼の湖畔を多くの人が走っていた。そういう人たちもいれば、わたし達のようにきのこ狩りをする人間もいるのだ。

 わたしはどんなキノコ(茸)が食べられるのか、知らない。教えられた木や範囲を探した。すると、草の生い茂った地面には、いろいろなキノコが生えていた。

 手に持ったビニール袋に入れていたが、「袋の中で潰れてしまうのではないか」と危惧している人がいた。なるほど。わたしはもう一枚、袋を出して分けた。最善を尽くすのだ。

 「同行者はライバルだ。おなじところにいれば、収穫は少ない」と考えて、ちょっと離れた。あったあった。地面に、木に。採りまくった。むしりとる、という感じであった。たいていのキノコはふっくらとして、美味しそうに見える。

 採集欲だけではなく、キノコという野菜でも木の実でもない物を摘むのもおもしろくなった。菌類は、やわらかいような、でも、つぶれはしない、へんな感触がする。それを摘み取るときの、触感が好きになった。

 声が聞こえたので行くと、ある木の下から上まで、びっしりと大きなキノコが付いていた。振り向くと、小さな沢をはさんで、もう一本、そういう木がある。信じられない。

 しかし、森は未知の世界なのだ、こういうこともあるはず。豊作だ、豊作だ。わたしの心は躍り上がった。大きそうなのを、むしり取った。牡蠣くらいある。肉厚でふっくらとしている。美味しそう。匂いを嗅いでみる。海の潮の香りがする。新鮮なのだ。美味しそう!

 もう一個、採る。「ツキヨタケ(月夜茸)だ」と言う声。図鑑を開いていた人あり。第二声、「猛毒だって」・・・

 わたし達の声を聞いて、くわしい人が現れてくれた。やっぱりそうであった。夜光るらしい。

 思うに、わたしは欲でいっぱいであった。大きさも肉の厚さも、海産物の香りも、毒である証拠なのかもしれない。しかし、わたしには美味の証に見えたのだ。

 気がつくと、分けたビニール袋を一つ無くしていた。ドキンとした。少しは戻って探してみた。無い。見渡せば、あたりはクマザサの大海。(あの大きなキノコをいれたのに、あのキノコも、あのキノコも・・・) ショックにうちひしがれた。

 山林を出た後、連れて行ってくれた人のおかげで、お風呂に入れた。体があったまった。このころ、日本の温泉の虚偽表示がニュースになっていたが、「お風呂って、お湯っていいなあ」と単純に思った。

 キノコにくわしい人が麓から来てくれた。わたし達の採集してきたもののうち、食べられるのは、ほんの少しだった。マスタケ(鱒茸)、キクラゲ(木耳)、あとは名前を忘れたキノコ数種。

 可食の小さな山には、わたしが採ったキクラゲも含まれていた。しかし、キクラゲだとは知らなかったのだ。ふだん食べることもあるのに。

 下を見ながら歩いていたら、草の下の地面に、黒っぽいものがあった。「粘菌だろうか。“名人”に聞いてみよう」と、拾うことにした。落ちている、と思ったのだ。一筋、なにかが地中と謎の物体を結びつけていた。

 結局、わたしが必死に採っていたものは、ゴミの山だったのだ。ゴミを集めていたのだ。きっと、無くして惜しがっていたビニール袋の中も。

 キノコは日本に3000種あるらしい。食べられるキノコを覚え、それだけを採るのが確実らしい。

 どのキノコが毒茸ではないか、それは先人の経験の賜物らしい。高校の国語の教科書に載っていた坂口安吾『ラムネ氏のこと』を思い出した。それには、フグにまつわる架空の日本人の生き様が劇的に描かれている。

 だが名人によれば、昔は食べ物が少ないから、キノコを食べることになったのだろうと。最初は動物にやって様子を見たのではないか。人も具合が悪くなって、これは良くない、知ったのではないか、という話だった。

 中国の薬の神様・神農(さま)は、山のあらゆる草木を食べ、それが毒だと死んで、でも生き返りして、身を以て薬草を調べ、伝えたと聞いたことがある。人間は一回、毒にあたって死ぬとそれっきり。そういうたくさんの古人の象徴が、神農なのかもしれない。(神農は炎帝、本草学の祖、薬王、農業神、易の神様、三皇五帝の「三皇」らしい)。

 また、キノコが無くなって、困る生き物はいないらしい。山林では、木の皮が剥がされていた。鹿が食べたそうだ。白くなっているクマザサもそうだった。鹿はたくさんあるキノコは食べないらしい。

