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映画日記:3日間

以下はhttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/movies/4.htmlにもあります。今後はそちらで修正していくつもりです。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」

流れ、流れていくものの一つは、テレビで放映される映画だ。

それらに出会って、楽しかったこと、ドキドキしたことを忘却の彼方に流し去りたくなくて、書いている。

でも、わたしの“映画鑑賞”は一期一会なので、忘れてしまっている所も多いです。




 テレビをつけたら、手話をする男性と、手話がわかる男性と、手話がわからない女性が話していた。手話をする男性(明るい性格)がなにか言う。「もう寝た?」とか、女性が聞いたら、困惑したり激怒しそうなこと。それで手話のわかる男性が、ちがう話として通訳する。たとえば「スコットランドはいいところだよ」とか。女性はニコニコする。

 手話のわかる男性(主人公である)が女性を追う。二人は本音を話すという感じにはならない。女性去る。学生なのか、お国柄なのか、だぼっとした普通のシャツに普通のスカート(?)、ださい格好であった。

 場面はその女性の結婚式に。主人公が複雑な顔で見つめる。それが嘘っぽくない。いい俳優だ、と思う。甘いマスクは、深夜放送で松田優作の『殺人遊戯』(かもしれない。鳴海という男が和室とか、船で人を殺す)と並行して見た『アメリカン・ジゴロ』の主人公を想起させる(いま調べると、リチャード・ギアであった)。それに、どこかで見たことあるような気もする。

 主人公は別の女性(フィー、フィオナ)に告白される。その女性はおかっぱで、黒いしゃれた服を着ている。彼女の愁い顔と、知り合いに会うや笑顔に変えるところがいい。人間というのは、ほかの感情を隠して生きていて、なんだかそこにこそ深みがあるようだ。

 (好感をもった彼女の名前を知って、わたしが思い出したのは『フィオナの海』。

 少女が可愛く、人間の夫の船にやって来て、泳ぎまわってから去るアザラシの姿が切なかった映画。そのあたりはアジアの七夕の伝説、羽衣伝説、日本のミケランの話に似ている。衣を見つけると、異界の女性は愛情も何のその、矢も楯もたまらず、帰りたくなるのだ。自由だった世界に。

 それに基づいて歌った永瀬清子さんの詩「諸国の天女に」が好きだ。傑作だと思う。

 『フィオナの海』は、緑の島も印象に残っている。そこを、アザラシに育てられた裸の男児が走り回っているのは、信じられない光景であったが。

 結論、フィオナっていい名前だ)

 会場にミニスカートと靴下の老人が入ってくる。赤いタータンチェックの、ケルトの巻きスカート。ケルト音楽特有のバグパイプ(正しくはイーリアンパイプらしい)のにぎやかな演奏が始まり、踊り始める。この白髪の老人はほがらかで、いい感じ。彼や、主人公と会場の友人たちは、結婚できない独身グループらしい。しかし老人は愉快そうに、こんな事を言う。(死んだら言われたい言葉だったか)「彼だって一度は愛されたとね」

 最初に出てきた女(主人公を振った女、キャリー)がユーモアをまじえた挨拶をする。つぎに結婚相手の男性(初老)が挨拶を始める。アレッ。彼の話からは、キャリーとは合わない気がするのだ。

 人混みの後ろで大きな音がする。さっきの老人が床に倒れている。新郎は「大丈夫かい? 政治家のいるところにはアクシデントがつきもので」とか言って、話続けていく。老人のそばには友人たちが寄ってくる。

 隣の暗い部屋で、老人の死が確認される。わたしも好感を持っていたから残念。おかっぱの女がワッと泣く。でも、これは違う意味で残念だった。フィオナはそういう性格じゃないようだし、ほかの男性の友人が泣いたほうが自然かもしれない、と思ったから。泣く役→女、みたいだった。

 となりの明るい部屋では結婚式が続いている。楽しい祝いのパーティー。結婚式のさなかに起こる死。世の中を象徴するような展開だ。そういうのって観念的だけれど、この映画では不自然な感じがしなかった。

 場面は変わり、雨の中のお葬式。由緒ありげな教会が映る。先の結婚した女性が現れる。主人公「新婚旅行をつぶしちゃったね」とか。女「いいのよ、また行けるんだから」とか。女の表情からは、何だかもう、結婚がうまくいっていない、というか、映画の成り行き上、行かないことが予感される。

