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変な日本人が登場する映画

以下はhttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/1951/movies/1.htmlにもあります。今後はそちらで修正していくつもりです


TVをつけると、面白そうな映画に出会う事があります。

タイトルもわからないまま途中から見始め、つまらなくなるやチャンネルを変えてしまう。

そんな人間の感想です。



 濃いオレンジ色のコートを着た美女が、街角のショーウインドーの前に立って、連れの男性に「万引きしたことはあるか、万引きしよう」と誘っている。彼女のコートは衿も、同色のボタンも、丸みがある。ボタンは間隔をおいて数個つ付いている。今っぽくはないけれど、のんびりした感じがかわいいコートだ。結局、この映画はファッションやインテリア、街の風景がおしゃれだった。

 この若い女の髪型は、こんなに巻けるのか、と驚いたほどのアップ。頂部が異様に盛り上がっている。後のシーンでふたつ分けにしたり、垂らしていても、それは変わらない。バレッタで留めているらしかった。ほかの髪型はまあいいけれど、このシーンのように高く結い上げている時は、あつめられた髪があまりに後方につきでていて、横顔はまるで怪獣やエイリアンみたいだった。流行のヘアスタイルは、後の時代からすると、おかしく変に見えるものなのかもしれない、と凡庸なことを思った。

 雑貨屋みたいな店内で万引き対象を物色する彼女(吹いた笛を戻さないでよ)が、ふと、オードリー・ヘップバーンに見えた。顔だけではなく、お茶目な言動がさまになっているところも(『時代屋の女房』の夏目雅子もそうだった)。でも、少しして思い直した。一番の理由は髪。明るい茶色がメッシュみたいに混じっている。ヘップバーンって黒髪じゃなかったっけ(白黒映画のイメージかもしれない)

 店内の警備員や店員を挑発しながらコーナーを移動してきたふたりは、黒い棚に近づく。そこにはオレンジ色の金魚の一匹ずつ泳いでいる丸いガラスが並んでいる。水面には緑色の藻のようなものが浮いている。わたしは、インテリアとして生き物を扱うのはきらいな筈だったが、コロッと宗旨変えしてしまった。とてもきれいなので。同時に、この当時もこんなにオシャレだったのかと、びっくりもした。

 さて、ふたりがようやく選んだアニメの動物っぽい、でもかわいくはなくて野生っぽさが表れているお面。それを被って通りへ駆け出すところ。渡りきったら、いきなりお巡りさんにぶつかるところ。暗転のあと、男がベッドで目を覚ますと(青っぽい縞のパジャマ着用)、渋い金色っぽい銅像にお面がかかっているところ。そういうところに女と、女の心が生き生きしていてよかった。

 男が窓の外から女のらしい部屋に入る。と、ベッドには、ちょっと太り目のトラ猫が乗っている。この猫を女、ホリーが呼ぶとき、字幕では「猫ちゃん」、耳を傾けると「chat」と言っている。固有の名前や愛称をつけない素っ気なさがホリーに合わないような合っているような。

 何ということのない室内だが、白いソファ(あとで気がついたが、片面が無くなったバスタブらしかった!)に敷かれた紫色(たしか)の布と、ピンク色(たしか)のふたつの小さめのクッションがよかった。どちらもギラギラした光沢のある布地。今もあるようなポップなお部屋になっていて。

 女はいない。男はパトロンらしき女性の訪れを知り、あわてて外階段をのぼって戻る(外階段を降りていった『千と千尋の神隠し』を思い出した)。そのときの音楽は、小学校の運動会にかかったような曲。でも、男の仕草は、べつにコミカルでも何でもない。そのうえ残念なことに、戸口に現われたお金持ち風パトロン風中年女性は、美しくないのだ。これではもう展開は目に見えている。ホリーより美しければこそ、おもしろいのに。

 このおばさんのコートは、青と黒の大柄のチェック模様。前のシーンでのホリーのコートと対比しているのかな。悪くはない。この人が小切手をさらさらと書いて、ホリーとの旅行を休暇として提供したり、年金だの失業保険だのぽんぽん言うところもおもしろい。それから、字幕では「格好いい女」となっている時、「very stylish girl」と茶色いテーブルで自分で言っていたこと。かっこいいは「スタイリッシュ」なのか。