 あと、クマザサは熊の笹ではなく、目の隈に似ているからだという。なるほど、切って、横にした葉はそうなる。

 分けてもらったキノコを家で食べた。バター炒め。スープスパゲッティ。青じそドレッシングにミョウガ・ショウガと一緒に漬ける。これはキクラゲ。

 キクラゲはこりこりして美味しかった。キクラゲなら、似たものはないだろうから、わたしでも山で探せそうだ。

 ほかのキノコは、ほとんど味がしなかった。やっぱり、栽培して売っているマイタケ、シイタケ、シメジ、エノキなんていうのはすごいんだなあ。香りが高いし、美味しいし。

 この夜、美味しかったのは、むしろ、本。村田喜代子さんの『耳納山交歓』(講談社、1991年)


 「キクラゲはそれからいくと、よくないことを聞く耳ってかんじがするね。ほら、サルの耳みたいだろ。」

 「じゃあ夕食はそのサルの耳を刻んで、酢の物でも作るわ」

 夕方、妻はキュウリとキクラゲの三杯酢を食卓に出す。




 (銀耳(キクラゲの白いの)について)

 純白、半透明の細長い花形で、色の淡い八重桜のようにみえる。指を触れると濡れたような、トロリとした、粘液質のかんじがつたわってきた。その触感がたまらなくて彼は煙を吐きながらちょい、ちょいつついてみる。するとなんだか絵かきは淫蕩な楽しみごとをしているような、うしろめたい気分を催した。

  (略)

「べっぴんの女のことを、これにたとえて銀耳と呼んどったもんやが」

「あ、それ、いいですね。なかなか」

うまい形容だと絵かきは感心した。

「それでやね、反対に、ぶすの女のことを黒耳と言うとったんやね」

黒耳?」

「ふつうのキクラゲは黒い色をしとるやろ」

「なるほど……」

と絵かきはうなずく。

「それもなかなかおもしろいですね。……ちょっとひどいけど」
上(カミ)の爺さんはヒャッヒャッとけたたましく笑い出した。

 山のなかに存在する、時代の流れから取り残されたような農村。そこには庄屋がいて、痴話げんかもおこる。柳田国男『後狩詞記(のちのかりのことばのき)』『遠野物語』、宮本常一の民俗の世界だ。

 この表題作以外は、忘れていた。意識していなかった欲望がもたげてくる「潜水夫」は佳作。中高年が仕事(パート)をもとめてさすらう「職安へ行った日」は長編『花野』につながるだろう。巻頭の「耳納山交歓」がいちばんいい。

 堀文子の日本画を配した銀色のカバーも好きだ(装幀:大泉拓)

 これを書くために『ラムネ氏のこと』を確認しようとしたら、おもしろくて、最後まで味読してしまった。わたしの記憶では前述のことしかなかったが、きのこの話も出てきた。

 
 こいときのこが嫌いでは、この鉱泉に泊まられぬ。毎日毎晩、こいときのこを食わせ、(略)
この宿屋では、決して素性あるきのこを食わせてくれぬ。

わかる、わかる。ところで、きのこの名人は死んでしまう。このエッセイ、冒頭にはラムネの玉の話、なんの話だろうと思っていると、最後に盛り上がる。とくにここはすばらしかった。

(恋の)シンボルは清姫であり、法界坊であり、終わりを全うするためには、天の網島や鳥辺山へ駆けつけるより道がない。愛は結合して生へ展開することがなく、死へつながるのが、せめてもの道だ。「生き、書き、愛せり。」とアンリ・ベール氏の墓碑銘にまつまでもなく、西洋一般の思想からいえば、愛は喜怒哀楽とともに生き生きとして、恐らく、生存というものに最も激しく裏打ちされているべきものだ。

(略)

 愛に邪悪しかなかった時代に、人間の文学がなかったのは当然だ。(略)

 いわば、戯作者もまた、一人のラムネ氏ではあったのだ。ちょろちょろと吹き上げられてふたとなるラムネ玉の発見は、あまりにたあいもなくこっけいである。色恋のざれごとを男子一生の業とする戯作者もまた、ラムネ氏に劣らぬこっけいではないか。しかしながら(略)

 それならば、男子一生の業とするに足りるのである。
 文学は男子一生の業にあらず(?)、とは二葉亭四迷の言葉だ。安吾の文章を初めて読んだとき、わたしはそのことを教えられたろうか。覚えてはいない。