 教会では友人による、とても心のこもった挨拶がなされる。この映画は見終わってみると、甘い通俗なラブストーリーであった。でも、このお葬式での挨拶は長めで、心にしみた。ユニークで印象的な脇役たちといい、いろいろなものがラブストーリー(という商品にしないと売れないのか?)に混ぜ合わされている気がする。

 葬儀後、挨拶した男性と主人公が橋で話す。「理想が高すぎるんだ」とか「愛する人にずっと出会えなかったら?」とか。このときの、砂浜が広がっている川岸がいい。

 この場面ではなかったかもしれないけど、先の教会が映る。こんどは、背後に巨大な工場を映して。

 主人公はフィオナ命名「アヒル顔」の女と結婚しようとする。その直前、先の結婚女登場。やつれている。雨に濡れている。うまく行かなくて離婚したんだと。主人公とこの女性が急速に近づいていく終わりはつまらない。

 「アヒル顔」というより、「けわしい顔」の女性は、ウェディングドレスに身を包み、ベールをかぶり、結婚式の真っ最中にすべての人の前で捨てられたわけで、主人公たちはいいだろうけど、すごーくかわいそうだ。床に倒れるくらい殴り倒したところで、主人公が謝ったところで、あとで語り草にされるだけかもしれないもの。

 この映画、主人公の複雑な表情はいい。

 それから、まわりの個性的な人間。老人をはじめとする男女の友人たちや、手話の男性(弟らしい)の言葉はユーモアがあって、魅力的。

 結婚式で、ずんずんバージンロードに近づいてくる新婦(しつこいけど「アヒル顔」)を押しとどめようとする時とか。後でその男性語る。「まぬけ面は信用されるんだ」

 そのころ主人公は祭壇のある部屋で、「神さまこんなことを言うのをお許しください」と言って、こぶしで台をたたきながら、「クソ、クソ、クソ」と喚いている。そこへ現れる神父(牧師?)。…この映画はこういうところが面白くてよかった。

 脇役では、赤い髪の女性がいちばんいい! 背は低い。結婚式では、一生懸命、参加者に声を掛けていた。結婚したいらしい。話しかけ方は、ぎこちないし、ずれている。そもそも、ぜんぜん相手にされない。がっかりして、ぽかんとした彼女。

 彼女のことですぐに目につくのは、服装である。結婚式でもお葬式でも、まわりからは浮いたにぎやかな奇妙な服装をしている。色はピンク色とか。主人公の結婚式では、知り合いに出会い、大喜びして全身で飛びつく。両足を相手の胴に巻きつけて。

 ファッションからすると、彼女の感性は奇抜。でも、周囲とずれている。もし身近にいたら、場をわきまえず、幼稚ともいえる彼女にわたしはびくびくしてしまうかもしれない。でも、そういう人だから好きだ。孤高ではいられない、不器用で寂しがりやというのも、わかる気がする。

 フィオナ(おかっぱの女性)もいいけど、彼女はオトナ。

 エンディングでは、彼・彼女たちのその後が写真で紹介された。わたしの好きな赤い髪の女も結婚していた。幸せそうだ。主人公と川で話していた男性も女性と映っている。間には黒犬。非現実的なのに、こういう結末、ほっとする。

 でも、チャー○ズ皇太子と“ツーショット”でポーズを決めているフィオナの写真も大好きだ。


音楽:リチャード・ロドニー・ベネット

製作総指揮・脚本:リチャード・カーティス

製作総指揮:ティム・ビーバン、エリック・フェルナー

製作:ダンカン・ケンワージー

監督:マイク・ニューウェル

出演:主人公(チャールズ?):ヒュー・グラント(有名な俳優ではないか)

キャリー:アンディ・マクドウェル(まじめな感じだったので、後で最初の方のストーリーを知って驚いた。私が言うのもなんだが、花がない。

 当時の数少ない女性記者で、シングルマザーになって、その後、困っている人達を引き取る施設をつくって苦労する映画の主役を思い出した。)

フィオナ:クリスティン・スコット・トーマス

お葬式で挨拶する友人(?):ジョン・ハナほか

1994年・イギリス


いつものことながら、タイトルを知らないまま見ていた。結婚式とお葬式の取り合わせにとても感心していたけど、原題にはそのことがもう入っているのだ。

『フォー・ウェディング(FOUR WEDDINGS AND A FUNERAL)』







 翌日、テレビをつけると、店内に男。初老の男性が軽蔑のまなざしとともに去ろうとする。それから、また同じ場面。3人が襲いかかる。暴行は激しくなって、テレビが落とされる…暗転。

