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武田百合子さん「女給をしていた」

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/Yuriko_Takeda/etc3.html からの転載です。今後はそちらで加筆修正していきます。


武田百合子さんあれこれ

「女給をしていた」




 パソコンで「女給」という言葉を変換できなかった。「序旧」か、ひらがな、カタカナしかないのだ。わたしの使っているソフトだけかもしれない。

 「女給」という言葉が使われなくなりつつあるのは確かだ。「あさってから、女給のバイトするんだー」なんて聞いたことないもの。

 明治時代から戦後しばらくまでの小説・文章(近代文学ということにしておきます)にはけっこう出てくる言葉である。「女給」は今や、「をかし」「あはれ」のような古語かもしれない。

 わあしが何故こだわっているかというと、百合子さんが

「昭和二十二、三年ごろ、(略)私はそこ(注 「らんぼお」)の女給をしていた。」

と書いているからだ(「椎名さんのこと」)。それを引き写していたら、変換できなくて、はじめて衰退に気づいたのだった。





 女給について思い出したのだが、宇野千代はこう書いている。

この燕楽軒に私がいたのは、たった十八日の間のことである。それだのに、私の略歴と言うところに、私が女給をしていた、と書き加えることを、決して忘れてはいない人がある。私は女給をしていたのではない。燕楽軒は高級の西洋料理店で、給仕女は客に料理を運ぶだけで、客のコップにビールを注(つ)ぐことも禁じていた、所謂(いわゆる)、女給ではないのである。給仕女で、女給ではない、などと、略歴を書かれるたびに、それを訂正したくなるのも、私の自尊心か。

こう省みたあと、そのお店で滝田樗陰(ちょいん)という有名な編集者や、今東光という有名な作家に出会ってデートしたこと、芥川龍之介、久米正雄という作家を見たことなんかを書いている。

 ぜんぜん「女給」ではなかった、と強調してやまないのだ。女給の地位の低さが思われる記述だ。

 これは1917〜19(大正6〜8)年のことらしい。ところで現在、カフェの歴史を語るところにも、「女流作家」宇野千代も「女給」をしていた、と書かれていたりする。千代姐さんが読んだら・・・






 わたしの好きな『典子』のヒロインも女給をする。・・・と思ってぱらぱらと再読したが、「女給」という言葉は出てこなかった。(『典子』は伊藤整の小説。1990年代半ば、センター試験に出題された)。

 典子の仕事は「喫茶店」でお茶やコーヒー、ビールなどを運ぶこと。お客は学生。男子だけ。あと、文学や映画や芸術に関心のある若者。これも男性だけ。お客の目的のひとつは、典子たちと言葉を交わすこと。

 もともとマダム(と呼ばれている)は崩れた感じの人であったが、お店もしだいにだらけて低俗な雰囲気に変わっていく。典子は、こんなところにはいるべきではない、と気づく。このままいれば、先には水商売へ進む道しかないのだ。

 この小説は、後半やっと出てきた「出征」「応召」というわずかな言葉などによって、外では対外戦争が起こっており、実は緊迫している時代だ、ということが感じられる。しかし、はっきりとした年代はわからない。それによって却って、聡明で、何かを求めて必死な典子の変化と成長が都会のふつうの日々のなかに描かれ、共感をおぼえる小説である。

 (たしか)『伊藤整全集』の月報では大学の先生が、年代のあいまいさについて書いていた。伊藤整はできるだけ、戦争という当時の状況を排除しようとしたらしい。戦争に関わらないようにしたらしい。その努力の極限のひとつが、昭和15(1940)年12月に刊行された『典子』だったという。

 たしかに前年は第2次世界大戦開戦、日中戦争はずいぶん前から続いている。戦争に勝つ、というか、もしかしたら続けていくために、さまざまな法律が作られ、国民の生活も、考え方も圧迫されつつあった時だ。

 (ところで先に挙げた『伊藤整全集』の解説が好きだ。典子への共感と好意が土台にあるのだ。新潮文庫の解説はだめである。)

 伊藤整が典子を喫茶店の住込み店員にしたのは、孤児で、親戚の家で疎外感を感じていた典子を、さらに落とすためだったろう。典子は精神的に“はみだしっ子”であったけれど、親戚の家にいる限りは、常識的な一般家庭の人間なのだ。

 喫茶店の女の子の仕事から、タイプライターの勉強を始め(現代のパソコン、ワード、エクセルか?)、識見のあるらしい砂田という人間の子どもの家庭教師に変わる。小説はそのあたりで終わってしまうのだけど、ただの家庭教師の仕事ではないようだし、もっと上の仕事につながっていきそうな印象を受ける。

 典子自身はその仕事を得ても、鈴谷というインテリ会社員(会社生活には飽きている)と関係を持っても、まだ迷い続けている。鈴谷から離れる(彼を捨てる)と決めたラストでも、ますます典子がどう生きていくのか、見えてこない。