 このタフな女性(夫人)の機転、機知にくらべると、クローゼットルーム(吊されたスーツがぎっしり)から、アパートの扉へ向かう男の捨てぜりふ「つぎの男は自分と同じ体格にしろよ。裾を詰めなくて済むから」は、つまんない。野暮。なのに、残された女はさっきとは打ってかわり、泣きそうになる。そして、場面は女の姿を残しながら暗転。つぎのシーンまでちょっと重なっていたのは白い手。この人によってすごい復讐がホリーになされるのかな、と思った。

 以降のストーリーは退屈だった。だらだらと続くふつうのラブ・ストーリー、痴話げんか。とくに保釈後のタクシーの中。ホリー役の女優は、にこにこ笑って、生き生きして飛び回らなくちゃ。

(運転手さんもいやだったんではないかしら。このおじさんは何回か映るので、てっきり二人を追い出したり、うんざりしたり、なにか面白いことをしてくれるのかな、と期待していたが、なにも無し。ただ二人の指示に黙って無表情で従うところが面白味なのか?)。


 とちゅう、バスタブの白いお湯から、禿っぽいおじさんが顔を出す。それが何だか、日本人ぽいのだ。でも、びみょうな感じなので保留にしておいた。彼はおなじアパート上階の住人らしい。ホセに附いてブラジルに行くというホリーと、ポール(万引き場面から出ている男。フレッドでもあるらしい)が最後の食事(グレーっぽいセーターにパンツ姿のホリーが「この服でも入れるところにして」と言ったので、どんなお店なのか楽しみにしていたけど、映らなかった)から、アパートに戻ると突然、羽交い締めにされて手錠をかけられる。逮捕理由は麻薬関係。そこへ、バスタブシーンの禿っぽいおじさん登場。特定不明なアジア系を願っていたが、ここで日本人決定。だって、着物(青。藍という感じはしなかった。浴衣というか着流し型)なんだもの。このおじさんはちび。その上、ヒステリックにわめくわめく。警察がふたりを連行した後も。

 つまり、日本人がすっごくバカにされて描かれていたのだ。「これ、有名な映画『××××』だよね。日本でも名作扱いされていて、雑誌『non-no』(ノンノ)なんかでもおしゃれのお手本のように取り上げられていた。そんな映画に、『グレムリン2』(1990年)でバシャバシャ写真撮ってた眼鏡(?)の日本人男性観光客のごとく戯画化(滑稽はあてはまらない)されているなんて、聞いたこともなかった。たいへん驚いた。

 そういえば『麗しのサブリナ』のリメイク『サブリナ』(1995年)でも、ララビー家のパーティーで、遣り手の実業家・長男ライナス(ハリソン・フォード)にすすめられて、テレビをゴルフ道具(?)で殴りつけ、ガハガハ笑ったかするスーツ姿の日本人らしいおじさん達が描かれていたっけ…

 保釈後、ポールと揉めたホリーはタクシーを止めて、猫を棄てる。ずぶぬれの猫が寂しく鳴く(?)シーン。ここだけ動物映画のよう。胸に迫る。

 ポールはタクシーを止めて探しに行く。その時、なんでタクシーで戻らないのか不思議(車線の関係か)。それから、心を入れ替えたホリーも猫を探し回るのだが、その間ずっと、ポールは路地の入り口で立っている。これも不思議。猫は、なかなか見つからない。この手の映画なら絶対すべてがハッピーエンドと楽観していたわたしも悲しくなったとき、下方の木箱から鳴き声。飼い主の誠意を試していたのか?

 映画のラストは、降りしきる雨のなか、ふたりがずぶぬれになって、ホリーは猫を半分くらいトレンチコートでくるんで抱きながら、つまり間には猫ちゃんがいるキスシーン。猫はふたりの子どもみたいで、ちょっと醒めた。

 黒い傘を差した人々が行き交うバックと、タクシーを出た場面からの音楽はよかった。

 でも! この女優演じるヒロインはどうせ、白人男性としか結ばれないにキマッテイル。それ以外は、意識もされないで排除されているのだ。ああ、有色人種差別を踏み台にして、なにくわぬ顔で成り立っている白人男女の恋愛模様(とはいえ、この映画も、情人として人のお金にたかるように生きてきたチンピラ的二人が真実の愛に目覚める話、と思うと、おかしいのだけど)。あの変な日本人おじさんとこういうヒロインが、お互いのいいところや深い人間性やらに気づいていくのが本当のラブロマンスだろう、などと毒づいてしまった。