 主人公の男性が一人で、ぼうっとしている。彼のいくつかの予想が描かれていたらしい。

 この映画は、スピード感がよかった。人間たちが集まり、話している時とか。

 それから、くるくる変わる表情豊かな人間たちの顔。目新しいものを映像によって教えられた気がした。

 主人公たちは、音楽で食べていくことを夢みている、でも、ありがちなことにうまくいっていないらしい。CD屋をやっている。しかも彼らより、路上でスケボー(?)している「ナチ」気取りの、(それでいて顔色の悪い)不良少年たちに才能のあることが明らかになる。あーあ。でも、ラストは不幸じゃない。主人公と結局くっつく女優さんは、とてもきれいだし。

 主人公は、ときどき、画面のこちらを向いて、音楽やそれに関係すること、それから心情を「解説」する。ドキュメンタリーみたい。


 
 見ていて思ったのは、ちょうど自分が読んでいたニッコロ・マキャヴェリ(マキアヴェッリ、Niccolo Machiavelli)の文章(佐々木毅編『世界の思想4』(平凡社)。君主論とかリウィス論、詩の抜粋)とはちがう人間があるんだな、ということ。それだけマキャヴェリの、人は自分の利益のことしか考えず、すきあらば他人を蹴落とす、という野心猛々しい欲深い人間観が真実に見え、呪縛されているのかもしれないけど。

 でもこの映画の、ちょっとだめな男性達のほうがいい。だめなんだけど、そういう人間を拒絶したり、否定していない。だめな人間をただ捉える視線に、そういう見方もあるな、と気づかされる。

 映画に登場する、失敗して弱くて落ちこんだり、複雑な思いや負の感情を抱いている人に共感する。だめな状態かもしれないのに、否定されずに描かれているとうれしい。わたしだって、だめだから。

 うまく言えないけど、映画のやさしさがうれしい。映画って、人間に対するそういう見方を示してくれるものかもしれない。哀愁というのは、あっていいんだ、むしろ、あった方がいいんだ、と思う。

 『日の名残り』(これももちろんテレビでたまたま見た)を思い出した。別れが迫ってくる。もう生涯会うことはない。それでも、二人はくっついたりしない。控えめな言葉、しぐさに気持をこめるだけだ。オレンジ色の明かりが印象的な夜のバス停。去っていくバス、身を乗り出す女性の姿。執事の働く館には新しい主が来る。執事(アンソニー・ホプキンス)は一生をこの館で終えるのだろう。寂しい、寂しい。でも、忘れられない。

 『麗しのサブリナ』のリメイク、しかしほとんど駄作な『サブリナ』(もちろんテレビでたまたま見た)では最後、ヒロインの父親(長年、お屋敷の運転手をしていた)と中年女性のメイドが結婚する。コメディーだとこうなるのか。

 (『麗しのサブリナ』だって、オードリー・ヘップバーンの映画によくあることだけど、完璧な傑作ではない。オードリーは小粋なのに、相手役があんまり魅力的でないのだ。『麗しの〜』では、暗い館(体育館ぽい)で踊ったり、海上での船遊び(すごーく日焼けしそうだ)に連れ出す長男(ハンフリー・ボガード)のことである。

 『サブリナ』はテレビを付けたら、例の、パリから帰還するところだった。パロディーかと思って見ていた。それがリメイクと知って驚いた。しょぼいのだもの。

 ヒロインは心身気鋭のフォトグラファー、それはいい。ライナス(ハリソン・フォード)は年取りすぎでは。疲れ切った社長で、魅力なかったが。
 この映画は『麗しの〜』のあちこちにあったピチピチした感じもない)


音楽:ハワード・ショア

撮影:シーマス・マクガービー

製作:ティム・ビーバン、ラッド・シモンズ

原作:ニック・ホーンビィ

脚本:D・V・デビンセンティス、スティーブ・ピンク、ジョン・キューザック、スコット・ローゼンバーグ

監督:スティーブン・フリアーズ

ジョン・キューザック、イーベン・ヤイレ、ジャック・ブラックほか

2000年・アメリカ

『ハイ・フィデリティ (HIGH FIDELITY)』






 先の2つの映画は、たまたまテレビをつけて見続けたけど、翌日は時計を見、「アッ」とテレビの前に飛んでいった。前日の「ロマンチック・コメディー」という紹介にわくわくしていたから。だいたい、タイトルが『ウェディング・プランナー』。観る者を幸せにしてくれるコメディーだとしか思えない。

