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美味しい外国

以下はhttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/books/foreign_countries.htmlにも載せています。今後はそちらで書き直す予定です。


 ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』が好きだ。

 買う本や、図書館で借りる本はベストセラーばかり、という人がいて、「うーん、いやだなあ・・・」と思っていた。でも、この『南仏プロヴァンスの12か月』、こっそり読んだら、おもしろかった。

 気がめいった時、めいりかける時、ベッドに持ちこむようになった。ふだんの生活における常備薬的存在になった。

 そしてとうとう、購入。といっても古書店でだが、わたしはずっと手元に置きたい本しか買わないほうなので、これは自分的にはスゴイことなのだ。

 自分の物となった『プロヴァンスの12か月』を手近な本棚に並べた。しかしたびたび、ベッドの枕元につくられた本の山の一層となった。

 高校生や大学に入ったころの『富士日記』(武田百合子)の読み方と似て、そのときの月や、前後の月の章から読んでいた。もともと、こういう日誌的な生活の記録が好きなのだ。

 にも関わらず、『プロヴァンスの12か月』を軽んじていた。それを思い知らされたのは、須賀敦子さんの『本に読まれて』だった。引用や手際のいいエピソードの紹介のあいまに、こんな文章がある。

 「ニンニクをきかせた南仏ふうマヨネーズ、アイオリ、香草の匂いたつローストにシャンパン。月明かりに窓から見える、植えつけたばかりのラヴェンダー畑。「美しく、おいしそうな」この本が、英米では売れに売れ、ちょっとしたプロヴァンス・ブームを招いたと訳者のあとがきにあるのは(略)」

 「あるいは、だれか友人がたずねてくるあてのまったくない雨の日曜日に、読者をやさしい休息にみちびいてくれる、そういった本だ。(略)数ページ読むだけで、また編み物に戻ってもいい。」
 結びは「ただし、パーティーのごちそうについては、本文参照。」


 須賀さんは、『プロヴァンスの12か月』が与えてくれる歓びを明らかにしている。生活にひきつけて、読者に魅力が通じるように紹介している。

 そもそも、ちゃんと新聞の書評に取り上げているということ自体、たいへんなショックだった。

 あれが愛読でなければ、何なのだろう? というくらい、わたしは愛読していた。しかししかし、須賀さんが書いたことには気づいていなかった。自分こそバカだったのだ。

 ・・・いま書いてみても、辛口になってしまうけど、『南仏プロヴァンスの12か月』は、人を惹きつける話術にたけた流暢な文章だ。いわば、言葉によるきわめて美しい風景写真や、あるいは、思わずほおをゆるませ、唾液を生じさせる、長いキャッチコピーで構成された広告、CMかもしれない。

 しかし、美味しそうなメニューや、軽妙な人物描写は出色だ。著者の『愛犬ボーイの生活と意見』はいまひとつだったが。(エドワード・コーレンによる洒脱な犬のイラストは最高)





『食べちゃおイタリア!―La dolce vita』

  パンツェッタ・ジローラモ(光文社)

 なにげなく読んでいたのだが、自然に頭に上ったのが『南仏プロヴァンスの12か月』。でも、こちらのほうが好きかもしれない。ちょっとゆるんでいて、広告的な計算がすくない気がするから。「自分の話を聞いてほしい!」という明るさと、聞いてくれるなら、なんとしても興味をひきつけようとする語り方の工夫が良心的な感じ。

 挿絵の水彩画にもいいものがある。この本は、おもしろいし、きれい。素直に幸せになれる本だ。
 画家は、軽快なしゃべり言葉に翻訳した奥さん、パンツェッタ貴久子さん。



『トスカーナの丘 イタリアの田園暮らし』

  フェレンク・マテ 田口俊樹訳

 たぶん、この本だったと思う。近所のおばあさんが濡れた葉っぱに包んだチーズを、孫娘にもたせて遣る最初の方はともかく、後はおもしろくなかったのは。イノシシの料理がでてきた気がする。

 なぜ読んだかというと、イタリア旅行に備えて、本を探していたから。

 それから、上にも書いたけれど、わたしは生活記、ごはんや住まいや外出の暮らしをつづった日記がわりと好きだから。

 外国の本はそこに旅行したり、滞在した気になれるし、日本の山荘や都会暮らしを書いた物も、自分が山暮らし、都会暮らしをしたような気になれる。経済的にも性格的にも、旅行や移住を実行できないわたしのような人間には、現実的な美味しい食事のように惹きつけるジャンルだ。