 江戸時代の戯作者として生きたがった永井荷風は、1959年に亡くなった。安吾がこんな文章を寄せたのが1941年であることに驚く。

 わたしは知らなすぎる。古典もそう。あまりにも無知すぎる人間がペーパーテストの成績を喜ぶこともあったのだ。なんと愚かな姿だろう。


 
 初めはフリークライミング」と聞こえた。岩や岩壁に手をかけてのぼることか。

 いやいや、木に登るのであった。まえにも書いたけど(こちら)、自分の手足だけで木に登るのは難しい。枝は細いし。せいぜい、最初の木の股にしか行けない。

 ところが、道具を使うと、はるかに高いところへ、枝の上へも行けるのであった。そのツリークライミングというのを思いがけなく体験できた。

 いろいろな道具の名前は、忘れてしまった。簡単に記すと、手袋をはめる。ヘルメットをかぶる。イスみたいのを装着する。それと樹上から垂れているロープをつなぐ。ロープに作ってもらった輪っかに足を入れ、蹴る。そうすると、体を上に運んでくれる。輪っかを持ち上げてきて、また蹴る。その繰り返しで、どんどん上がっていけた。

 ロープの持つ場所を間違えなければ、滑らない。座っていられる。便利である。アメリカで生まれたらしい。

 ダブルというのだと、降りるときのためを輪っかを、約1m50cm間隔で作りながらのぼる。これが難しかった。正直、できなかった。

 枝の上では、ロープの長さを調節しながら、ちょっと枝先へも行くことができた。これもすごい。こんなことを、自分が生きているうちに体験できるなんて。

 シングルでも登らせていただいた。シングルは、降りるとき、道具を付け替える(ロープもだった気がする)。地上でよーく教えていただいたのに、できなかった。今回のことで再確認したこと。わたしは飲み込みが悪く、不器用。親切に教えてくれ、手伝ってくれる人が神様に思えた。

 降りるのは、すーっと降りていくのではなかった。これも、自分のペースで降りていける。

 ちなみに、シングルはロープを長く使えるので、高い木に登れる。樹上でダブルに替えれば、移動できる。

 わたしも買って、庭や山の木に登りたくなった。売ってほしいという人が来たことのあるケヤキの木なんかどうだろうか、と思った。道具は7万円くらいするらしい。今回、すべて用意されているところにお邪魔したが、ロープを木にかけたり、根元で固定するのは数十分かかるらしい。

 登った木はアベマキ。前にも書いた(こちら )、かっこいい樹木だ。登った高さは、建物の3階くらい。でも、実際の建物の3階の窓から眺めるのとは、かなりちがった。風を全身に受けられるからだろうか。さわさわとゆれ、ちらちらと光る木の葉に囲まれているからだろうか。気持ちよかった。

 『嵐が丘』に


 あぶなくけんかするところでした。暑い七月を過す一番たのしい方法は、草原のまん中でヒースの生えた土手に、朝から夕方まで寝ころんでいることだって、あの人は言うんです。花の間をミツバチが夢心地にさそうようにぶんぶん飛びまわるし、ヒバリは頭の上高くさえずるし、青空に雲もなく、明るい太陽はやすらかに輝いている。それがあの人の一番完璧な極楽の境地なのだそうです。私はそんなことでなしに、さらさら鳴る緑の木の枝に乗っかって、西風に吹かれながらゆすぶっているのがいい。そして頭の上には輝く白い雲がどんどんかすめて行く。

(略)

すべての世界が目覚めて喜び狂っている。(略)私はみんな輝かしい大歓楽のなかにきらめき踊ってほしい(略)あの人の天国は半分しきゃ生きていない、と私が言えば、私のは酔っ払っているとあの人が言います。あなたの極楽では私は眠ってしまうでしょうと私が言えば、あなたの極楽ではとても息がつけないと(略)

24章(大和資雄訳)
Mine was rocking in a rustling green tree, with a west wind blowing, and bright white clouds flitting rapidly above, and not only larks, but throstles, and blackbirds, and linnets, and cuckoos pouring out music on every side, and the moors seen at a distance, broken into cool, dusky dells, but close by great swells of long grass undulating in waves to the breeze, and woods and sounding water, and the whole world awake and wild with joy. He wanted all to lie in an ecstasy of peace; I wanted all to sparkle and dance in a glorious jubilee.
 キャサリン・リントン(キャサリン2世)のエピソードでは、好きな所の一つだ。エミリ・ブロンテは木に登ったことがあるのだろうか。

 初めて飛行機に乗ったとき、広い白いシベリアの大地と、尖った峰のアルプスの偉容に驚いた。あと、曇りの天気というのが、ただ一片の雲の下にいることなだけであるのにも驚いた。人間はちょっととどまった雲の下で、天気のことで右往左往し、騒いでいるのだ。

 人間は大地の一箇所に張り付くようにして、定住していた。それに比べて、空は広かった。自由みたいなものを感じた。

 というふうに、高い高い上空でわたしは悟った気になっていた。しかししかし、わずか3階分ほどの高さであっても、新しい良いものを得られるのだった。

 また、わたしにとって樹上に作られた家(小屋)は、子どものころから夢であった。しかし、今回のことでツリーハウスは可能なのだと知った。ツリーハウスのテラスで、風に吹かれながら本を読みたい。