MoMA展の感想

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/art/new.htmlの転載です。今後はそちらで加筆します。


MoMAニューヨーク近代美術館展 モダンってなに?:アートの継続性と変化、1880年から現在まで』森美術館六本木ヒルズ



 夕方に用事が終わった。そのあと、神保町の古書店や渋谷をウロウロしたので、作品数79点・1500円のThe Bunkamura Museum『ペギー・グッゲンハイム コレクション』はやめて、200点・1500円の『MoMA』へ。

 平日の夜だけど、カウンターは行列。会場にもお客はどんどん入ってくる。たいていは若い男女。草間彌生の回顧展(東京都現代美術館)でも思ったけど、地方とはぜんぜん違う。

 最初はゴーギャンの作品。いいけど、古い。「これはダメかな?」って後悔したけど、結局、行ってよかった。カタログ(図録)を買って、メモしながら3周。

 会場の環境で特筆すべきことは、たいへんな寒さだったこと。

・モネ「日本の橋」 はあ? 汚い茶色い絵。

ゴーギャン「洗濯女たち」 丸みをおびたフォルムと色がかわいい。版画もあり。感想:版画もつくっていたのか。

ジャコメッティのアフリカの壺に影響受けたらしい彫刻  坂田和實さんの『ひとりよがりのものさし』に取り上げられているアフリカのものの方がいい。

マッキントッシュ サイドチェア 座りにくそう。

・ドナルド・シャット、ロバート・ライマン 棚にしか思えない。

・パオロッツィ「No4議定書=文章」 色鮮やかな模様画。メモには「はぁ?」とある

よかった作品など

・ルドン「沈黙」「緑色の死」 いろいろある中だと、よく思える。

エドワード・スタイケン「月の出−−ニューヨーク州ママロネック」
ロマンチックな写真。こういうの、好きだ。

・ジャコモ・バッラ「街灯」 文明開化の喜びがよく表されている(?)

ムンク「吸血鬼 Ⅱ」 やっぱり「流れ」ていて、いい。

群馬県立近代美術館にもある「マドンナ」もよかった。やっぱり左下の骸骨みたいな胎児のおかげだ。

オスカー・ココシュカがあった!