 それは、性が生き方を決めていたからだ。喫茶店の仕事は、性的な関係をもつことに直面するかもしれない場所で、典子にとっては、危ない崖淵だった。喫茶店から離れようとする典子は、実は、性を回避しようとしていたのだと思う。しかし小説は急展開して、処女でなくなった。性に近づかないという基準がなくなり、わたしには典子の将来がわからなくなったのだ。

 これが没後20年をむかえた有吉佐和子であると、小説のヒロインは職を得て、ばりばり働いて成功し、最後には安定した心境を獲得するのだろう(『紀ノ川』『有田川』『香華』『連舞』『乱舞』など、高校時代、大好きだった)。

 典子の仕事は「女給」よりは地位の高いものだったかもしれないけど、この小説では最低の底として設定されている。そして、典子の喫茶店での仕事は、数年後の第2次世界大戦後、百合子さんが喫茶店「らんぼお」などでしていたことと同じようだ。
 




 
永井荷風の『墨東綺譚』(「墨」はサンズイのついた旧字)にも女給が登場する。語り手「大江匡」が入り浸って関係を持つのは、「明治年間の娼妓」を思わせる玉の井のお雪。女給は、大江の作る小説内で元教師が同棲する「すみ子」だ。すみ子は以前、種田家で下女をしていた。 


 退職金手当の金をふところにしたその夜である。種田は初(はじめ)て女給すみ子の部屋借をしているアパートに行き、事情を打明けて一晩泊めてもらった……。


 決めかねている種田に、すみ子は「なかったら今晩一晩くらい、わたしのとこへお泊んなさい」と言ってくれる。家族(たとえば「肥満した婆(ばば)」)に蹂躙されてきた種田には、開放や自由が感じられたのではないか。玉の井も荷風は、やさしさと自由のある空間として理想化していると思う。

 すみ子のアパートは「お隣も向側もみんな女給さんかお妾さん」らしい。時代は、1936年ぐらいのようだ。

 
 こう見ても、「女給」は、性的関係をごく近いところにある仕事だったようだ。『岩波国語辞典 第五版』には「今は「ホステス」と言う」という注が加えられている。戦後とはいえ、「私はそこの女給をしていた。」という百合子さんの「女給」は、本来のそれとは異なるものだろう。

 百合子さんは言葉に敏感な人だった。なんで「女給」という言葉を使ったか?

 それは、自分を低い存在として表現したかったからではないかと思う。この場合は、百合子作品に通底するユーモアとは別である。

 「私はそこの女給をしていた。」という一文が含まれている文章には、お店のとなりで行われている「ドストエフスキー研究会」には無関心だったことが書かれている。

 また、「思い出すこと」(『脱毛の秋−矢牧一宏遺稿・追悼集』所収)にはこうある。


世代(注 同人)の人たちが夢中になってしている政治や芸術の話を、みんなマセていて頭がいいんだなあ、と聞いていることもあった。聞いていたのではなく、声を出しているあの人やこの人の顔を、味噌っかすの私が、ぽかんと眺めていたのだ。(略)

 矢牧さんは、私には文芸の話はせず、耳寄りな闇の話をいろいろしてくれた。それで、玉チョコを仕入れて行商することが出来た。(略)アイスクリームも売ることが出来た。(略)高級風ビスケットも売ることが出来た。このビスケットは武田(注 泰淳)にも売ったことがある。

 百合子さんはもともと、感覚でとらえたことをそのまま転記“できる”物書きで、理論家ではない。性格タイプではISFP(内向、感覚、感情、柔軟)にあたると思う。

 しかし、百合子さんは、自分が文学関係において無知だと、ことさらに装っている。また、裕福だった戦前の暮らしのことも表していない。

 百合子さんが10代のときから文学に関心のあったことを思って、さきの文章の続きを読むと、矢牧さんと深い話をしていたことがうかがえるのだ。

 『富士日記』『犬が星見た』の始まりについて、百合子さんはいくつかのところに書いたり、喋っている。だが、わたしは百合子さんの言葉を全面的には信じていない。百合子さんは自分が泰淳さんの文学活動に貢献したことを隠していると思うからだ。

 誕生して数ヶ月後、昭和になり、平成5年に亡くなった百合子さんは、昭和の人だったといえる。すべての作品は、大きな“日日雑記”であるが、そこには携帯電話も、シネマ・コンプレックスも出てこない。レコードがかかったりする。なんだか時間がゆったりとして、なつかしい昭和の匂いが流れている映画のようだ。

 「女給」消え昭和は遠くなりにけり、、、(お粗末)  いつの時代も変わらない人間の姿が書かれている百合子作品は、これからも読み継がれていくだろう。ただ、今後は意味のわからない言葉が多く見つかるのではないだろうか。