 もちろん、そこに書かれているのは、いろいろある暮らしのうち、美しくて極楽のような上澄みの部分だろう。でも、いいのだ。

 ・・・本を読んで知識を得ると同時に、自分自身がつむぎだした楽園生活の夢を食べているのかもしれない。


 イタリア旅行に備えていたとき、出会っておもしろかったのは歴史の本だった。

『ルネサンスの高級娼婦』 ポール・ラリヴァイユ

 森田義之、白崎容子、豊田雅子訳(平凡社)

 頭に残っている内容

 ヴェネツィアやローマなど、キリスト教の最高権威・教皇のいるイタリアは、売春が隆盛をきわめていた。性産業といっても今とは違い、売春婦たちの目立つファッションは絵に描かれ、文人を相手に披露されたすぐれた才知は文献に残された。たしかに彼女たちは、文学に、音楽に、芸術について深い教養をもち、文化に貢献したのである。しかし、そんな人間はわずかで、ほとんどは底辺で、たいへん過酷な生活を強いられていた。・・・と、結論は日本の遊郭についてと同じで、ありきたりな気がした。

 見事にだまされ(というか性欲に負け)、呼び入れられた室内で、老醜の娼婦を買ってしまったことがわかったマキアヴェッリの手紙あり。旅先から友人に出したという手紙で、辛辣な描写がおもしろかった。

 わたしが初めて読んだニッコロ・マキアヴェッリ(Niccolo Machiavelli)の文章でもある。『世界の思想4 マキャヴェリ』(佐々木毅編)を読んだら(2004年春)、メディチ家の復帰により、彼がフィレンツェの要職から追放され、なかなか就職できず失意にあったとき、喜劇を書いて好評を博したとかあったが、納得した。

 あと、『ルネサンスの高級娼婦』は、書かれていた娼婦の生態は忘れてしまったけれど、売春を斡旋する、いわば営業のおばあさんのことを覚えている。彼女の仕事の一つは、あちこちの教会の参詣。聖なる宗教施設で敬虔な信者として行動することで、買春客を得られるのだ。おもしろい。




『プラートの商人 中世イタリアの日常生活』
 イリス・オリーゴ 篠田綾子・訳(白水社)

 朝日新聞での須賀敦子さんの書評で知った。須賀さんの書評は、本に惹きつける。記憶に残っていたので、イタリア旅行の機会に、読んでみた。

 フィレンツェの近郊の町・プラートの商人フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニが残した文献、というか記録をもとに、テーマごとに章立てされ、彼の生涯も追えるようになっている。文章は歴史書というより、読みやすいエッセイか、ささやかな小説のようでいい。膨大な記録をみごとにまとめて書いたのが、数十年前の女性ということにも驚いた。

 頭に残っている内容

 フランチェスコはやり手で強欲な商人。南フランスのマルセイユだったかニースだったかで、仲間と儲ける。当時のイタリア商人は、出身地の人間と組んでいた。イタリア人という認識はないのだ。

 フランチェスコは儲けると、遊びまくる。私生児ができたかもしれない。

 支社は置いたまま、故郷に帰還する。結婚する。恋愛によってではない。血統がほしいのだ。だから、健康そうな若い女性を選ぶ。

 でも子どもはできない。妻は家事、家の切り盛りに長けてくる。とうとう、私生児の女の子を引き取る。そして、とっても可愛がるようになる。その娘は結婚する。

 フランチェスコには、年下の友人がいる。手紙で田舎暮らしを勧め、本人も始めるような人間なのに、なぜかフランチェスコを慕っているのだ。友人は息子の就職を斡旋する。その息子は南仏の支社で働いた記録が残っているらしい。田園が好きな人間も子どもが心配らしい。その友人は、フランチェスコより先に死ぬ。

 フランチェスコはどんどん強欲になる。自宅に、教皇?だか有名な人を泊めて、意気揚々となる。上昇志向のすごく強い人だと思う。

 手紙や記録の保管は、彼が命令したのだった。(パブロ・ピカソは将来、自分の全てをわかってもらうために、レシートまで保存させた気がする。)