 とはいえ、エミリー・ブロンテは姉シャーロットの『ジェイン・エア』の原稿を読んで、主人公が美しくないことを批判したし、実際『嵐が丘』のキャサリン・アーンショーは飛びっきりの美しいのだから、いいのだけど…

 この映画は、前にも書いたように、出てくるものがおしゃれなところが良かった。

 髪型。

 服。

 (男性の服は、ふつうのスーツでつまらなかった)。

 ホリーが顧客っぽいホセを連れてアパートに来たときの、ピンク色のドレス。それはピンク色の水玉模様だった。弟の訃報(最初わたしは「フレッド」は男の名だと思っていたので、パトロンの嫌がらせかと思った)に狂乱して、ベッドに横たわっているホリーを見ると、水玉は、布地か刺繍でできているようだった。このシーンは、振り回した枕の白い羽根が飛び散って、美しかった。

 それからこのとき頭の前に挿していた、王女のティアラみたいなピンク色の大きめの飾り(小さな壁みたいだった)。安っぽいって言ったらそうなんだけど、かわいかった。同系色の丸いイヤリングかピアスもつけていた。

 あと、すごい悲鳴から始まるこの錯乱シーンの前、ドアの外で廊下に落ちていた電報を、ホリーがカラフルな傘(杖)で挿すところも惹かれた。この女優さんが実際どんな性格かは知らないけれど、こういう上品ではない仕草がよく似合う。彼女がジェイン・オースティンの小説『高慢と偏見』(自負と偏見)の、機知に富んで身軽な容姿のエリザベス(リジー)を演じてくれたらなあ。

 街路を走っている車も興味深かった。今とはぜんぜん違う。四角い車体に小(ちっ)こいライト。保釈金を払われて出てきたホリーがポールに乗せられた黄色いタクシー。トランクの脇から、三角形の壁のようなものが立っていた。

 それから、ふたりのバックに映ったニューヨークのビル群。四角い窓が整然と並んでいる3棟くらいの高層建築。現代的で美しかった。

 ホリーのアパートは例の「ソファ」以外はふつうに見えたし、後ろのキッチンなんか、素っ気なくてホコリをかぶってそうだった。ところがとちゅう、白い壁に取りつけられた丸いガラスが映った。なかには赤い毛糸玉。これが美しかった。ホリーが下で、白い揺り椅子(?)に座って大きな布を編んでいた。

 …この後、火に掛けられた「チキンのチョコレートがけ」が茶色い柱を立てて噴出。あれは、どういう仕組みなのか。(このときのホリーはポールに飛びつきすぎでは。ポールの方はリアクションがなかった気がする)。ベッドや、壁に取りつけられた黒白の牛頭で、あまり動かなかった猫ちゃんとともに不思議。


 最後に。タイトルにティファニーと入っているけれど、ポールが持ち歩いていてホリーに渡す、青いケースの指輪(なにかが彫ってある)は魅力的でない。

 (…お菓子のおまけ(景品)だったらしい。あとでネットで検索して、フレッドという呼び名の由来などいろいろ知った)


アカデミー主演女優賞、アカデミー脚色賞、アカデミー美術監督装置賞(カラー)、アカデミー劇・喜劇映画音楽賞などを受賞

脚本ジョージ・アクセルロッド  撮影フランツ・プラナー

監督ブレイク・エドワーズ  1961年アメリカ

原作トルーマン・カポーティ  音楽ヘンリー・マンシーニ

オードリー・ヘプバーン(なんと32才だったそうだ)

ジョージ・ペパード、パトリシア・ニール(パトロンの夫人)

ミッキー・ルーニー(おじさん。日本人カメラマン「ユニオシ氏」だったらしい… この名前にも脱力)

ディック・クロケット(タクシーの運転手)


雑貨屋で、たしかポールの口から「ティファニー」という言葉が出てきた。それで、女優についての自分の誤りと、なにを見ているかが分ったのだった。

『ティファニーで朝食を』