・エーリッヒ・ケッヘル「横たわるフレンツィ」

・同「男の肖像」 青くて貧相でおでこのひろい男。悲惨、という感じ。『ギャラリーフェイク』(細野 不二彦)みたいなマンガに出てきそうでもある。

・エルンスト「ヌード・ダンサー」

ピカソ「髪を編む女」 2度目に見たらよく思えてきた。

エミール・ノルデ「子供たちのなかのキリスト」 いい話、みたい。ほんとにこんな事があったら、キリストも幸福だったろう。

・アーシル・ゴーキー「誘惑者の日記」 灰色の画面に、カーブした線。落ち着く。

・ナンシー・スペロ「改革に XI」 横長の白紙に、ちょっと幅広の筆線で人の姿。書みたいでいい。

・ヘリット・リートフェルトシュレーダー邸(模型)」 見ていて飽きない、色とかつくり。

・ライト「採光窓」 色鮮やかで幾何学的で、リズムがある。

・ホアン・グリス「静物」 灰色で幾何学的な絵。でも落ち着く。

ホアキン・トレス=ガルシア「構成的絵画」 カタログみても、何でよかったか思い出せない。

・フェルナン・レジェ「鏡」「壁画」
 
幾何学的で無機質。でも、好きだ。それに、「なつかしい近代」という感じもする。

ピカソ「画家とモデル」 何でよかったか思い出せない。

・イモジン・カニンガム 4点のモノクロ写真

 「オウム貝」「ペッパー No.30」がいい。形のおもしろさに魅了される。とくに後者は気味の悪い生き物みたい。

マティスヒョウタン」 こういう絵は、物に愛が湧いてくる。

・マーガッレト・パーク=ホワイト、チャールズ・シーラー

町の中の機械を撮った写真。歯車とか、工場。人が見ないような物におもしろさがあることを教えてくれる。

 アメリカの街角の様子を撮った写真もおなじ。ベレニス・アボット、ウォーカー・エヴァンズ。

モンドリアントラファルガー広場」「コンポジション

きれい。今はこれも絵だ、それも歴史的な絵だ、なんて思うけど、描かれた当時に見たら、こんな下書きは「絵」ではない、と非難しそうだ。

・ニコライ・スエチンのお皿、ティーポット、デミタスカップ&ソーサー

丸とか四角が描かれ、余白が活かされている。飽きの来ない、おしゃれな食器、という感じ。

・エル・リシツキー「声のために ウラジミール・マヤコフスキー作」

本。でも、文章じゃない本。すばらしい。

カンディンスキー「かすかな圧力」 パステルカラーでかわいい。

・ヨーゼフ・アルバース、マリアンネ・ブラントの金属製の調理器具

すっきりしていて見惚れる。

・マルセル・ブロイアー「ネスティング・テーブル」

入れ子(?)構造になっている。使いやすそうだし、きれい。


・ヨーゼフ・アルバース「白線の正方形」 ほぼ1色が塗られた絵。4つセットでそろっていると、インテリアになりそう。

・アグネス・マーティン「無題 ナンバー1」

 原画はもっと濃いピンク色。流れている絵。生地みたい。志村ふくみさんの。私が名付けるとしたら「朝焼け」。幸福な朝という感じ。

ブライス・マーデン「アヴルトゥン」 上が黄土色、下が灰色に塗り分けられているだけ。でも、落ち着く。なぜか、過ぎゆく時、過ぎ去った時、という言葉が浮かんだ。

・アレクサンダー・カルダー「にわか雪Ⅰ」 枝に白い丸がついている。きれいなオブジェ。1948年作にびっくり。



・アルマン・P・アルマン「バン! バン!」 プラスチックの銃が箱に詰まってる。おもしろい。

・クリスト「内包されたルック誌」 これもおもしろい。

・ジム・ダイン「静物画」 画面にカップが付いて、本物の歯ブラシがささってる。以上、3点のコーナー、おもしろいだらけ。芸術家は、頭がいい、ってことが大切なんだなあ。

・ヴィルグレ「タンプル街122番地」 そこのポスターを貼った(コラージュ?した)んだって。いい発想。でも、目を引くターバンの美女が貼ってなかったら、作品になったか。

リチャード・ハミルトン「わがマリリン」 こんなコラージュつくりたい。

・ウォーホルの箱 好き。

・ロバート・インディアナ『LOVE』 クリスマスカードとか商品ならいいんじゃない。作品だと大きすぎる。

・同?「ムーン」 錆びた車輪。古い木の柱。そこに描かれた白い月の満ち欠け。端正で叙情的。茶室によさそう。

・クラウス・オルデンバーグ「ケーキの陳列ケース Ⅰ」

武田百合子さんの『日日雑記』にでてくる模食とちがって、汚い。不味そう。でも、そこがいい。

 床を占めてる、この人の巨大な布大根。意味不明。


ウィリアム・エグルストン 写真 壁ぎりぎりまで前駐車している車とか、豪華な食事が並んでるテーブルとか。おもしろい。

・ティナ・バーニー「ニューヨーク・タイムズ日曜版」 おもしろい。

・カタリーナ・フリッチュ「黒いテーブルとテーブルウェア」 家具はいい。




・マルティン・キッペンベルガー「マルティン、部屋の隅に立って反省しなさい」

本当にコーナーの隅に向かって立っている、等身大の人形。おもしろい。地球儀がプリントされたシャツもいい(理由は忘れた)。頭や手、体の部分は銀色に塗られている。現代で、彫刻で人体を称えるとしたら、こうなるのかもしれない。わたしは、クラシック時代の、美しい人体を美しいポーズで、それがさも理想であるかのようなギリシャ彫刻がきらいだ。

・ロバート・ゴーバー「猫砂」「新聞紙」

袋と、たばねた新聞紙。わざわざ作ったらしい。こういうのおもしろい。

・ジュリアン・オビー「風景?/運転中を想像してごらん/歩行中を想像してごらん/自動車?」

単純明快な形と、濃い色によるポスターのような絵。「運転中を想像」できたりして、すっごく好きだ。

アンドレアス・グルスキー「トイざラス」

TOYOTA」工場と隣接している。なんか面白い。


・クリスティン・ルーカス「5分間の休憩」

唯一見たヴィデオ。休もうと思って、座ったら、流れていたのだ。関係するものでありながら、ちょっとちがう視点で映されるふたつの画面がいい。

・アンドレ・ケルテス「歪曲 #34」

裸の女を描いた絵は、昔からたくさんある。これは、裸の女の体が引き延ばされている写真。こういうのが今の裸体画ではないかしら。おもしろい。

マグリット「光の帝国Ⅱ」

三越の美術館(新宿)での「マグリット展」でも見たかもしれない。あのときは何とも思わなかったが、今回見たら、よかった。なつかしい風景で、なごむ、落ち着く。でも、それだけではない。

 ウサギが人間の室内で、身につけたバスタオルをはずして、自分の裸体を鏡に映していたりするミヒャエル・ゾーヴァに似ている。平明で正確な遠近と描写、それでいて、変な感じがするのだ。あと、この絵にはないけれど、共通するのは、うっすらとした人間嫌悪と憂鬱感か。

