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武田百合子さんビブリオグラフィー加筆

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/Yuriko_Takeda/bibliography.html の転載です。今後はそちらで加筆修正していきます。



武田百合子さんのことがわかる記事・文献 (発表年月順)

  • 百合子さんの談話や受けたインタビュー >>年譜

  • コメント  列記した文献のほとんどは手元にあるのですが、籠に埋もれており、記憶で付けています。すみません。
ここに挙げたものは一部です。
ご存知の事がありましたら、ぜひ教えて下さい。お名前とともに掲載させて頂きます。



『武田泰淳全集 増補版』 1978年〜79年刊行

森田正浩 「「十三妹」のころ」
 『武田泰淳全集 増補版 第九巻』月報 筑摩書房 1972年刊行の再録


 百合子さんが達筆で、目黒の長泉院に暮らしていたとき、卒塔婆を書いていたこと、キリスト教の信者の方には、森永のキャラメル(?)の天使を描いたことが記されていたかも知れません。(2004/3/8)

岡本博 「達人、義人」
 『武田泰淳全集 増補版 第十四巻』月報 筑摩書房 1972年刊行の再録

 毎日新聞社の記者さんで、百合子さんが運転した『新・東海道五十三次』の取材や、映画のことが記されていたかも知れません。(2004/3/8)

島尾敏雄 「或る縁にし」
 『武田泰淳全集 増補版 十五巻』月報 筑摩書房 1972年刊行の再録

近藤信行 「富士桜高原」
 『武田泰淳全集 増補版 十六巻』月報 筑摩書房 1972年刊行の再録
 近藤さんは『海』の初代編集長で、近藤さんが当時、赤坂の武田家で泰淳さんから「富士日記」を見せられたことが書かれていたように思います。泰淳さんのエッセイ、作品といい、「日記」の存在は彼によってかなり積極的に公表されていたようです。(2004/3/7)

瀬戸内晴美  題名未確認
 『武田泰淳全集 増補版』巻未確認 月報 筑摩書房 1972年刊行の再録

 泰淳さんが、『富士日記』が受賞した田村俊子賞の選考委員であったことがわかりました。また、瀬戸内さんは、百合子さんを泰淳さんの娘さんと間違えたそうです。

埴谷雄高 「最後の二週間」
 『海』1976年12月号

埴谷雄高 「初期の頃」
 『展望』1976年12月号

 交友のあった人についての埴谷さんの文章は独特で、いいです(2004/3/7)

大岡信 「文芸時評〈上〉」
 朝日新聞夕刊1976年11月26日

 のちに色々な人から批判されてしまった記事です。しかし、当時無名の百合子さんの文章について、かなり紙面を割いて評価しているのです。慧眼だと思います(2004/3/7)

埴谷雄高
 「武田泰淳と百合子夫人 ――『目まいのする散歩』野間賞受賞式におけるあいさつ」
 『戦後の先行者たち 同時代追悼文集』影書房 1984年4月

村松友視(示見) 「終章のあとのエピローグ」
 『武田泰淳全集 増補版 第十七巻』月報 筑摩書房 1979年6月

はかま満緒 「はかま満緒のユーモア交友録2 黙って書いちゃった」
 『アサヒ芸能』10月18日号

 百合子さんがラジオに出演した時のことが明るくスケッチされています(2004/3/7)

島尾敏雄 「武田百合子「富士日記」下 帯文」
 『島尾敏雄全集 第15巻』晶文社 1982年

十返千鶴子 「『富士日記』(上)」
 『婦人公論』1978年1月号

近藤信行 「天真爛漫たる個性の躍動 武田百合子著『富士日記』上・下」
 『潮』1978年2月号〈読書室〉

西 「天真爛漫な個性と作家の内面 富士日記上・下」

 『週刊読売』1978年2月5日号(25日号か?)〈ブックレビュー〉

堀切直人 「あとがき」

『イメージの文学誌 物食う女』 武田百合子監修 北宋社 1978年12月

 百合子さんのエッセイに出てくる「ホリキリさん」のようです。まだ世に出たばかりの百合子さんに監修を依頼した経緯は彼の「「もの喰う女」のこと」(『KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 武田百合子 天衣無縫の文章家』)に書かれています(2004/3/8)