 そんな彼のおかげで、昔の外国のなんてことない人の言動が今もわかるのだ。フランチェスコ関連の記録が尽きると、彼らがその後どうなったのか、ぷっつりわからない。

 記録は、棚の中で袋に入って発見されたらしい。





一番おもしろくて、今も心に強く残っているのは

『ランドゥッチの日記 ルネサンス一商人の覚え書き』

 中森義宗・安保大有訳(近藤出版社)

 15世紀半ばから16世紀初頭に生きた、フィレンツェの商人の日記だ。ひとつひとつの記事の叙述は多くない。感想も少ない。でも、その簡素な一文一文に打たれることが多かった。

 わたしは歴史に深い興味があるわけではないので、歴史的事件の記録よりも、いまと変わらないゴシップに対する人々の様子と、かいま見えるルカ・ランドゥッチの人間性に惹かれた。

 たとえば、前者についてはこんな記述がある。

 「一五一一年三月二日、ラヴェンナで女から化け物が生まれたという知らせがあり、その絵がここに送られてきた。それは刀のように見える角が一本頭の上に立っていて、両腕の代わりにこうもりのように翼が二枚ついており(略)女のものと男のものがついていた」

 日本の中世の『徒然草』には、女の鬼上京、という記述がある。兼好法師は情報に惑わされる人々を批判しているのだけど、人って変わらないんだなあ、と単純に思う。

 見せ物のライオンが人々の期待に背いておびえたり、熊を助けた、という話なども伝えている(1514年6月)。それから殺人事件。

 いまは明るいオレンジ色の古色ある町並みの観光地も、なにやら人くさい。

 彼自身の結婚については、どんなところが好きになったとか、出会いの話はなくて、持参金のことが出てくる。そのあとは
「嫁入り衣裳として次のものを受け取った」
として羅列。
「亜麻糸で織った手ハンカチ二四枚」
とかがある。布関係が多い。

 末尾、「査定してもらったところ、封印貨幣で三八フィオリーニだった」

 その後は「私の支出」として、すごい量の羅列。
「絹布に。襟用……一・一二・−」
というものもある。

 この、奥さんに買った物の羅列は、単なる記録なのかもしれない。でも、そこに書かれた衣料や金属製の小物に、彼女はなんども触れ、手をくぐらせたのだろう。

 彼は
「いとしいつれあいで、並ぶものがないほど素直でしっかりした女だった。四八年間一緒に暮らしたが、私を怒らせたためしがなかった」

と書いているが、わたしは、物の羅列のほうが好きかもしれない。物こそ、人間の人生を、思い出をつくっていると思うから。

 彼は妻の母親をつれて、「聖年のため」ローマに行く。その感想、「往復一五日間、難儀した」  わたしは、旅行の手配、姑への気疲れで、すごーく苦労したんではないかと、勝手に想像した。

 アルノ川がめずらしく凍結して、人々が「その上で球あそびをしたくらいだった」という記述(一五〇四年一月四日)につづく言葉。
「もっとも、あそんだのは若者たちだった」

この正確な付け足しからは、若くない彼の気持ち、正確に記そうとする誠実な人柄がわかるようだ。


 チェーザレ・ボルジアの進軍をめぐる記述は、塩野七生の『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』での、悪の華的な好印象を一転させた。『チェーザレ・ボルジア』(1970年)も参考にして描いたのかもしれないけど、川原泉の『バビロンまで何マイル?』のチェーザレ像に近い印象を受けた。ランドゥッチの日記の彼は。

 ランドゥッチは、チェーザレ(ヴァレンティーノ公)の軍の暴虐を記し、それから逃げて街に流れ込んでくる人々に同情している。

 しかし、ランドゥッチという歴史上では有名ではない人がわたしの心に残っているのは、ジローラモ修道士ことサヴォナローラをめぐる記述のためだ。ランドゥッチは彼に熱烈に傾倒する。彼だけではない、フィレツェ市民の多くがだ。花の大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)はいっぱいになる。

 サヴォナローラの信者は「泣虫屋」と後に呼ばれているから、感情に訴える熱い説教を行ったのかもしれない。一般には、フィレンツェの危機的状況が背景にあり、不安な人々の心をつかんでいったようだ。

 また、サヴォナローラは、参加者を性別で分けて並ばせた。後には、さまざまな歓楽が奪われたことを怒る若者達が出て来る。タリバンのような原理主義者だったのかもしれない。

 前述の『プラートの商人』によると、当時、イタリアの中流以上の階級の少女は、10代半ばになると、教会へのほかは外に出ず、出るときも布で顔を隠していたらしい。イスラム教の国みたいだ。いや日本だって、長い間そうだった。