 つけると、ジェニファー・ロペスと、男(マシュー・マコノヒー)とその婚約者が一台の車に乗っているところ。あたりが野原だか、沼地なのが目を引いた。

 住宅地のすぐそば、坂道のむこうは明かりの付いた高層ビル群。それはいいなと思ったけど、映画自体はつまらない。暗い。女は泣いたりする。男の婚約者(金持ち)をはじめ、主人公以外のまわりの人間たちが馬鹿っぽく、軽蔑しかできないように描かれているのも、魅力をそいでいる。

 それでも見続け、ときどきNHK衛星からチャンネルを変えているうちに、テレビ東京の映画がおもしろい、と確信した。

 ジャッキー・チェンが出て来る。走ったり、撃ったり、蹴ったり。身体ひとつで豪快に敵を倒していく。


 場面も、精鋭部隊訓練場(コンクリート打ちっ放し。ぼろい)から、山奥の強制労働所(あとで思うと、刑務所か?)、外に青いプールがあって白人女性がむやみにいる豪邸、ジャングル(密林)から、にぎやかな街へと、どんどん変わる。

 世の中のいろんなものをぎゅーぎゅーに詰めて、デフォルメ、いいとこどりで見せてくれる。ぞんぶんに好奇心を満たしてくれる。たとえば、田舎に家族・一族・近所をそっくり用意してしまう中国当局とか。

 わたしにはけして行けないだろう密林の麻薬密売の場とか。そこは御馳走の載った大きな机のまわりに、麻薬を売りさばく老獪な将軍(?)、世界各国からこの山奥に集結したらしい、麻薬を買いたい人々。アジア人、金髪白人女性、黒人男性。国際色豊か、この取引場のスケール感が出ているではないか。

 その誰もが撃ちまくる。銃は常備らしい。将軍は「小屋(草と木でできている、いかにも南国アジアの小屋)を包囲しろ」と言って出て行ったわけだが、自分の基地ぜんぶが燃えさかるので、仰天。

 ラストでも悪役が、自分に死をもたらす、ヘリコプターの爆発にぽかんとする。

 ちなみに、列車の上で戦い、敵自身がもってきたヘリコプターで死ぬって、『ミッション:インポッシブル』(もちろんテレビでたまたま見た)みたい。(ヘリの操縦手のどアップが印象的だった。いま調べると、ジャン・レノらしい。

 『ミッション〜』の印象は「イーサー、イーサー」。あと、金属の光沢をした髪のクレアが可憐だったこと)

 この映画のいちばんの魅力は、強〜い女性かもしれない。あんまり若くなく美しくないんだけど(失礼)、見ているうちに、その強さに惹きつけられていく。これだけのアクションをできる女優って、いなかったんだろうな、と思った。

 頭も切れる軍のキャリアの女性って、パターンだけど。それに、こういうのって男女同権というか、平等っぽい設定にみえて、実はまったく逆だと思うんだけど。消費されている女性のあるタイプ。でも、いい。

 『007 ゴールデン・アイ』(これはビデオで見たのかもしれない。ただし借りたわけではない)のファムケ・ヤンセンを思い出す。船上での上流夫人風の黒いドレス姿でも、戦闘機に乗りこむ軍服でも、ヤンセンの美貌はすごかった。でも、あの役(ゼニア・オナトップ)はちょっと殺人狂が入っているし(豪雪のロシアの施設を襲撃して、惨劇の場で舌なめずりする。となりの将軍(ウルモフ)がギョッとする)、ボンドと戦って、ヘリコプターに引っ張られ(?)、木の股で死ぬっていう終わりは、情けなさすぎた。

 しかし、この映画の女性は、思う存分戦うところを与えられ、最後まで見事な活躍をするのだ。

 ジャッキー・チェンたちは、とっさの判断で機敏に動いて、いろいろする。いろいろとは、アクションのことである。刑事と軍人なので、極悪人を追尾する正義の活動なのかもしれない。

 でも、とつぜん気づいて走り出したり、車やバイクを爆走させたり(女性が列車と並んで延々バイクを走らせていくシーンは、なぜかおかしかった)、護送車や列車に飛び乗ったり、高くジャンプしたり、ヘリコプターの縄ばしごにぶら下がったり(悪役は、ヘリコプターではしごを振り回して落とそうとするのだ!)、なんだか楽しいスポーツみたい。きっと、頭も体も思う存分、そして思うとおりに使えて、充実しているのではないか。健康というものの最も素晴らしいかたちが表れているのがアクション映画かもしれない。