・アルプ「レリーフ

木の板に浮き彫りされた明快な形。

イサム・ノグチ「柱頭」

上のアルプのに似ている。極限までまるみを追求した感じ。

ジャン・デュビュッフェ「地下の魂」

一面が鉱物みたいな画。茶色や黒色で、ところどころ光っていて、ざらざらした質感のわたしの好きな鉱石(いし)だ。ところが、カタログを見たら(会場では疲れて、いちいちキャプションを読む気にならない)、「油彩、アルミホイル、ボード」とある。

イヴ・クライン「人体測定学、王女ヘレナ」

青い筆で一気呵成にカーブした線。書みたい、と思った。会場ではタイトルなんて見なかった。



ヨーゼフ・ボイス「フェルトのスーツ」

ほんとうにスーツが掛かっているだけ。祖父の通夜のことを思い出した。母は、「おばあちゃんとデートできるように」と、スーツを入れたのだ。これも、人によって感じ方が大きくちがう一期一会の作品なのかもしれない。

・同「無題(太陽の国)」

黒板に字や絵が書いてある。講演のときの板書らしい。

草間彌生「No.F」

例の、白い編み目の絵。なんかいい。家で考えると、もっとよくなった。こういう物質が作品である歓び。

・ピエロ・マンゾーニ「非色」

白い唇みたいな割れ目。なんかいい。

・リチャード・ロング「キルケニー・サークル」

石が円形に集められている。自然の物が好きだから気に入った。カタログを見たら、本物の石だった。おもしろいなあ。

・ロバート・ゴーバー「無題」

ろうそくの載った下半身。死体みたいで、気持ち悪い。

・デヴィッド・ハモンズ「ハイ・ファルーティン(思い上がり)」

処刑台みたいなオブジェ。草間彌の作品じゃなくて?

・ギリェルモ・クイトカ「無題」

現代美術って、「無題」ばっかでいやになる。こちらが内容を記さないと、後で思い出せないのだもの。

でも、この作品のタイトルこそ「無題」がぴったり。コンクリの壁に、白い石で落書きしたような絵。カタログより、もっとぼやあっとしていて、きれい。

・ディター・アッベルト「平原」

川の水面を撮ったような白黒写真がいっぱい。これって、理科では? そこがいいのだろうか。レオナルド・ダ・ヴィンチの水の素描を思った。

イヴ・タンギー「時の家具」

ダリ?と思った。ダリより叙情的かも。灰色の砂浜みたいな所に、柔らかくなって、ねじれたような溶けかけているような家具群。砂浜はずーっと延びて、空(?)と一緒になっている。その境があいまいで、そこが気に入った。“時の果て”というものがあるとしたら、こういう場所だろう。谷川俊太郎の詩に合いそうな絵だとも、思った。家に欲しい。

○キキ・スミス「スエーニョ」

死体みたい。カタログとちがって、原画は茶色くてすてき。

別室にあった「男」もよかった。巨大な和紙(切り張りした手漉き紙)に墨で、なにかが描かれている。耳がいくつかあるのはわかった。片耳。


○エルンスト「ニンフノエコー」「1941年のアリス」

やっぱり好きだ。笠間市の日動美術館で好きになった。エルンストは、近代のヒエロニムス・ボッス(ボッシュ・ボス)なのかな。

 「1941年のアリス」はカタログにない。植物みたいな岩に、はめこまれた白い、成熟した女体。その一部が覗いている。東京国立近代美術館(竹橋)にある、靉光の茶色いぶよぶよした生命体の絵を思い出した。

○リンダ・ベングリス「近代美術 No.1」

金属のものがわたしは好きだ。金と銀がそろっていれば最高だ。この、オブジェは、ある形を想起させる。題を見て、納得。軽蔑と尊敬が混じり合っている気がする。上手。好きだ。

○ケーテ・コルヴィッツがあった! 「両親」「母親」

 どっしりとして重量感があり、丸みを帯びたフォルムがいい。存在感がある。

ブランクーシ「新生Ⅰ」 金色の卵形のオブジェ。飽きない。すごい。

オキーフ「青の抽象」 いい。

マティス「音楽(スケッチ)」

こういう、生きている感じが好きだ。



イヴ・クライン「青のモノクローム」 青が塗ってあるだけの絵。でも、すばらしいのだ! ケースのおかげで(?)鏡になっていて、青の空間のなかに自分が立っているのだ。人によって、できる作品がちがう。インスターレーションの意味が「一期一会」なら、これはインスターレーションである。

エゴン・シーレ「紫のストッキングの裸婦」


アンゼルム・キーファー「グラーネ」 巨大な版画。立っている馬が描かれている。骨が描かれている。でも、生きているみたい。なのに、この馬の墓碑でもあるように思った。

 力強くて、時が止められているような画面だけど、雲が流れ、風が吹いている。やさしさも流れているのだ。わたしのメモには「永遠の作品」とある。どういう意味だろう?