釣 「『犬が星見た』」 
 『週刊朝日』 1979年4月20日号〈ブックエンド〉

進藤純孝 「『犬が星見た ―ロシア旅行―』
 『婦人公論』1979年5月号「婦人公論読書室」

河盛好蔵 「異国を楽しむ曇りない眼」「犬が星見た ロシア旅行」
 読売新聞1980年2月1日 読売文学賞随筆・紀行賞作品の紹介

 本の帯文にも転載されました(2004/3/8)

色川武大 「酒場で偶然、故武田泰淳夫人」
 毎日新聞1980年7月1日〈めぐりあい〉欄

水上勉 「解説」
 『富士日記 下巻 ――不二小大居百花庵日記――』 中央公論社 1981年4月

色川武大 「解説」
 『犬が星見た ――ロシア旅行――』 中央公論社 1982年1月

尾辻克彦 「私の好きな人」
 『週刊文春』1982年8月26日号

 百合子さんと尾辻さん/赤瀬川さんは、かなり似たタイプだったのではないでしょうか(2004/3/7)

島尾ミホ 「ことばの食卓」
 『マリ・クレール』1985年4月号〈今月の本〉

 作家敏雄の夫人ミホさんのことは『富士日記』にも出てきます。

 ミホさんはこの書評を、「夢、覚え書」は「まるでシュルレアリスムの手法を駆使した珠玉の掌編小説と言っていいだろう」と結んでいます(2004/3/7)

金井美恵子 「武田百合子『遊覧日記』東海林さだお『東京ブチブチ日記』を読む」
 『マリ・クレール』1987年9月号〈今月の本〉欄

 百合子さんと東海林さんをならべたすてきな書評です。

『遊覧日記』の紙質についても言及しています。わたしも同感です。残念なことに初版本を求めなくとも、小さいけれども、ちくま文庫でいいです(2004/3/7)

重兼芳子 「重兼芳子の〈今月の一冊〉――『遊覧日記』  衰えない凛とした気配」
 『婦人と暮し』1987年9月号〈書評〉

種村季弘 「解説 コドモの食卓」
 『ことばの食卓』 筑摩書房 1991年8月

金田理恵 「武田百合子『ことばの食卓』 救われる」 
 『ちくま』1991年11月号〈ちくま文庫の一冊〉

『映画芸術 小川徹追悼特集』362号 1991年

 百合子さんのことがちらほら出ています。『日日雑記』に見られる、一種傍観者的な態度だけではなく、小川さん(Oさん)の本の出版に尽力していたことに驚きました。また、初めてOさんがどんな人なのか、なぜ『日日雑記』であのように描かれたのか、少しわかった気がします(2004/3/8)

あ 「天衣無縫と観察眼のハーモニー 「日日雑記」」
 『週刊読売』〈新刊紹介〉1992年8月23日号

向井敏 「天衣無縫 熟達したユーモアの芸が興を誘う 「日日雑記」」
 『週刊朝日』〈週間図書館〉1992年10月16日号

 このころの書評は「天衣無縫」頻出です(2004/3/7)

筏丸けいこ 「『雑といえども微細に入り組んだいくつもの日日を詳細に記録 『日日雑記』」
 『マリ・クレール』1992年11月号〈Books〉

 この雑誌と『日日雑記』の出版社はおなじです(2004/3/8)

高橋源一郎 「今年の文芸〈ベスト5〉『日日雑記』」

 1992年12月10日の朝日新聞

 短いコメントですが、良いです。これを読むと、百合子さんの逝去が早すぎたことが、あらためて残念に思われます(2004/3/7)

巖谷國士 「解説 見者をたたえる」 

 『遊覧日記』 筑摩書房 1993年1月

 ランボー(詩人)を引いたり、「見者」と命名した点もすばらしいです(2004/3/7)



山口瞳  所収『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 1994年12月刊行

 93年5月27日(木)の項で、亡くなった百合子さんの印象や思い出を記しています。

お店ランボオで「大輪の白い花が笑っているような印象を受けた。残念ながら僕等の手の届かない女性だと思った。」「泰淳さんと結婚したと聞き、なんだか安心したような気分になった。」