 悪役の手下がちょっとかっこいい。ちょっと頭が切れる。でも、どんな最期を遂げたのかは覚えていない。

 悪の帝王(チャイバ)の奥さんは、『マルサの女』の脱税者の奥さんを思い出させる。アジア人で、スーツも髪型も似ているからか。土壇場で強いところか。彼女の馬鹿力で、三人は線路に落ちず助かるのだ。

 でも、『マルサの女』は最後のトイレの場面で好印象になる。大事な鍵だったかを取り出すため、トイレに入る。水流の音にあわてる津川雅彦(税務署員)。ドアを開けて女、「緊張したら、したくなっちゃったの」 (いま調べると、内縁の妻・杉野光子。女優は岡田茉莉子)

 対して、この映画の奥さんはいまいち。何でだろう。…べつに奥さんのせいではないかもしれない。密林で、街で、主人公二人はたくさん人を殺す。とくに前者では、見張り台にいるとか、ただの兵士が一気に爆殺される。この奥さんだけ助けられて、ずるい。それまで、快適な場所で楽しい生活をしてきたろうに。

 …後日、気づいたのだが、この女性は判決通り、死刑になるのかもしれない。そうすると、スイス銀行の口座番号をすらすら言い出すところって、死を前にしてこだわりを捨てた人間の深みを表現しているのか?

 でも、頑張った旦那さんが殺されたのはついさっきだし、ジャッキーたちはお金の権利がどの国にあるかで争い始めるし、彼女の心中を思うとかわいそうになってきた。


 
 映画は、やはり二人は反発し続けるというコミカルな、でも今思うと先の理由では“ひどい”終わりを迎える。二人がどうなったのかは、ハッキリさせないまま。これが少女まんがや女性の書く小説だと違うかもしれない(わが群馬県甘楽町の小幡や秋畑の山奥が長年、打倒江戸幕府に燃えていて、怪しい新興宗教の団体の住む秘境として描かれている諸田玲子『氷葬』みたいに)。

 このラストはまあ、これでいい。でも、チェン刑事の恋人が馬鹿なので困ってしまう。新聞のあらすじに、恋人に遭遇し、身分がばれそうなるとかあったけど、「そう」どころではない。そんで、ちっともいい所がないのだ。

 そんな彼女はヘリコプターから落とされる。まず車の屋根に落ちて、路面へ。ふつうの人という設定だから、骨折とかしたのだろうか。

 先にも書いたけど、この映画は見せまくりなのがいい。ご都合主義もあるけど、わたしは目を離すことができなかった。チェンが脱獄を手伝った貧相な男(パンサー)が、アジトに着くや、有能で冷徹なボスに豹変するところ。ヘリコプターで訪れる悪役の成金豪邸。テレビゲームに熱中しているボス。悪役達の極悪非道ぶりが強調されるところ、巨悪の王の奥深さなどなど。いかにも、それらしいのだ。

 現実はどうかは知らない。もしかしたら、魅力的な男女がすてきな出会いをして、最後は結婚式を挙げるロマンチック・コメディーよりも、はるかに絵空事かもしれない。でもわたしは、持っていたイメージが、新たなシーンや設定とともに補強されるのを無意識のうちに喜んでいた。娯楽映画はニュースとか、ドキュメンタリーみたいなもので、そこから社会を知ろうとしているのかもしれない。

 あと、明るいから、面白いところがあるから見続けたのだと思う。チェンは、失敗したり、弱かったりもする。前にも書いたようにマキャベッリの文章を読んでいたから、こういう人間らしさを描く映画にほっとする。

製作総指揮:レナード・ホウ 、ジャッキー・チェン

製作 ウィリー・チェン、エドワード・タン

脚本:エドワード・タン、フィレ・マー、リー・ウェイイー

撮影:ラム・ウォクワー

美術:ウォン・ヤンマン

監督:スタンリー・トン

恋人役:マギー・チャン

パンサー:ユン・ワー

チャイバ:ケン・ツァン

ジャッキー・チェン

ミシェル・キング(ミシェール・ヨー)

香港、1992年

ちなみに『007 ゴールデン・アイ』1995年、『ミッション:インポッシブル』1996年

『ポリス・ストーリー3 スーパー・コップ(警察故事Ⅲ 超級警察)』