 グラーネは『ニーベルングの指環』のブリュンヒルデの愛馬で、苦悩している場面らしい。



◎ジャスパー・ジョンズ「夏」「サヴァリアン」

名前は聞いたことのあった画家。迫力に圧倒された。力強い。絵なのに、深く深く削った彫刻みたい。堅くて、でも、叙情的。なぜか、愛することと喪失(な)くすことを感じたのだった。




◎フェリックス・ゴンザレス=トレス「無題」(USAトゥデイ

こういうアメがあると読んでいたので、なにも思わず取った。家でカタログを見たら、おもしろい作品なんじゃん。「絶えず補充」とある。世界のどこでもできる。でも、包み紙は3種類。これで星条旗の色を表せのだ。

 無料のお菓子は、美術館の外にはある。それを「作品」にする。簡単でいて、これからはアーティストの誰にもできない発想だろう。

同「無題」(トロント

いくつもの電球を吊り下げたもの。発光していてきれい。

作者の言葉も好きだ。「I don't necessarily know how these pieces are best displayed...pla with it,please.Have fun.Give yourself that freedom.Put my creativity into question.」(最後のところはこう、。「その自由を味わってください。私の創造性に疑問を投げかけてください」)

 これが会場最後の展示。この最後の光に送られて、観覧者は会場を出る。この光は「アート」のこれからを予言しているようだった。言葉も含めて、すごく好き。


◎エクトール・ギマールの机とサイドテーブル

 ダイナミックでどきどきする。木が生きている感じ。こういう家具が欲しい。


◎キリコ「無限の郷愁」

 宮崎県立美術館のポストカードや、ブリヂストン美術館でも魅了されたが、これもすごーいイイ!
 ほし〜〜。不思議な感じの世界だ。なつかしい、怖くない。知らないところなのに、行きたい。タイトルのことは忘れていたけど、こんなことを思った。

 しかし、図録もグッズも色がぜんぜん違っていて、がっかり。太った塔の日光が当たっている面は原画では、クリーム色だし、地面は明るい茶色・黄土色。手前の巨大な建物の影は焦げ茶色。背景の奥の家は赤いのだ。

 キリコのような作家でも、いい絵とそうでない絵があった。当たり前か。

 ビデオはほとんど抜かした。見ていられないのだ。作品だったトイレは、ただの花柄の壁紙のトイレにしか思えなかった。

 出口で若い女性ふたり「もう終わり?」『ハピネス』展のときは疲れた。今回のほうが印象に残った。心地よい物をたくさん味わった、という幸福。

 展示内容は、頭のいい人の集まりでもあった。絵画をめぐるアイデア・表現技法は、ここの作家たちにもうやり尽くされてしまったのでは、と思えた。

 ところが、そんな恐ろしい秀作群にたいして目もくれず、通り過ぎる人がいるのだ。わたしの感想だって、凡庸で浅いこと。

 こんな人間にとっては、薄く消費される美・アートだ。先端の芸術を繊細に鋭く受容するのではなく、ちょっと学んで通り過ぎていく近過去のファッションみたいな。「セカチュー」とおなじような位置づけで、お金を払って入った人がいるだろうか?

 ところで、パネルにあった「新しい視点」って何だろう? とても豊かだけど、平凡な(おおよそは、ある時代の)回顧展に思えたから。わたしはバカなのだろう。パネルの文章だって難しすぎて、ソッコー、目を離したし。

 キャプションの文章はよかった。でも、それはカタログには収録されていない。ちなみに、カタログの図版索引は英語・・・

 今回も帰りに迷ってしまった。最初のほうは誘導係がいるし、せまいエスカレーターを下っていく。そのうち広めな所へ出て、気がつくと、まわりに人はいない。ガラーン。お店は閉まっているし、どこかわからないし、こわい。

 ビルの前に立っている茶色い巨大蜘蛛「マム」、青い夕暮れのなかで見ても、帰りの真っ暗な夜に見ても、気持ち悪い。トールキン指輪物語』のシェロブのイメージが重なるのだろうか。ヒルズの地母神なのかもしれないけど、美術館らしく、たまには展示替えしたらどうだろう?

カタログの各コーナー冒頭の文章がいい。MoMAのキュレーターのデボラ・ワイと、ウェンディ・ワイトマンという人が書いているのかもしれない。多種多様の作品をよくまとめて紹介している。わたしのは、ただのだらだら書き。