 野間賞受賞式で「ユックリとマイクの前に進み、ゆったりと会場を見廻して、一言「有難うございました」と言って席に戻った。それがイヤミにならない。」

 「一言で言うならば、よく見える目とよく聞こえる耳を持った女性である。」

 『KAWADE夢ムック 文藝別冊 武田百合子』に再録。(2004/3/7)

粟津則雄 「追悼 生活の天才、武田百合子さん」
 『マリ・クレール』1993年8月号

郷田三郎 「武田百合子さんのこと」
 月刊Asahi 93年8月号〈郷田三郎の書遥游〉、「本の王国」ページ

 百合子さんの葬儀に参列したことが書かれていた気がします(2004/3/8)

執筆者未確認(不明?)

 『文藝春秋』1993年8月号「蓋棺録」

 家事をする専業主婦から文筆家への変身が強調されていた気がします。これが当時の見方だったのでしょうか(2004/3/7)

村松友視 「〈追悼〉不思議な発光体、武田百合子さんの死」 

 『婦人公論』1993年8月号

金井亭子 「黄色い花」 
 『婦人文芸』1993年9月30日号

(『百合子さんは何色』で紹介されている、女学校の同級生の方の小説)

埴谷雄高
 『中央公論文芸特集』1993年秋季号
 『武田百合子全作品5』に収録

巖谷国士 「日本の不思議な宿 15回 角間旅館でしのぶ「美女のおもかげ」」
 『太陽』1994年3月号

 百合子さん自身の角間時代の自画像(『富士日記』にも書かれてます。農家の女性に囲まれて質問され、呆れられた話)とに大きな違いが見られます(2004/3/8)

高岡陽之助 「百合子まんだら」
雑誌『全作家』35号 全国同人雑誌作家協会 1994(平成6)年8月発行
 
埴谷雄高氏が

「百合子さんは多くの熱烈な百合子ファンをもっているが、高岡氏は、百合子さんの『富士日記』の文庫本を魔除け、厄除けとして身につけているほどの熱狂的ファンであり、しかも、書く文章は、分析的、批判的で、よりよい百合子さんをひたすら希求している最良のファンである。大正大学で、昭和二十二年、作家になった武田泰淳の講演を聞いたことがあるという同氏は、私達より僅かしか年少でないであろうが、同氏の指摘で(略)思い違いを指摘され」

と紹介している文章です(『武田百合子全作品5』の「武田百合子さんのこと」末尾の「附記」)。

【出典について2004年5月、高岡さんご本人からメールをいただきました。ありがとうございました。

いままで、大学図書館で国立国会図書館の資料を検索してもらったり、事典などで探しましたが、埴谷氏の上記の文章だけからは判りませんでした】2004/5/16

村松友視 『百合子さんは何色 武田百合子への旅』  筑摩書房 1994年9月 

 ほうぼうの書評で取り上げられました(2004/3/8)

中村真一郎 「「富士日記」によせて」
 『武田百合子 全作品1 富士日記(上)』中央公論社 1994年9月 

埴谷雄高 帯文 同上

中村稔 「武田百合子さんの文章」
 『武田百合子 全作品2 富士日記(中)』中央公論社 1994年10月

村松友視  帯文 同上

いいだもも 「アプレ・ガールとしての百合子さん」
 『武田百合子 全作品3 富士日記(下)』中央公論社 1994年11月

 百合子さんのニヒルな面について触れられています(2004/3/8)

金井美恵子 帯文 同上

埴谷雄高 「鬼ごっこして隠れている百合子さん」
 『中央公論文芸特集』1994(?)年冬季号(発行月日未確認)
〔武田百合子さんを偲ぶ会」に寄せた文章。ただし最後の2行は単行本収録時、削除されたそうだ〕

金井美恵子 「百合子さんのこと」
 『婦人公論』1994年12月号

筏丸けいこ 「日常のありふれた雑事がピッカピカに輝く天衣無縫の全エッセイ 『武田百合子全作品』全七巻」
 『マリ・クレール』1994年12月号〈Books〉

 この雑誌と『全作品』の出版社はおなじです(2004/3/8)

岸田今日子 「宇宙船に乗った百合子さん」
 『武田百合子 全作品4 犬が星見た』中央公論社 1994年12月

岡崎京子 「富士日記」
 『鳩よ!』1995年1月号〈MY BEST BOOK〉

 岡崎さんのまんがにも、百合子さんの作品が登場するそうです(2004/3/8)