 さて、サヴォナローラの旗色が悪くなると、ランドゥッチは離れていく。現実的に行動できる人間なのだ。


 処刑の記述にはこうある。「修道士は大声を出したりしないで静かな話し方をする人で、吊されたときも静かだった。三人は一人も一言も話をしないで死んでいった。これはひどく不自然なことだと見られた。とりわけ、みんな御しるしを見られると期待していたし、修道士はその最後の機会に民衆に本当のことを告白してくれるはずだと思って期待していただけに、実に不思議な気がした。(略)これで大勢の人たちが三人を信頼できなくなったのだ。」


 しかし、心は、サヴォナローラから離れなかった。処刑から数日後、3人の女性がその場所にひざまづいていたことを記している。3人の女性は、豹変した社会による制裁を恐れない勇敢な“殉教者”のようだ。しかも、聖母マリアやマグダラのマリア、ベロニカとおなじ女性であったことに、サヴォナローラのすばらしさを感じたのではないか。

 支配者を冷静に分析したマキアヴェッリは、サヴォナローラの説教、というより扇動の仕方も見抜いている。たしかに、サヴォナローラは底の浅い、だめな政治家だろう。

 しかし、ランドゥッチには、ほかの権力者と違って、無欲で純粋な指導者に見えたのではないか。

 ランドゥッチは店をちゃんと経営し、組合をしっかりさせたように、愚かではない。政治家を目指すような欲は持たなかった。ニュースが好きだった。「神の御心に任されますように」などとよく書いている。軍隊の残虐な仕打ちを怒りとともに記し、弱い立場にある人間への同情を惜しまなかった。

 ふつうの感慨を抱き、社会の規範に忠実に行動する。そういうふつうの人であるために、わたしはルカ・ランドゥッチが忘れられないし、好きだ。

 実際にフィレンツェに行ってみると、日記によく登場する舞台・シニョーリア広場は思っていたより狭かった。

 ガイドさんの説明にサヴォナローラのことは出てこなかった。終わるころ、あわてて焚刑場所を聞いてみたら、連れて行ってくれた。石畳に丸い石が嵌めこまれていた。マークはそれだけだった。

 シニョーリア広場の一方の壁になっているヴェッキオ宮殿(政庁舎)は、メディチ家の兄弟を襲ったパッツィ家の人間と関係者が容赦なく、窓から吊された建物でもある。(1478年4月。事件は大聖堂のなかで起こり、弟ジュリアーノが殺害された)。過酷なしうちを受けずに済んだのは、パッツィ一族ではあるものの、メディチ家の女性と結婚していた人物くらいらしい。

 宮殿は高くなかった。広場から見上げると、石壁の窓はけっこう近かった。わたしは、「それでレオナルド・ダ・ヴィンチにはよく見えたのだな」と思った。

 後で分かったのだが、絞首刑を描いた彼の素描は、コンスタンティノープルまで逃亡して、サルタンによって捕まり、「カピターノ」(いまはヴェッキオ宮殿に組み込まれている?)の窓に吊された人間のものらしい。

 大学でスライドを見たときから、この世の事象を解析しようとするレオナルドの絵が好きだ。水の渦巻き、馬に乗って恐ろしい形相で人を殺そうとする兵士(模写)、聖者の老人の体(ヴァチカン・ピナコテカ)。彼の目は冷たい。もちろん、そんな目はいくつかの絵からわたしが想像したに過ぎないけど。

 なお、『ランドゥッチの日記』は定価8500円、1988年発行。




 外国での美味しい生活、楽園的生活を疑似体験させてくれる本て、すばらしく美味しい、ということを書くつもりだった。なのに、昔の人間くさい事件のことばかりに筆をふるってしまった。ルカ・ランドゥッチへのラブレターかもしれない。

 シンプルでも、また、書き手が弱いところのある人間でも、真実の記録は長く心に残るのだ。対して、“当世の花”となることを狙い、叙述に、エピソードに、登場人物(もちろん書き手自身が多い)の描写に力を尽くした、なめらかで冗舌な本は、摂取量は多くても、薄めの味わい、なのかもしれない。

 でも、日常を彩ってくれる。

 外国は宝庫だ。須賀敦子さんが一生懸命、充実した生き方をしようとして、外国へ行ったのもわかる気がする。日本にはないものがあるのだ。