埴谷雄高 「武田百合子さんのこと」
 『武田百合子 全作品5 ことばの食卓』中央公論社 1995年1月

( 『中央公論文芸特集』1993年秋季号に掲載された文章に、短い「附記」がついたもの)

杉本苑子 「茜雲、富士をめぐる」
 『武田百合子 全作品6 遊覧日記』中央公論社 1995年2月

須賀敦子 『読書日記』「『志賀直哉』『狭き門』『富士日記』」 『婦人公論』1995年2月号
 所収『本に読まれて』・『須賀敦子全集』第4巻

 赤瀬川さんと同じく、当時、雑誌をなにげなく開いて、清新で力のある百合子さんの文章に惹かれた感想が書かれてます。須賀さんなりの理由には胸が痛くなります(2004/3/8)

赤瀬川原平 「ナマコをはじめて食べた人間が書いたような文章」
 『武田百合子 全作品7 日日雑記』中央公論社 1995年3月

 百合子さんとは対談もしています。百合子さんはまだ存命だったら、どんな路上観察、絵画鑑賞をしてくれたろう、と思うにつけても逝去が残念です。(2004/3/8)

小沢信男 「横浜港大桟橋。 武田百合子『犬が星見た ロシア旅行』より」
 『東京人』1996年11月号〈道「名作を歩く」21〉

巖谷國士 「解説」
 文庫版『日日雑記』 中央公論社 1997年2月

 百合子さんの「黒いユーモア」にもふれ、「天衣無縫」「無垢」の百合子さん像を変えようとしています(2004/3/7)

小嶋知善 「武田泰淳『目まいのする散歩』論――小説の方法としての口述筆記――」
 『目白学園女子短期大学紀要 第34号』1997年12月

金井美恵子 「犬の眼の人」
 所収『重箱のすみ』講談社、1998年3月

 形見分けにデミタス・カップを頂いたという記述があります。もちろん、金井さんですから、交遊記にとどまりません。

「それは、<天衣無縫>、<天真爛漫>、<女性的な力>、<天性の無垢>といった称賛の言葉とは、いささか別の価値観を所有しているのである。」

 初出未確認。『KAWADE夢ムック文藝別冊 武田百合子』に再録(2004/3/7)

瀬戸内寂聴・川上弘美 対談「今の作家、昔の作家」

 『群像』2000年8月号

 川上さんは朝日新聞でも、読書関係の鼎談(2002年?)で『犬が星見た』、読書関係の企画(2003年)で『遊覧日記』を取り上げていた気がします(2004/3/8)

小嶋知善 「武田百合子論――詩と小説の距離――」
 『目白大学短期大学部紀要 第34号』2000年12月

安原顯 「不世出の文章家が書き綴った「日記」武田百合子1925〜1993」
 『文學界』2001年1月号「特集 読み継がれよ20世紀日本」

 安原さんの本にも収録されています(2004/3/8)


『KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 武田百合子 天衣無縫の文章家』

河出書房新社 編集人・西口徹さん、編集・大西香織さん

2004年2月刊行





SPECIAL

娘さんであり、弥次さん喜多さんならぬ遊覧者のパートナー、武田花さんの文章にも百合子さんのことは書かれています。

インタビューもあります。わたしが知っている範囲では『百合子さんは何色』(1994年9月刊行)、『ku:nel』(クウネル)創刊号(2003年9月刊行)、『文藝別冊 武田百合子』(2004年2月刊行)に収録されています。

もちろん写真もあります。『富士日記』をはじめとして、百合子さんのすてきなポートレートが紹介されています。

 百合子さんは大きくふくらんだ目が印象的な美貌をもっていましたが、目を引く大胆なファッションに包まれた全身像もすてきではないでしょうか。個性がより印象づけられるように思います。「たま」ちゃんや猫さんとの姿も魅力的です(2004/3/8)


未確認・未読

金井美恵子 「『日日雑記』武田百合子」  『リテレール』1992年夏号?

 参照 安原顯「不世出の文章家が書き綴った「日記」武田百合子」

杉本苑子さんが(朝日?)新聞に寄せたエッセイ

 参照「茜雲、富士をめぐる」 『武田百合子 全作品6 遊覧日記』中央公論社 1995年2月




『富士日記 ―不二小大居百花庵日記―』『犬が星見た――ロシア旅行』

の成立と深い関わりのある泰淳作品

『花火を見るまで』  『群像』1966年10月号
 短編。『富士日記』からの引用があります。

『山麓のお正月』  朝日新聞の「別集PR版」1968年1月5日号

 短いエッセイ。『富士日記』を山荘での、家族の共同日記として紹介しており、興味深いです。その頃になると、泰淳さんはほとんど書いていないのですから。(2004/3/8)

『新・東海道五十三次』  毎日新聞夕刊の1969年1月4日号〜6月21日号

 百合子さんの「メモ」が登場します。『富士日記』の「間奏曲」(『海』編集後記)でもある『犬が星見た』のように、『富士日記』の『新・東海道五十三次』ヴァージョン、あるいは“犬が星見た 東海道五十三次”も存在したと考えています。(2004/3/8)

『富士』  『海』1969年10月号〜71年6月号

 『富士日記』からの引用があります。ポチのくだりです。また、百合子さんの記述より、くわしく描かれています。泰淳さんは、それまで体験したことのない山荘生活、それも、さまざまなプレテクストに満ちた富士山に住居するにあたって、こういう壮大な作品をいつか書こうと構想し、『富士日記』を付けてもらっていたのではないでしょうか。

 では、いつ泰淳さんは百合子さんの綺羅星のごとき文学的才能に気づいたのでしょう、独占したのでしょう?

『めまいのする散歩』  『海』1974年9月号〜75年4月号

 『犬が星見た』のシベリアのあたりがそのまま長々と引用されています。上記の泰淳作品といい、泰淳の生前から百合子さんの文章は、断片化され、作品に挿入され、公表されていたのです。

 『めまいのする散歩』からは特に、泰淳さんは自分とは対極の百合子さんの“眼”が必要であり、百合子さんの日記はその面での泰淳さんの取材ノート。百合子さんは泰淳さんにとって、この混沌として生き生きとした世界を動きまわるアンテナ。他者の存在が迸るペンであったのではないかと思われます。

 百合子さんが泰淳さんの口述を「筆記」したという作品でもあります。その点では、わたしは冒頭の細密な描写が気になっています。


 このように、百合子さんは単なる、存在しているだけのミューズではありませんでした。また、家事や運転、口述筆記によってだけ夫の作家生活を支えた「専業主婦」でもありませんでした。わたしは、天性の文学的才能によって献身的に奉仕した、「書く妻」だったと言えるのではないかと思っています。 

 泰淳さんは百合子さんを利用したようにも思えます。自分は作家、および、その資質を有する人に対するなにか狭い観念に毒されているのかもしれません。

 それにしても、百合子さんの文学的才能を発見し、日々浴びながら、動じず、むしろ取りこんで作品世界を(わたしの印象では)宇宙的にまで膨張させた泰淳さんも凄い人です。そういうところが、ふたりの凄い才能というか魂が拮抗しあった生活、といえるのでしょう。

 百合子さんはすぐれたいろいろな文章を書きました。作品としての精髄『日日雑記』、独特な映画評(単行本未収録)、いろいろな文章、硬質なガラス質のなにかのようにキラリと光っている女学校時代の詩、散文。しかし、これはどれもある意味、『富士日記』『犬が星見た』を超えてはいません。

 百合子さんによる日常生活の平易な記録。きちんと記された地域の人々の話、聞き書き。そこに沿うようにして存在しながら、生活から離れ浮遊し、時には人生の哀しみを伝えてくれる百合子さんの自由奔放な感性・視線の文章。それらに加えて、それぞれ個性のある泰淳さんや花さんの日記などなど。

 現存するふたつの日記は、いろいろなものを含んで、巨(おお)きな日記、魅力に富んだ読み物です。そのような昭和時代の稀有な日記文学は、西方へ向かう象、泰淳さんがいたから、あるいは、泰淳さんが光源となって存在したからこそ、誕生したのです。(2004/5/6修正、3/8up)




ご存知の事がありましたら、ぜひ教えて下さい。お名前とともに掲載させて頂きます

基本的に1999年作成